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暗喩は何歳ごろから発動するか

たとえば、例がいろいろ思いつかなくて申し訳ないのですが、「人の道」とか「輝いている」とかいわゆる隠喩はいつから理解可能、あるいは創作して発することができますか?

みんなの回答

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

No.1です。 >あまりにこういうものを乱用すると下品ですね。 確かに比喩を使って、ストレートに言われないほうが痛いですね。 直接言われない方が、もっとダメージ大きい場合もあるが、思いやりを表現する場合も、ストレートに言うより効果があるし。 こういうのを表現方法を発達させた人間っておもしろいですね。 ストレートに言わないで、比喩を使うことによる効果を期待して、使うのだと思います。 ドラマに「君が教えてくれたこと」てのがあります。 http://www.tbs.co.jp/kimioshi/ 主人公は周りからすれば、猛烈な天然ボケさん。 専門家によっては、発達障害を持つ人だとされるでしょう。 専門家によっては、高次脳自閉症とする人もいるでしょう。 比喩を結構使うこの世界においては、比喩を理解する能力が極端に低いと、他人とののコミュニケーションに大きな障害が起こることになる。 「牛乳をこぼしてくれて ありがとう」と言われると、また それが、遠まわしな表現だと理解できず、何度もこぼしてしまう。 「おかあさんを喜ばせようと思ったんだ」と。 何故 何度も牛乳をこぼしたのか理解できたお母さんは、そんな子供に頭をなでながら「オバカさんね」と頭をなでると、おかあさんは自分を馬鹿だと言って叩こうとした思ってしまう。 ズレが起こっていますよね。 これが多発すると、お母さんは、子供に対して、「うちの子は、、、他の子供とちょっと違う」と感じるわけです。 で、幼稚園でどうしているか、心配になりだす。 幼稚園で観察していると、「ばーか ばーか」と他人に言われている。 コミュニケーションにズレが多発した子供が、イライラしてその子に馬鹿と言う。 すると自分の子供は、その子に「人に馬鹿って言ってはいけないんだよ!」と諭す。 「うちの子の方がマトモ」と思って安堵していいのか。 その子は何故人に馬鹿と言ってはいけないのか 本当のところがわかっていない。 「馬鹿」と「お馬鹿さんね」は意味が違うこともわからない。 特に馬鹿にするときの表現には怒ればいいが、「お馬鹿さんね」が「なんてかわいいのでしょう」という意味だとわからないと、他人とのコミュニケーションにおいて、問題を抱えることになる。 発達障害の子供を持つ親は、だいたい幼稚園あたりで、「どうもうちの子供は、他の子供とは違うようだ」と気づくらしいです。 幼稚園の先生も、気づいて、あまりにも多発すると、先生によっては親に専門家に診てもらった方がいいかもしれない とアドバイスをする場合もある。 親はショックを受ける。 先生は、自分の子供を否定した と感じる親もいるので、表現に気をつけないといけない。 先生は、その子が将来社会から排除されてしまう可能性を危惧し、そうならないように、弱点を補うための特別な教育を施した方がいいと思って言うわけですが、そのニュアンスが伝わらないと、親は大変なショックを受ける。 ということは、やはり、比喩理解は、幼稚園の年長さん辺りには、そこそこ獲得するのが、通常の発達だと現代ではされているのではいかと。 創作して発するのは、大人の私でも難しいが、真似をして似たような表現に変換してジョークとして使ったりします。 子供が使う??? 一休さん並みの子供がいたら 私、この子 何者? 天才って思うでしょう。 漫才とか比喩連発ですけど、結構高度な言葉の表現への理解が無いと、笑えないかも。 <君が教えてくれたこと>の主人公は、漫才をみて笑わないで憤慨するかもしれない。 「アホと人に言ってはいけない」とか、「漫才は低俗な文和だ」とか。 漫才は実は、どうにもならない悲しみを、笑いで消す魔法なんですけどね。

garcon2000
質問者

お礼

一体「言葉」とは何者なんだという問題に直面しますね。「馬鹿」といわれても別に本当に「馬鹿」なわけじゃない。「親しめるわね」とか「愛嬌があるわ」という比喩(反語)表現であったりする。つまり、言葉が一対一対応ではないということが世の常識である。つまり、一対一対応ではコミュニケーションというのはほとんど不可能であるということらしいですね。それはコンピューター言語です。自動翻訳機が役に立たない理由もこの辺にあるのでしょう。人間の頭脳のやわらかさはたいしたもんです。 つまり、「言葉」というものはその土台に状況心理がありその影響を大きく受けながら発するものであり、同じ言葉でも大きく捻じ曲げながら使うものであるらしいですね。

noname#82286
noname#82286
回答No.2

普遍的無意識を刺激された後だと思いますね、そうすると幼少期過ぎから小学生位にかけてだと思います。

garcon2000
質問者

お礼

普遍的無意識≒一般的常識感覚 ともいえますから、その土台の上に立つ皮肉であり隠喩であるわけですから、基礎ができるのは案外速いのかもしれませんね。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.1

人の道 とか かなり難易度 高くないですか? でも、不注意で牛乳をこぼしてしまった時、親が「牛乳をこぼしてくれてありがとう」と言った場合、少なくとも親が喜んでいるとは、小さい子供でも捉えないと思います。 言葉は批判していないが、顔が笑っていないぞ と表情を読み取れる。 言葉と表情が一致しないので、なんだろう となり 親の顔をじーーっと見る。 学習 学習 と。  言葉の意味が習得できておらず、表情を読むとる能力が低いと、矛盾を感じない。 だから 何度でもやってしまう。 何歳くらいから、親が怒りを顕にせず我慢しているって理解するのでしょうね。 感情だと。  ↓ http://209.85.175.104/search?q=cache:qNYpqtPlITIJ:www.jsdp.jp/~cmhenshu/paper/Journal_con/abst/jdp8_3a.htm+%E7%99%BA%E9%81%94%E3%80%80%E6%AF%94%E5%96%A9&hl=ja&ct=clnk&cd=2 でも、個人差があり、どれだけ比喩表現を今まで浴びたか(経験したか)で、正解率は大きく違ってくると思います。 親が、比喩を使わないタイプなら、小学校に入って比喩バンバンある環境で、戸惑うでしょうね。 人の道 となると、かなり難易度が高くなるんじゃないでしょうか。 動物だって 鳴いている子供をぺろぺろなめて慰めるじゃないですか。 怪我して泣いている主人の周りで、通りがかる人に牽制して吼える犬とかいるじゃないですか。 愛するものを守る行動をしているわけです。 ところが普段苛めている主人が、転んで怪我をした場合、いじめられていた犬はどうするか。 必死に近寄るほかの生き物 例えば大きい犬にすら、吼えかかって 自分をいじめていた主人を大きな犬が近づかないように守る。 犬の道? 人間が理想とする人間像ですよね。 というわけで、それぞれに何歳で半数が理解しているか は、環境とかにより差があると思います。 間違えても叱らない環境だと、比喩の理解発達が低くなるかも。 臨界期を越えてから習得しようとしても、難しいかも。 で、上にリンクしたものによると成人に似た基本を体得しているのが、5歳頃らしいですね。

garcon2000
質問者

お礼

例はあまりよくありませんし、例を挙げることがかえってここで混乱を招くかもしれません。要は、直接的でない言い方というか文学的表現手いうか、皮肉、反語、隠喩、直喩いろいろ言葉の種類について言い方がありますが、そういう結構心理的土台としてひねりが必要とする言い回しというのが、いつごろから可能になるもんなのかな?ということですね。その辺を汲んでいただいてありがとうございます。子供ってそれを理解せずに笑い話になるということが結構ありますからね。その笑い話の種になる子供の年齢の上限というか下限というか、あまりにも小学校高学年にもなって皮肉も理解できないのかというとちょっとやばい気もしますし、いろいろな思惑があります。 牛乳こぼしてくれてありがとうは、結構強烈ですね。それは、自身がひどくストレスを感じている現場にいるから学習能力が高いといえそうです。「怒るだろうな!」という恐怖不安の中で「なぜありがとうなのか?」という強い情動になる。ところが、純文学的というか自身にとりあえず関係ない事柄での暗喩はどうか。 しかし、あまりにこういうものを乱用すると下品ですね。政治批判なんて気取りすぎでこういうことをする人間性が低く思えてきますよ。

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