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人間は滅びるべきでは?

人は宇宙的歴史の中ではほんの一瞬前に発生したのにもかかわらず、 その人間同士で殺戮を繰り返し、 動植物を食い荒らし、 核による汚染までし、 まるで癌のような悪そのものではないでしょうか? 万物はバランスによって保たれているのが宇宙の摂理のように思いますが、 人間はそれを崩しているだけではありませんか? 善悪というよりは人間が宇宙の摂理においてあまりにも異質な存在に感じます。 このような強い違和感を感じるのは私だけでしょうか? 地球のためには人間は滅びるべきではありませんか? 放っておいても勝手にすぐに絶滅するのかもしれませんけどw

みんなの回答

回答No.16

人間(ホモ・サピエンス)ですが、かなり異常な動物です。繁殖力が異常に強いです。これは生物的な弱さ(体力や抵抗力)を繁殖力でカバーするという種類の生物だから釣り合いが取れていたわけですが、こうも文明を発展させてくると、増えるだけ増えて死なないものだから、生物的な死に向かうしかない、その間、生活圏(地球)を破壊しつつと言うところを今たどっているというところだと思うのですが、まもなく答えは出るでしょう。滅びる理由は、減らないからです。野球場にいけばわかるでしょ。これだけの烏合の衆が、それぞれ何人か生み続けるんですから。 なので、ネアンデルタール人までだったら、地球と調和的な生物だったわけです。あれは30年くらいしか寿命もないし知力もずっと限定的でしたから。あれを滅ぼしてのさばってきたところで、生物として人間は終わっているわけです。

noname#74145
noname#74145
回答No.15

質問者さんは自虐趣味なのかな?それとも人間は滅びるべきだが自分だけは引き続き幸福な生活を送りたいと考えているのかな。だとすれば総論賛成各論反対の典型的な例、まるで野党ですね。 この広い宇宙で文明を持つ種族がいるなんて非常に素晴らしい事でその価値は金やダイヤモンドの比ではありません。太陽の一個や二個とも比べものにならない位価値あるものだと思いますよ。 確かに物質文明が進むのとほぼ比例して環境にダメージを与えている事は事実かも知れませんがだからといって滅びろはないでしょう。 現代の技術をもってしても解決困難な問題が山積されている事は確かですが追い詰められた人間の能力を過小評価してはいけませんよ。 歴史を振り返れば存亡を賭けた戦いの時に科学や技術が飛躍的に進歩しましたよね、という事は何も戦争だけではなく環境やエネルギーの問題で人類全体が危機に直面した事を真に理解できればその時には途轍もない力を発揮するでしょう。 人類の幸福な発展は技術の進歩にのみその可能性が有るのだと思います。技術が良い方向に向かえば現在の諸問題もきっと解決される筈で実際それは歴史が証明していますよ。 >地球のためには人間は滅びるべきではありませんか? バカ言ってるんじゃ有りません!最近の環境問題に感化されたのかも知れませんが奇跡とも言えるこんな素晴らしい種の価値が分からないのですか。身の回りのどんな生き物よりも桁違いに素晴らしい人類の価値が。 地球と似たような星は銀河の中にだけでも無数に有ると思いますがその中で奇跡とも言える確立で今の人類が存在しているのです。当然地球よりも人類のほうが遥かに貴重です。

  • eldolado
  • ベストアンサー率39% (31/79)
回答No.14

これまたストレートな質問ですねw 人間が「宇宙の摂理」から見て滅びるべき存在であれば、 ほっといてもすぐに滅びるでしょうから、放置していても構わないのでは? べつにどうでもいいことではないかと思いますね。

noname#79752
noname#79752
回答No.13

じわじわ滅びるのは嫌だな~。 家族と一緒に「ああ~あ楽しかったね」っていって手をつないで、「またどこかの星で家族になれるといいね。」そんで一気にドカンでもピカッとでもやってよ! でももし、神様?に逢えたら「今度はお前が人間やってみろ」って言うなきっと。

回答No.12

逆です。 地球からみれば、地球も太陽も宇宙もあなたの為に存在しています。

回答No.11

 私もご質問者同様に思いますが、全ては創造者という意識の次元のことではないでしょうか?

  • bonchi193
  • ベストアンサー率100% (2/2)
回答No.10

あることを前提とするならば、 質問者様のお考えは正しいといえるでしょう。 それは、「人間は、実は他の惑星から飛来した異星人だった」。 これが真であるならば、確かに地球にとって悪そのもの、 という言い方をしてもあるいは許容されるかもしれません。 しかしながら、人間も地球が生み出してしまったものであり、 その地球の「自然」の一部である人間の建造物、 コンクリートジャングルもまた「自然」とみなされるべきものです。 戦争も、森林伐採も、すべて「自然」なのです。 もちろん、その営みの中で、 「どうしたら地球を粗末にせずにすむか」という思考がなされ、 議論が尽くされ、研究され、実践されることは、 短期限定で考えるならば有意義なことだと思います。 しかし、「自然」とか「地球」とかいう括りで考えた場合、 戦争、資源浪費などと並べてもいささかも優れているわけではなく、 善なるものでもなく、価値の上下もない、 まさに「自然」の成り行きであると思います。 従って、滅びるべき、というスローガンのもとに滅びるのではなく、 原因が積み重なり、条件が整ったら、 「単に」滅びるのです。 それも「自然」であり、良い事でも悪い事でもありません。 もちろん、「異質」でもないのです。 味噌汁の具としてチョコレートを入れたら、 日本料理という括りでは確かに「異質」ですけども、 人間の食物、と考えれば、それが好みに合う、 という人がいるならば、別段「異質」ではありません。 だって、食べたから死ぬわけでもないのですからね。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.9

>万物はバランスによって保たれているのが宇宙の摂理のように思いますが、 :この点は同感ですね。 存在すること自体がバランスではないか、と思います。 逆に言うと、絶対的な善悪、あるいは絶対的な摂理でもいいですが、そういったものを指し示すことの難しさでもあります。 たとえば、「動植物を食い荒らし」といっても、食わなければ人間は存在できません。 また、自然に一切手を加えないことが果たしてバランスを保つことになるのか、というのも疑問の残るところだと思います。 人間は生まれるべくして生まれたわけですから、どのように生きるべきかを考えれば良いだけではないでしょうか。 人間が不要であるとすれば、摂理によって自然と滅びていくはずです。 滅びようがどうなろうがどちらでもいいとは思いますが、それは、我々が思い悩むべき課題とは言えないでしょう。 とはいえ、滅びるべき、というのは、タナトス(死の本能)の発露として極めて自然な感覚です。 タナトスを持ち出さなくても良いのですが、ともかく、滅びることは安定につながりますし、それは一種の憧憬足り得るでしょう。 ただ、タナトスの裏返しは愛や友情であったりするので、これらに満足いかないときに人は、往々にしてこのようなタナトス的な感覚に逃れようとする傾向があることもまた事実だと思います。 「人間同士で殺戮を繰り返し、 動植物を食い荒らし、 核による汚染までし、」 が現状であるならば、 「人間同士で殺戮を少しでも防ぎ、 動植物を無駄に食い荒らさないようにし、 核による汚染をしなくて済むような知恵を探り、」 を目指せばいいだけの話です。 どうせ変わらないとおっしゃるかもしれませんが、そうなると好き好きの問題になってくるでしょうね。 変えようとすること自体が面白いわけなので。 滅びたいも、生きたいも、所詮は好き好きであるのと同じことなのでしょう。  

inu_0006
質問者

補足

哲学カテ興味深し…

  • 02yanma
  • ベストアンサー率57% (8/14)
回答No.8

何人の方が言っているとおり、人類を悪と決め付けているのは人間であって、地球にとっては屁でもないんですよ。 本当に地球温暖化とか叫んでいるのは人間だけで、地球にとっては最近多少温度が安定していただけなのですから。 人間は悪い事(まあ文化とかで違いますが)をする人を縛るのに法律だけでは限界があるので、自然に神の様なものを規定して自分を律するんですよね。 それは良い事だと思うんですが、人類そのものが悪と言うのは、極端で考えすぎです。

noname#161636
noname#161636
回答No.7

地球に意思があってそういっているのならそうなのかも知れませんが、地球という天体がそのような人間的な価値判断を示しているのでしょうか。 そのような判断をしているのは人間ではないですか。 人間は物事を人間の勝手な価値基準で判断しがちですからそのような人間にとって不都合な未来予測が立ったときあたかも地球にとって悪いことが起こるかのような言い回しをしてしまいますが、地球にとってではなく人間にとっての価値判断でしかありません。 そこで問題を読み替えますと、人間存在は人間自身の存続のために脅威になりつつある、または、人間存在は生物の生態系を劇的に変える契機になりつつあるという事はいっていいのかなあなんて考えます。 あくまでも人間の価値判断内において世界が人間そのものにとって脅威になりつつありその原因のひとつに人間活動が不可分に存在している。 それに対する反応として人間は滅びるべきというのは極論で物事はそのようにマルかバツかで割り切れるものではなく予想される未来に対してどのように対策すべきかという問題として対処するのが現実的です。

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