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小論文の添削お願いできないでしょうか?

ネットでのチャットをお題に小論文を書きました。 ・論旨が矛盾していないか ・関連のない文章が入ってしまってないか など、小論文としてダメな部分がないか見てもらえないでしょうか? 構造としては、 問題提起→反論を想定→本論(+具体例)→まとめ という形で書きました。 (ちなみに、例示はフィクションです。。) 現在、インターネットのチャットを利用して、様々な人と対話をすることが可能になった。チャッ トなどを通じ、複雑な人間関係抜きでコミュニケーションができるのはよいことだろうか。 確かに、相手の顔が見えないチャットでは相手の気持ちに気を配りながら話すという社会性が 身につきにくい。だが、それ以上のメリットがチャットにはある。 我々は普段、それぞれの立場を越えて自由に意見を交換できる機会がなかなかない。相手の年 齢や立場を気にせず、あらゆる分野の人々と対話する機会がチャットにより大きく広がった。 例えば、わたしの夢は会計士になることだが実務を経験した方とお話できる機会はなかなかな い。だが、疑問に抱いていた質問をチャットを通じて専門家に直接聞くことができた。これは チャットの普及により実現したことだ。また、内容もなかなか突っ込んだものであったため、 直接話していたならば質問を変えていたかもしれない。このように、チャットには立場を越え た人との対話を可能にし、顔が見えないからこそできる率直な意見をも可能にする。 したがって、チャットを通してコミュニケーションができるのは好ましいことである。

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  • dulatour
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回答No.9

#3 まいど、ごめんだす (^^ゞ >反論設定を自分で設定しても、それに対する説得が上手く思いつかなければその反論は書かない方がよいのかなとも思いました。 そうです、全くその通りです。「反論への顧慮」というのは高級テクニックです。余裕があるときにするもので基本としては必要のないものです。まずは、自分の意見の正当性を立証するという方向で論を進めましょう。 よく、「反論に対して問題提起する」というような論述方法を書いているものがありますが、あれは評論の書き方であって、小論文の書き方ではありません。 冒頭で「確かに~といわれているが」から始まって、そうでは無いという主題を結論と持っていく手法ですが、これは正攻法ではありません。これは突っ込みの論法であって、正しいことを堂々と述べる「王道」の論法から外れています。 若い人や勉学中の人間であれば、こざかしいブラックジャーナリスト的な論法を用いる必要はありません。 そういえば、「問題解決型」についての「講義」していませんが、大丈夫ですか、必要とあれば次の機会に講義を行います。<(_ _)>

osiete35
質問者

お礼

何度もありがとうございます。 >>「反論への顧慮」というのは高級テクニックです。余裕があるときにするもので基本としては必要のないものです。まずは、自分の意見の正当性を立証するという方向で論を進めましょう。 ずっと気になっていた疑問が解けた感じがします。どうもありがとうございます。実は、参考書の答案例ではまず反論を設定して、それに対する答えは書かずにそのまま主張のサポートに移っていっていたのでそういうものかと思っていました。 反論設定はあればよし。しかし、反論設定しておいて答えが書けないならないほうがましだ。ということですね。 もし可能であれば、「問題解決型」の書き方も教えてもらえないでしょうか? どうもすいません。

その他の回答 (11)

  • dulatour
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回答No.12

#3です。 これで、最後にします。この前、書きすぎたとのことで運営者から編集されてしまいました。私としては、「小論文」というものについての一般の方、学校の先生も含めてかなりの誤りがあるので、そのことについて正しい認識を持って頂きたいと思ったまでです。語調のきついのは私の筆が走りすぎたとしても、現在どういう意図で、「小論文」が出題されているか、どういう点を「採点者」は基準とするのか、また生徒さんの「小論文」のどことを見ているかという私の認識から、誰もがある程度、つまり必要十分な小論文が書けるような基本中の基本をお話ししたのです。他の投稿者を誹謗したわけではありません。 なぜ、この様なことを前置きとするかは、「小論文」という推薦入学などの課題がなぜ出題されるかということに関しての認識が一般の先生方には乏しいからです。そのため、学校の教師で「小論文」の適切な指導ができる人材が余り居ません。かつては、作文などを重視して日常的に訓練をしていた教師も居ました。しかし、今は、極端に言えば、自分の報告書さえまともに書けない教師が居るご時世です。国語は教えられても、自分の考えを論理的に伝えるという訓練をしたことがありません。 たとえば、私どもが見受ける生徒さんに対して、いかに日本語を文字として書いたことがないという嘆きに近いものがあります。おそらく、高校生になって、こうした生徒さんを学校として、国語科の教師では持ちきれないので、「進学指導」などの上部構造の責任とします。ますます、どういうことを教えるのかが難しくなります。因みに、私の娘は、高校の時に夏期の特別講習で、「生物」の教師が担当し、市販の問題集をやらすだけでした。つまり、学校には「小論文」を全うに教える機能もなければ、ノウハウもないと言うことです。 まず、推薦入学などで課される小論文とは、「国語科」の能力の判定ではなく、人柄や論理的に意見を述べるコミュニケーション能力の測定だという出題のねらいを履き違えているからです。 もちろん、志望が文学部系統であれば、文章力も試されますし、理工系であれば、科学的な関心や知識を問われるでしょう。しかし、一般で求められるのは、志望動機なのです。 つまり、自分の志望動機と絡めて、自分をアピールできることが志望先の大学に訴えることが最大の目標なのです。 その為には、あなたがどのような目的のために・・・ということは、絶対に削ってはいけません。 こうした「小論文」のねらいや意義とは何か、ということを理解できない無能な教師や自称文学者がいるので、私たちプロが必要となるのです。 「小論文」は・・、嫌な言い方ですが、あくまで受験のテクニックです。文学や思想や倫理ではありません。 どうすれば、合格できる最低限の「小論文」を書けるかということで、最後の回答とします。 (これも、だれかが不愉快ということで、編集、或いは削除されても構いません。もう回答する気力が沸きませんが、最後に言っておきたいことだけは、書いてしまいました。どのようなことであれ、あなたの今後に関わることについて無責任なことはいえないからです。自分の好みや論理の正当性を主張する一言者ではなく、あなたと一緒に考えながら、あなたのメリットとなる小論文を書けるようにして差し上げたいからです。この場は、コミュニケーションの場です) もう、これ以上ここに書き込む勇気も気力もありません。ごめん、問題解決型に書き方については、別のスレを立ててね (^^ゞ

osiete35
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 採点者はまず第一に論理的に文章が書かれているかを見るので、まず書き方というものが大事ということですね。(編集される前の文章が見られなかったので残念です。。) 反論設定 確かに。。。。。だが。。。こうであるのだ。 この、だがの後ろが書けないなら小論文として減点対象になっちゃいますということですね。 非常に参考になるご意見をもらえてとても感謝しています。 問題解決型は別のスレを立てさせてもらいますね。

回答No.11

> 確かに、お題としてあげられることに対して反論意見が考えられなかっ > たら、素直に賛成の形で書くしかないですね。 その通りです。小論文でなすべきことはあくまで自己の主張を筋を通して訴えることであり、他人の主張を否定することが目的ではありません。 しかし、小論文の命は説得力です。ネットコミュニケーションのように既に世間で賛否両論が叫ばれている事柄の是非を論題として扱う場合、反対論を無視して一方的に都合のよいことを書いても、読者は単なる独善的意見としてしか受け止めません。 正直な話、このお題を600字以内で語ることは厳しいと思います。しかし条件が絶対的である以上、何とか遣り繰りして書く他はありません。そのためには、「例えば、わたしの夢は‥」以降の例示部分を思い切って削ってしまうのも一法だと思います。 ご検討を祈ります。

osiete35
質問者

お礼

真剣に答えてもらいどうもありがとうございます。 反論を抑えるのは難しいですね。

回答No.10

> しかしBの反論に対する説得力のある文が思いつかない。それならば > BではなくCの反論を設定する。それならばBではなくCの反論を設 > 定する。Cの反論ならある程度説得力ある答えが書ける。 大変失礼ですが、これは弱い者虐めの極意を聞いている感があります。 それに、このお題に限らず、もし反論が難いことが問題点として掲げられて、それに対して意見を述べなさいという出題だった場合、何とお書きになるのですか? 「私には答えられません」 これが試験問題なら、先ず1点ももらうことは期待できません。 「チャットのメリットについて」という題ならばメリットについてだけ書けばよいわけですが、あくまで「チャットの普及はよいことである」という題で書く以上「よくない」という反対論があることを前提として書くわけですから、そこから逃げるわけには行かないでしょう。 なお、論文はディベートではなくあくまで自己の思想に基づいて物事を論じるものですから、反論すべくして反論する必要はありません。他者の意見であっても賛成ならば「もっともなことである」と素直に書くべきです。

osiete35
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 確かに、お題としてあげられることに対して反論意見が考えられなかったら、素直に賛成の形で書くしかないですね。

回答No.8

> 反論設定を自分で設定しても、それに対する説得が上手く思いつかな > ければその反論は書かない方がよいのかなとも思いました。 思想は論争せず‥ ですか。 しかし、この文章の執筆動機はそもそ何なんでしょうか。先ずネットコミュニケーションの普及を好ましくないとする議論(問題提起)があって、osiete35 さんはこれに反論する立場から起稿したのではなかったのでしょうか? そんな議論には一切触れず、ネットコミュニケーションのメリットのみを並べて書くことももちろん可能ですけれど、それでは論文と言うよりも説明文です。単にメリットを説明するだけの文ならば、好ましいことを大前提として書くわけですから、その結論が「ネットコミュニケーションの普及は好ましい(好ましくないことはない)」では不自然だと思います。

osiete35
質問者

お礼

ご意見どうもありがとうございます。 おっしゃることをごもっともです。 本来は問題提起をするからには、反論部分も一つ一つ説得していかないといけないということですよね。 ただ、小論文としてどうしても上手くそれに対する答えが書けない場合は、他の反論例を挙げたりしたほうがよいのかということが言いたかったのです。 例えば、Bという反論がある。しかしBの反論に対する説得力のある文が思いつかない。それならばBではなくCの反論を設定する。Cの反論ならある程度説得力ある答えが書ける。 というようか形で考えました。

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.7

#3です。ひつこいですね。 チャット言い忘れたことがあってので補足します。 主題を提示する場合に論点を定めることの大切さを言い忘れました。 これは非常に大切なことです。 なぜなら、視点が変われば意見も正反対のことを言えるからです。 例えば、インターネットなどの匿名性は顔が分からないという利点を犯罪や悪意に用いれば、最悪の結果となり、コミュニケーションの広がりという視点から捉えれば、これほど有効なことは無いという論法が成り立つからです。 こうした意味で、視点や論点をまず自分なりに設定すると鉄壁の論理となるわけです。反対に、論点を定めないと反論に対して狼狽えてしまいます。「盗人にも三分の理」という言葉がありますよね。泥棒の論点から論証すれば、正当性が立証できるのです。優秀な弁護士はどんな大悪党でも無罪を勝ち取らすことが出来ます。 つまり、説得力のある内容とするには、自分の土俵の中で相撲を取ることが大切なのです。そのために論点を明確に立てることが小論文では肝となります。 頑張ってください。

osiete35
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 #6でのお礼でアドバイスを参考に書き直しましたが、論点を明確にすることを気をつけて書いていきたいと思います。 反論設定を自分で設定しても、それに対する説得が上手く思いつかなければその反論は書かない方がよいのかなとも思いました。

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.6

#3です。 お礼有難う御座います。 補足要求をしたのですが、補足していただけなかったので、どういう問いなのかを私なりに想像して、もう少し詳しく説明しますね。 おそらく課題は「インターネットのチャットについてあなたの考えを述べよ」というものではないですか? こうした「~についての考えを述べよ」という問いかけは、賛否の立場を明確に示して論じていくことが、読み手に分かりやすい論の展開となります。つまり、こういう出題の場合は、賛成か反対かの主題を明確にする主題提示型の方がよいでしょう。ただし、良いか悪いかを示すだけでなく、どういう観点からよいのかを述べると、論旨がより明確になって来るでしょう。小論文の冒頭の段落は「序論」といわれるもので、ここでは主張の概要や方向性を示すものです。 ですので、「コミュニケーション力を養うために有用である」というように論点を付加した主題を提示するとよいと思います。 もう一つ付け加えると、主題提示型でも「反論の想定」を行うとより説得力が増します。流れとしては 主題の提示 →主題の理由説明 →反論への論破 →主題の確認 ということになります。 反論とは、いわゆる「つっこみ」です。この「つっこみ」に対して、「何ゆうてんのや!ちゃうやろ~」と「どついたる」ことが必要です。ボケをかましてはいけません。しっかりと論理的に「どつき」ましょう。 たとえば、「チャットは顔が見えないので本当のコミュニケーションとはならんやろ~」などと突っ込みを入れる人間が居ますが、「顔が見えないからこそ普段聞けない率直な意見交換が出来るンや、ナンもわかっとらへんな、あほ~」とどつくわけです。(あまりいい例ではないなW) お分かりになりますでしょうか。 主題提示型と問題解決型の基本を覚えてしまえば、どんな課題がでようと、構成の箱の中に自分の考えを填め込むだけで、論理的な意見となります。しっかりと基本をマスターしてください。

osiete35
質問者

お礼

詳しくありがとうございます。 補足を書いていなくて申し訳ありません。 お題は自分で設定したのであやふやだったのですが、ご指摘されたような内容で書こうとしていました。 アドバイスを参考に書き直してみました。 ・反論へのどつきをいれました ・主題をしぼりました ・反論部分を第二段落に入れました 細かい部分での反論はいろいろ出てくるかと思いますが、主題提示型の形としては少しは小論文らしくなったでしょうか。。 インターネットを利用してのチャットや掲示板が広まり、あらゆる人々との対話が可能になった。 チャットの普及は様々な人との対話を可能にするのでいいことである。 我々は普段、それぞれの立場を越えて自由に意見を交換できる機会がなかなかない。相手の年齢や 立場を気にせず、あらゆる分野の人々と対話する機会がチャットにより大きく広がった。確かに、 相手の顔が見えないチャットでは相手の気持ちに気を配りながら話すという社会性が身につきにく い。だが、顔が見えないからこそ、私たちは率直な意見や立場を越えた人との会話が可能になるの だ。例えば、わたしの夢は会計士になることだが実務を経験した方とお話できる機会はなかなかな い。だが、疑問に抱いていた質問をチャットを通じて専門家に直接聞くことができた。これはチャッ トの普及により実現したことだ。また、内容も突っ込んだものであったため、直接話していたなら ばできなかっただろう。このように、チャットには立場を越えた人との対話を可能にし、顔が見え ないからこそできる率直な意見をも可能にする。 したがって、あらゆる人との会話を今まで以上に実現してくれるチャットの普及はよいことだ。

回答No.5

> この文では、「チャットの普及はよいことである」ということが主題 > でした。 ANo.2でjo-zen さんも触れておられますが、チャットの普及が好ましいか否かということを論点とするのであれば、メリットだけ並べても読者は納得しません。一般にデメリットとされている点(犯罪との関わりや匿名ゆえの諸問題等)を一通り挙げた上で、個々に考察・論証する必要があるでしょう。 また、チャットの最大の特徴はリアルタイム性にあります。もしここで言うチャットが掲示板(BBS)も含んだネットコミュニケーション全般ではなく、あくまでチャットのみを指すのであれば、掲示板との比較論も必要になるだろうと思います。そうでないと読者は、「なぜ掲示板ではなくチャットなんだろう?」との疑問を抱くでしょう。

osiete35
質問者

お礼

ご意見どうもありがとうございます。 自分でも突っ込みどころがいろいろ見つかるのですが、多くても600字以内に 納めないといけないので反論部分をちょろっと書いただけで終わらせました。 書いていくと自分でも疑問がいろいろと出てくるので、なかなかおさめるのが難しいです。

  • suunan
  • ベストアンサー率14% (224/1569)
回答No.4

冒頭の 「よいことだろうか。」 は〔よくないことを全編を以て論証する〕という宣言なので、 結論が「好ましいことである。」 は一致しません。

osiete35
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 最初と最後の流れがまず大事なのですね。。

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.3

残念ながら、小論文の構成として成り立っていません。 問題提起というのは、問題点を指摘することで、自分が主張することを読み手に問いかけることではありません。 「現在、インターネットのチャットを利用して、様々な人と対話をすることが可能になった。チャットなどを通じ、複雑な人間関係抜きでコミュニケーションができるのはよいことだろうか。」 これは、あなたが主張したいことを反語的に表現しているだけで、本来ならばこうしたまどろっこしい表現ではなく、自分が主張したいことをストレートに主題化した方がよいでしょう。 まず、小論文の基本から説明します。小論文の構成には大きく分けて「主題提示型」と「問題解決型」があります。 ○「主題提示型」   主題の提示→主題の論証→結論 ○「問題解決型」   問題提起→問題点の考察→解決策の提示(結論) 上記のような論理の流れです。 どちらが、あなたの結論を導き易いかを考えて、論を組み立てればよいでしょう。 あなたの意見を拝察するところ、問題点があるというようなテーマではないので、「主題提示型」の方が論理的に主張を述べることが出来そうです。 また、どういう問いなのかを言うことを書いて貰えば、適切な構成を指摘することは出来るでしょう。 いずれにしても、現在の論理展開では、余り評価はされないでしょう。

osiete35
質問者

お礼

詳しく説明をしてもらいありがとうございます。 問題提起の部分が一番悩み、いつもうまくいかない部分であります。 この文では、「チャットの普及はよいことである」ということが主題でした。アドバイスに従い、最初の部分を書き直してみました。 主題提示型で書き直した場合。 第一段落 現在、インターネットを利用したチャットが普及している。これは大変よいことである。 最終段落 したがって、チャットが普及すると数々のメリットがあるので好ましいことだ。 問題解決型 この場合だと、本論すべても書き換えなければならないかと思うのですが、正しいでしょうか。 こうしてみると問題解決型よりも主題提示型のほうが初心者には書きやすいのはではないか?と思ったしだいです。 アドバイスどうもありがとうございます。

  • jo-zen
  • ベストアンサー率42% (848/1995)
回答No.2

全体の流れは、これはこれでいいかと思います。まあ、別の流れもあるでしょうが、あくまで一例ですから、云々しても始まらないですから。 二点ほど気になった点を指摘させていただきます。 (1)「直接話していたならば質問を変えていたかもしれない」という表現は文脈上おかしいと思います。「直接話していたならば、でなかったであろうところまで話題が広げることができたのである」ということを言いたいのかなと思いますので、そう変えた方がいいかと思います。 (2)まとめが独断的すぎます。いろいろな弊害もありますので、「好ましいことである」と言い切ることは望ましくありません。「以上のことを総合的に判断すれば、チャットによるコミュニッケーションが持つメリット・デメリットを勘案すれば、メリットの方が優ると言っても間違いではないと考えます。但し、目に見えない相手だからこそ、なおさら注意しなければならない点があることを忘れてはいけないとは思います。」のようにしたらどうかと思いました。

osiete35
質問者

お礼

ご意見どうもありがとうございます。 1.こちらは確かに書き直す必要があると感じました。 2.まとめの部分は言いたいこと一つにしぼって言い切るように気をつけたのですが、最後の部分が唐突な印象を与えてしまっているということですね。 参考になるご意見、どうもありがとうございます。

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    閲覧ありがとうございます。 以前添削をお願いした者です。 書き直したのでまた添削をお願いしたいです。 句読点、文法、文末、構成、誤字脱字、い抜き、ら抜き言葉など。 テーマ 過去の成功体験とそこから得た教訓 文字数 200~400字     下の文は399文字です。 以前ですます調の方が…というご意見をくださった方がいましたが、文字数のためだ、であるという文末にしています。 自信がありませんが、添削をよろしくお願い致します。  私は中学3年生のときにデイサービスのボランティアをして、その後善行表彰を受けることができた。  当時自分にできることを探していた私は、社会経験を積めることや人の役に立てることに興味を持ち、ボランティアを始めることにした。  最初は介護施設という慣れない環境で思うように行動することができず、普段接する機会の少ない高齢者との接し方に戸惑いを感じることが多々あった。そこで私は相手の立場に立って考え、周囲をよく見て行動するよう心がけた。この心がけを諦めずに続けた結果、利用者の変化にいち早く気づき、話しかけて様子を確認するなど、自分がすべきことが分かり、主体的に行動することができるようになった。  私はこの経験から諦めずに努力することの大切さを学んだ。大学や社会に出た後も慣れないことや困難なことがあると考えられる。しかし、この経験と学びを活かして目標や夢に向かって着実な努力を続けていきたい。 ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。 添削をよろしくお願い致します。 また、気づくと気付く。 どちらが正しいのでしょうか。 ご回答お願い致します。

  • 小論文の添削お願いします(急ぎ)

    課題文A、Bをふまえて、「自文化と異文化」という問題について、あなたの考えを書きなさい、という設問です。 課題文の要約は小論文に書きました。 ************** 課題文Aの筆者は、異文化交流において、 文化を主張し、お互いの文化を理解し合うこと が必要だと述べている。また、課題文Bの筆者は、 文化的な知識を教える義務があると 述べている。しかし、私は異文化を理解するにも、 自文化を理解してもらうにも、まず主張することや 教えることはせず、経験することが必要だと思う。 なぜなら、自分の目で見て、きちんと外国人と 話して体験しなければ、異文化が本当は どういうものかはわからないからだ。例えば、 異文化人と交流する前に私たちは念入りに 相手の文化を調べてから交流しようとするだろう。 そして、調べたことから相手の文化はこういうものだからこんなことはしてはならな いという結論を出す。確かに、先に相手のこ とを知ることは大切だが、これでは交流する意味がない。 異文化を知るためには、何の先 入観も持ってはならないのだ。相手と話して、 許容できる範囲なら受け入れて、できないな らば、ルールとして決めれば良いのだ。日本 人だって、相手が敬語を使わないからとい って激怒したりはしないだろう。もし必要なら 一言注意すれば良いのだ。『自文化と異文化 』といっても交流するのは人間どうしなのだ から遠慮は必要ないのだ。 確かに、異文化人と交流することで多くの価値観や 見解を持ち込むことになり、それが衝突を生むかもしれない。 しかし、その時は納得いくまで話し合えばいいのだ。親や親友とでも 喧嘩することはあるだろう。それでも、話し合ってルールを決めたり、意見を受け入れたりして、 仲直りすることができる。それをすればいいのだ。 異文化との衝突で、相手のことを難しく考え過ぎたり、面倒くさがったりして、 放り出してしまってはいけない。お互いの許容できる範囲を教え合い、 ルールを決めて、親友になれて初めて異文化交流になるのだ。 そうすることで自文化を伝えることにもなり、異文化を理解することにもなるのだ。 文化は教えてもらっても理解することはできないし、教えても理解してもらうことは難しい。 本当にお互いを理解し合いたいならば、一度は、相手に対して失礼にあたることもしなければ いけないのだ。テレビやインターネット、本で入手した情報を信じきってしまえば、 自文化を理解してもらうことも、異文化を理解することもできないのだ。 したがって、経験することが必要である。 100点満点中何点かもお願いします。