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どうして清は滅亡まで最大版図をだいたい維持できたのでしょうか?
中国の歴史上の国の多くは最盛期に蒙古や西域に拡大しても数十年後には手放してますけど どうして清だけは滅亡まで統治し続けられたのでしょう? 騎馬部隊の優位性が無くなったからでしょうか シルクロードの重要性が薄れたからでしょうか 満州人の統治方法が優れていたからでしょうか 今の中国が蒙古や沿海州などを除けばだいたい清の領土を継承できているのも不思議です
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最後のほうになると香港を切り取られ満州を切り取られ、あまり版図を維持したとはいいがたいような。 現在の中国が版図をほとんど維持した理由ですが、やはり米ソ対立の枠組みがあったからではないでしょうか? 米ソ冷戦の最前線といえば、ドイツ、インド、ベトナム、朝鮮といったところです。中国本土の奥地など、とてもじゃないけど西側諸国に手出しのできる地域ではありません。この米ソ対立の枠組みこそ、中国の領土拡大の機会を作ったと思います。 もうひとついえることは、近代国家の軍事力とは、ヨーロッパでの地続きでの戦争を除くと、海からの兵力の投射によってなされます。臨海部さえきちんと確保できれば、そうそう手出しされるものでもありません。
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- jayoosan
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満州系がすべての旗(八旗ほか金につながる人々)をひきつれ中国の中原(長城の内側)に入ることをきめたあと、東北部のいわゆる満州地区は、人がすまない荒野となったようです。 で、逆に仕事も食べ物のもない漢族の市民や山賊が、最初は清朝から満州族の本拠地でもあったこの地域に立ち入りを禁止されていましたが、のちに認められ入っていっています。 また満州族が中国を治める最初の頃、満州系の一族であるシボ族が、西の方(たぶん北やもっと西のモンゴル系やテュルク系から)の守りとして、現在のウイグル自治区付近に、民族ごと派兵を命じられ、家族等も途中から合流して移住しています。 彼らはこの西の土地に落ち着き、いまでも満州語が話せ、満州文字が読めるといわれています。 この時代、統治方法やよかったのか、あるいは、北の力もそれほどでなかったのかわかりませんが、清朝の初期に打った現在の新疆地域の守りが1つあったことと、清朝はそれなりに経済が発展した時期があったため、周囲ももう馬にのって中原に攻め込む時代ではなくなったと感じていたのかもしれません(現在でもモンゴル系が遊牧をやめ、現金につながる仕事をさがしているように)。
- oska
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>どうして清は滅亡まで最大版図をだいたい維持できたのでしょうか? 中華思想・華夷秩序が根本にあります。 三国志に記載があるように「皇帝に従わない国は滅ぼし、従う国には王位を認める」という政治です。 ですから、各周辺国王は「中国皇帝の任命・承認が必要」でした。 (韓国では、最近まで天皇という名称を認めていませんでした。「皇」は中国皇帝だけが用いる称号との認識ですから、新聞記事でも「日本王」だったのですよ) 朝鮮国では、1895年(清国が独立を認める)まで毎年冬至に欠かさず朝貢を行なっていました。 国王の即位・立后・立太子がある度に中国皇帝の承認を得る訳です。 中国使節を迎える時、国王はソウル城外に出て、謹みを持って迎え、国王は使節が通った正門を通行する事が許されず別の門から入城しました。 当時の1850年代の中国地図には「清国属朝鮮国」との記述があります。 周諸国も同様でしよう。 この政治的な流れが延々と続き、伝統・形式として続いたようです。 余談ですが、中国共産党には「清王朝の領土を回復する」との文言があるようです。 内モンゴル・東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)・チベット侵攻(解放)も、この文言が原因との意見もあります。(本当かな?) 本当だとすれば、残る旧支配地は「インドシナ半島・台湾・朝鮮半島・琉球」が目的となります。 あれ?!。現在「中国との間で国境問題」が発生している地域ですね! 統一後のベトナムとは、既に戦争を行なっています。
- tanuki4u
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一種の連邦国家体制であったからだと思います。 満州族国家 漢族国家 蒙古族国家 チベット族国家 回族国家 漢族国家としては、非常にコスト効率のよい(つまり、税金の低い)統治体制。蒙古族国家チベット族国家としては、自治度が高かった。 回族国家のみが、中央からの掣肘が強かった。 今の中国が蒙古や沿海州などを除けばだいたい清の領土を継承できているのも不思議です → これは、むやみやたらと、領土拡張するのはいかがなものか?というのが世界の風潮になったからでしょうね。
お礼
海から遠いという理由もあったんですね