- ベストアンサー
複数の人を表す「ら」について
They are....... . を訳すと、たいがい「彼らは・・・」となりますので、 この使い方には慣れています。抵抗は特に感じません。 (実際の会話の中では、あまり使ってないような気がします、わたしの場合) 昨日、ワイドショーの中のナレーションで、 「拉致被害者の子供らが・・・・・」と言っているのを聞きました。 ムッとしました。 -------------------------------------------- わたしが小学校に上がる前頃だと思うのですが、 母が自分の兄弟との会話の中で、 「あたしらの子供の頃・・・」と言っているのを初めて聞いたとき、 (何で、この人こんなに汚い言葉遣いするの?)と子供ながらに嫌な気分になりました。 おとこ兄弟の中のおんな一人だから仕方なかった?とも思いましたが。 そんな感じで、わたしはこの「・・・ら」というのには少し抵抗があります。 というか、不快を感じてしまいます。 彼ら、というのは英語の授業などで使い慣れている様で大丈夫ですが。 お前ら・あんたら・おめえら・うちら・俺ら・おいら・あいつら・・・ (あ、「おいら」は複数でなく、自分を表現していますね) 文法上は間違っていないとは思いますが「・・・ら」表現について気になるわたしが硬いでしょうか・・・変でしょうか・・・ そして、ワイドショーで言っていたのが(聞き違いではないと思う)すごく気になるんですが。正しい表現なのかどうかと・・・ 質問の様で愚痴のようでもありますね、スミマセン・・・
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
chirorinrinさん 追加ですが、「~ら」は話し言葉として特に俗語的な用法の性格が強いために、公共の放送に使われると違和感を覚えるのだろうと思います。 しかしその一方で「~たち」では得られ難い語呂の良さが「~ら」に有るのも事実でしょう。それ故、公共の放送でも「感情抜きの複数」の線で「~ら」は使用されているのではないでしょうか。 「~ら」が「あたし・ら」として庶民的な会話言葉であるのに下品さを感じるのは「ここ・ら」「そこ・ら」と共通した庶民的俗語っぽさがあるけれど、これと似ているように思います。これらを「あたし・など」「ここ・あたり」「そこ・あたり」等に変えると上品になりましたでしょうか。 あと、性差別と言う以前に敬語表現ではない語であり、その使い様で「敬意を考えなくてよい事物への指示」「見下した言い方の為の指示」「己を下位に置く指示」などにも変化するのだから、上下関係に関連した使用法があるために、会話が異性間に向けられたのであれば性差別に通ずるように受取られることにもなるでしょうね。 関係ないけれど、当方は大阪に近い方です。では 瀬戸内のはずれの町よりsa
その他の回答 (7)
- littlekiss
- ベストアンサー率14% (98/698)
■みい(ら)ちゃん、大きくなれば「こんな風に言われてたんだよ~」って笑い話になると思いますけど、今現在、当のご本人は深刻ですね。 ↑ こどもからのサインです。見過ごしてしまうと今以上に深刻な事態につながりかねないです。 一方的にからかったこどもたちだけを注意したところで問題の解決になるものでもありません。一時的回避もしくは場当たり的な対処・処置でおわってしまうことも。当事者であるみ-ちゃん自身の協力が必要です。サポ-トする側として、み-ちゃんの中に抱く作り上げられた「ミイラ」イメ-ジの転換というより幅をふやすお手伝いにこころがけています。「ミイラ」についていくつかのお話をこどもたちに本の読み聞かせの中でとりあげて読んでみる。エジプトのツタンカ-メンのお話、アラジンと40人の盗賊、どんな本でもいいんだけど「ミイラ」-「きもちわるい」-「不気味」だけのイメ-ジというのも味気ない。なにかのきっかけで「自信」がもてたら、どんなことばに出くわしてもひけめだけはもってほしくない。自己の優位を固持する道具に他人を用いることによって、傷つけあうことで己自身までも傷つける。それよりも、互いのよさに目をむけられるように日々かかわりあって話し合っています。こどもたちから教えられることおおいです。
お礼
お返事、遅くなりました。すみません。 奥深くまで読み取る事ができず、不用意な発言をしたかもしれません。 申し訳ありませんでした。 自分はまだ子供を育てた経験がなく、今後あるのかも分かりませんが、 いざとなったらきちんとできるだろうかと心配が多いです。 「子供」というより「人間」ですね。 大人の側から見た「放っておいていいこと・よくないこと」と、 結果的に子供の側から見た「放っておいてもよかった・よくなかった」ことは随分違うように思います。 見極めるのは大変ですね。「データ・傾向」では片付けられませんから。 色々考えるとわたしには資格がないように思えてきました。
- sigino
- ベストアンサー率30% (99/329)
一人称につく「ら」は謙譲表現で古文書の中によくでてきます。 今はすっかりこなれてしまって俗語的・方言的ですよね。 ところで私(女性です)は「あたしら」「うちら」に全く下品さを感じません。 言葉自体よりも全体の雰囲気でそう聞こえることはありますが。 もしくはchirorinrinさんは小さい頃に「あたしら」は「汚い言葉」と教えられたのかも知れませんね。 ちなみに私は祖母が使っていた一人称「わて」をつい無意識につかって、ダンナにすごーく嫌がられます(笑)
お礼
こんばんわ、ありがとうございます。 >小さい頃に「あたしら」は「汚い言葉」と教えられたのかも知れませんね。 よく分からないのですが、そういう記憶は無いのです。 勝手に感じた・・・でしょうか。 でも、色々な事の積み重ねでそうなったのでしょうね。 「わて」ですか・・・ そういえば今だかつて、身近に聞いたことが無いですね~。 聞いてみたいです。一瞬わからないかな?間をおいて理解するかな? どうもありがとうございました!!
- littlekiss
- ベストアンサー率14% (98/698)
chirorinrinさん、こんばんは。 ハッ!とさせられた一場面を... 想像してください。 こどもが多数あそんでいます。 お部屋の中は、おもちゃ、絵本、ブロック、セロテ―プ、ハサミ、クレヨン、マジック、画用紙が散乱しています。あら、あら、たいへん―☆おかたづけ。 たぁ-くさんいるこどもたち、その中のひとりのおんなのこ「み-ちゃん」と目があいました。「ほ-ら、みぃ-ら、はいはい、おかたづけしましょう~」と、いった瞬間、み-ちゃんのかおムッ!!「みぃ-らって、いまいった!」「みぃ-らじゃないもん、み-ちゃんだもん、みぃ―らはイヤだよ!」、「あっ!ごめん、ごめん。」「み-ちゃんたち」っていわなきゃねぇ、「うん。みぃ-らって、ミイラみたいだし、やだもん。」「それにねぇ、み-ちゃんはちゃんとだしたのおかたづけしたよ、○○○くんたちがおかたづけしないであそんでる」「ホント、ごめんね。」「おぉ-い!○○○くんたちみんなでおかたづけはじめるよ~♪」「ねぇ、み-ちゃんもうちょこっといっしょにおかたづけてつだってくれるかなぁ?」「うぅ~ん、、、」「5・4・3・2・1・0よぉ-いどん!さぁ-」「わぁ-ぃ!」「まてまてぇ-」キャッキャツキャッ゛゛゛ ドタバタ、キャッキャッ゛゛゛ ハイ!きれいにかたづきました。パチパチパチ゛゛゛(*^^*)v 十羽ひとからげ「ら」の音に強調をかんじるようです。全体・複数・その他大勢であってもその中の個であることを「ら」の音は誘発するのかな?若干、「たち」はそれに比べ反応はゆるやか。すこしことばをかえるだけで受け取り方がかわったりしますね。他の要因で、「ミイラ」ということばでみ-ちゃんはおともだちにからかわれたことがあったとか。「みぃ-ら=ミイラ」不快感がめばえたのかもしれませんね。 なにかをたどっていけば、chirorinrinさんが「ら」の音に 不快感を抱く何らかの要因があったのかもしれません。
お礼
こんばんわ、どうもありがとうございます。 カラフルで賑やかで楽しい情景のお話し、面白かったです。 仰るとおり、「その他大勢的感覚」が強調されるようですね。 みーちゃん他、登場人物A・B・C。 A・B・Cは別に入れ替わっても気付かない・関係ない感じ。 (そこまで強くはないですね) >なにかをたどっていけば、chirorinrinさんが「ら」の音に >不快感を抱く何らかの要因があったのかもしれません。 きっかけがあるのかもしれないし・・・ 「あたしら」を聞いたのはその時が初めてだったと思います。おそらく。 聞いた瞬間は勿論分からなくて、少し考えて「あぁ、そういう意味か」と分かったと思います。 みい(ら)ちゃん、大きくなれば「こんな風に言われてたんだよ~」って笑い話になると思いますけど、今現在、当のご本人は深刻ですね。 幽霊・おばけに関しては敏感でしょうから。 わたしも小さい頃、すごく怖がってたな~ すっかり大人になった現在はそれほどでもなくなり、あの頃が懐かしい。 どうもありがとうございました!!
- timber
- ベストアンサー率29% (218/739)
> お前ら・あんたら・おめえら・俺ら・あいつら これら(この表現も汚いですか?)は「ら」がついたから汚く聞こえるのではなく、「ら」がない状態でも十分汚く聞こえませんか? 「あたしら」はともかく「私ら」というのはよく聞く言い回しですが、 これも汚く聞こえますか? 「ら」がついてるからどうこうという問題ではなく、 「ら」の前につく単語の語感を強めているだけではないでしょうか。
お礼
こんばんわ、どうもありがとうございます。 >> お前ら・あんたら・おめえら・俺ら・あいつら >「ら」がついたから汚く聞こえるのではなく、 >「ら」がない状態でも十分汚く聞こえませんか? そうですね、もともとが良くない言葉ですね。 「汚い」とは強く言い過ぎたかもしれませんね。少し語弊があるようです。 母の言い方が汚かった、いやだったと言う事でしょうか。 No.3の方と重なりますが、「雑」さ加減が嫌なようです。 「達」「ども」と比べると急に雑になる。 自分の事をへりくだって言うのは本当は構わないのです。 ただそこにいろいろな形の聞く側の「感情」が絡んでくると、 無意識から意識あるものに変わっちゃうようです。 どうもありがとうございました!
- acacia7
- ベストアンサー率26% (381/1447)
ずーっと昔に国語の授業で聞いた記憶なのでちょいと曖昧ですが。 「方」が目上の者に対して、 「達」が同等の者に対して、 「等」「供」が目下の者に対して、叉は謙譲語として、 というのを聞いた事があります。 そこで、「子供達」は重複だそうです。
お礼
こんばんわ、どうもありがとうございます。 「子供達」は重複・・・・ 子供の元は「子」・・・子ら・・・大人ども・・・ わたし達、私ども、わたしら。 全部、まとめる役割をしていますが、「ら」はその中でも「雑」な感じがするのでイヤなようです。 整理していただき、ありがとうございます。 日本語ってたくさんの言い回しがあり、滞りなく使いこなすのは大変ですね。 つくづく感じます。 普段、何気なく使っていますが、 何かのきっかけで「?」と思ってしまうと、はまってしまいますね。 どうもありがとうございました!
質問者さん 辞典で調べましたら「~ら」や「~ども」を3~4種に分類して示していますね。人称で分けなおしてみるとこんな感じかもしれません。 (1)「彼」「子供」「それ」「これ」の三人称などに付く「~ら」には特に感情無しの指示語として使用されるようです。 (2)また二人称や三人称などに「~ら」や「~ども」が付くと特に下位の者への見下しが入ってくるようです。 (3)ところが一人称に付いた「~ら」も「~ども」も「謙譲」の色彩が出るのはおもしろいです。 では 瀬戸内のはずれの町よりsa
お礼
ご回答、どうもありがとうございます。 >「彼」「子供」「それ」「これ」の三人称などに付く「~ら」には >特に感情無しの指示語として使用 今回の「子供達」はわたしにとって勿論「他人」で、 本来なら何も感じないはずですが、このたびの事件により 気持ち的には全くの「他人」でなくなっているのですね。 ですから、仰るような“感情無しの指示語”として受け取れず、 いちいち反応してしまったようです。 No.1の方へも書きましたが、 そこには「性差」も関係しているのではないかと、付け加えさせてください。 男性が言った方が「さまになる」「ふさわしい」「おかしくない」ものがあると。 余談ですが、5月末に初めてひとりで尾道・瀬戸田まで行って来ました~! どうもありがとうございました。
こんばんは。 「等」の字を書いて、人が複数人いるということを表す「ら」という接尾語のことですね。 確かにこの言葉は、普段は蔑視の時に使われることが多くなってしまっていますね。でも、本来は、この言葉は漢字「等」なので、親しみのある仲間や自分たちが目上の人に対して使うこともある言葉なんです。 「ぼくら(僕等)」、「われら(我等・吾等)」、「かれら(彼等)」などの時は、別に、「おまえら(お前等)」などのなんとも言えない乱暴な響きはないですよね? つまり、「等しい」間柄の人が複数集まったときに使う言葉でもあるんです。 仰るとおりあの一連の報道で「子どもら(子供等)」といったときには確かに、子どもという存在が、大人の付属(大人の都合だけでいる存在)のようにしか報じられていないので、「おまえら」「てめーら」などと同様な響きを持ってしまいますよね。仰るとおり、「子供たち」のほうが耳あたりはよろしいですね。 ただ、「ら(等)」は決して、全部の場面において相手を卑下してしまう言葉ではありません。 今回、このように感じられたのは無責任な報道が横行しているからかもしれませんね。
お礼
ご回答、どうもありがとうございます。 >「ぼくら(僕等)」、「われら(我等・吾等)」 そうですね、これらは逆にあったかい響きがあります。 しかし、どうして「あたしら」「わたしら」は良いように聞こえないのか・・ と、また考えました。 そして女性でなく、男性が使うと悪くない、と気付きました。 母がおんなで、しかもわたしの小さい時だから、まだ若かった。 だから、すごくイヤだったのかもしれない・・・ >ただ、「ら(等)」は決して、全部の場面において相手を >卑下してしまう言葉ではありません。 仰るとおりです。今回わたしは「ら」について幅を広げすぎたかもしれません。 ○うちの子供ら・・・わたしが対象だと多少ムッとします。しかし全くの他人が言っているのには、特に感じません。 我が家の親子関係が関係しているのかもしれません。 ○おたくの子供ら・・・相当仲のよい知り合いに言われるのは良い。 ○拉致被害者の子供ら・・・他人には言う筋合いも言われる筋合いもない。と感じます。 言い手と聞き手(わたし)との間柄・これまでの感情のやり取りに影響するのかもしれませんね。 良くないので、いちいちムッとするのかもしれません。 わたし自身の問題でしょうか・・・ 僕ら・・・ほんとうに親しい気持ちが伝わってくる言葉です。 どうもありがとうございました。
お礼
saudadeさん、再びのご回答どうもありがとうございます。 >「~ら」は話し言葉として特に俗語的な用法の性格が強いために、 >公共の放送に使われると違和感を覚える >しかしその一方で「~たち」では得られ難い語呂の良さが >「~ら」に有るのも事実でしょう。 「さんまのからくりテレビ」などでおばあちゃん達が使ったりするのは、ほのぼのしてて良いですよね。 ニュース・ワイドショーでなく一般人だからですが。 日本語の良さとも言えるのでしょうね。 >これらを「あたし・など」「ここ・あたり」「そこ・あたり」等に変えると >上品になりましたでしょうか。 全然です、変です。 思わず、ガイドブックを見ました。しかし、広いので何が何だか・・・・ どうもありがとうございました!!