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ドストエフスキの「大審問官」の問い

melchizedeの回答

回答No.4

こんにちは。一応クリスチャン的な立場からお答えします。 ・人間は「神」よりも、まず「奇跡」を求める  人間の弱さというか信仰の弱さを皮肉った言葉でしょうか。見えないものよりも、見えるものにすがってしまう弱さですかね。イワンはそれを「人間というものは」と言って一般化しようとしていますがそんなことはないと思います。聖書には「信仰は聞く事柄から生じる」(ローマ10:17)とありまして、正確な知識や理解があれば奇跡がなくても強い信仰を持つことはできますよ。  また、奇跡は信仰を強めるもことありますが、興味本位の好奇心だけで終わってしまう人もいます。 イエスの奇跡を見たユダヤ人の中にはそんな人々もいました。 「コラジンよ、あなたは災いです! ベツサイダよ、あなたは災いです! あなた方の中でなされた強力な業がティルスやシドンでなされていたなら、彼らは粗布と灰の中に座ってずっと以前に悔い改めていたからです。したがって、裁きの際には、あなた方よりティルスやシドンのほうが耐えやすいでしょう。そしてカペルナウムよ、あなたが天に高められるようなことがあるでしょうか。あなたはハデスにまで下るのです!(ルカ 10:13‐15) そして十二弟子のトマスですらも、初めイエスの復活を信じず、実際にイエスを見て触れるまでは信じないと言い張ったことがありました。それに対しイエスはトマスの前に現われ「あなたはわたしを見たので信じたのですか。見なくても信じる者は幸いです。」と諭しています。このことから、人にはそうした信仰が可能であり、また勧められていることがわかると思います。(ヨハネ20:29)   ・おまえ(キリスト)は選ばれた者のためだけにやってきたというのか  そのくだりでは、黙示録の7章の14万4千人の記述が引用されていましたね。ですが同じ章の9節からでは選ばれた彼ら以外にも「すべての国民と部族と民と国語の中から来た、だれも数えつくすことのできない大群衆」が救われる者として記れています。また使徒パウロはクリスチャンだけでなく、キリストの教えに接したことのなかった人たちにも救いの機会が公平に与えられることを示し「わたしは神に対して希望を持っておりますが、その希望はこれらの人たち自身もやはり抱いているものであり、義者と不義者との復活があるということです。」と語っています。使徒24:15。 ・強い人たちが堪え忍んだことに、それ以外の弱い(しかしおまえを愛している)人たちが堪えられなかったからといって、何が悪いというのだ。人間はおまえが思うよりも遥かに弱く作られているのだぞ 聖書には「すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しない」(ローマ3:23)とあります。ですが不完全で弱い人間に対する神やイエスの見方は以下のとおりです。 神はわたしたちの罪に応じてわたしたちを扱うことをされなかった。 わたしたちのとがに応じて、当然受けるべきものをわたしたちにもたらすこともされなかった。・・・・・父が自分の子らを憐れむように、 エホバはご自分を恐れる者たちを憐れんでくださった。神ご自身がわたしたちの造りをよくご存じであり、 わたしたちが塵であることを覚えておられるからだ。(詩編 103:10、13、14) わたしたちは、わたしたちの弱いところを思いやることのできない方ではなく、すべての点でわたしたちと同じように試され、しかも罪のない方を、大祭司(イエスを指す)として持っているのです。それゆえ、時にかなった助けとして憐れみを得、また過分のご親切を見いだすために、はばかりのないことばで過分のご親切のみ座に近づこうではありませんか。(ヘブライ 4:15‐16)

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