• ベストアンサー

現代文の不明点

GOO4444の回答

  • GOO4444
  • ベストアンサー率17% (4/23)
回答No.2

なぜAが正解か?  それは問題作成者がAを正解としたからです.  国語の問題回答に真理は不要です.問題作成者の思いを  読むこと(どういう回答をして欲しいか,最近流行の  空気を読む)が重要です.  自分には正解が読めませんが..

noname#92953
質問者

お礼

>自分には正解が読めませんが.. 僕もそうです。だから質問しているのです。

関連するQ&A

  • 腹を割るのか、それとも、袈裟まで憎むのか

    いまの日本社会に生きる人々にとって、マイノリティ集団などに代表される、異質な他者に出会ったとき、どのような「態度」をとることが最も好ましいと考えるのでしょうか? 1.いっぺん、飲食の場などを利用して、お互いに腹を割って語りあい、「仲間」として認め、社会のなかで受けいれること 2.坊主憎けりゃ袈裟まで憎いといわんばかりに、憎悪の感情を持ちつづけ、社会から徹底的に排除することに熱心になること

  • 《オタク》は 他者性を避けているか

     次の文章の説く実態について 解説やら批判やらをおしえてください。具体的な感覚や実態が分からないのです。  ▲ (大澤真幸:不可能性の時代) ~~~~~~~~~~~~~~~  オタクに関する相反するイメージに遭遇する。一方で われわれは オタクは 対人関係が苦手で 他者との接触を回避する傾向がある ということを知っている。だが  他方で オタクには 明らかに他者を求める欲求がある。オタクの多くがインターネットの熱心なユーザーである。彼らは しばしば同人誌を作り さらにはコミケのような同人誌の即売会を組織したり それに参加したりする。・・・  このような二重性を どのように統一的に解釈すればよいのか? だが この点に関しては 解釈は容易であるように思える。・・・  オタクが交際を求める他者は 一般に 同じ《趣味》を共有するオタク仲間である。つまり それは 類似性――それぞれのオタクを他の人々から分かつ弁別的な特性に関する類似性――を 本質とする他者である。ところで 他者の他者たる所以は 差異性にこそある。他者についての経験は 何であれ 差異をめぐる経験である。そうであるとすれば オタクが欲求している他者とは 他者性を抜き取った他者である。  (III オタクという謎 pp.109-110)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 一点 論点のようなものも示します。  ▲ 他者の他者たる所以は 差異性にこそある。  ☆ のは まったく真実だと考えますが そもそも ひとは 他者の内に 自分とのその差異を捉えることが出来るでしょうか? 捉えられるのは 自分の中にも かすかにでもある性格などに限られませんか?  差異としての他者を捉えることが出来れば このような《オタク》の交際における片寄りは 批判すべきだということになりますが 出来なければ オタクでなくても そのような交際における片寄りは ひとにとって 一般的だとも考えられます。  この点についても よかったら ご回答の筆を伸ばしてみてください。

  • 仏さんっているの?

    仏さんっているんでしょうか? だとしたら「仏様を生で見た」という人がいてもいい気がします。 有名なのは千本の手をもつ観音様だったり、大仏の手が水掻きみたいになってるのはすべてを救いたいもしくは取りこぼさないようにそうなってると言われてますが、 人々の願望が具現化した「後付け」であると考えます。 実際にそういう仏さんがいたとかじゃなく人の感情の潜在的な部分をもしくは願望を仏さんという可視化をしたにすぎないと思います。

  • 人間関係が希薄になってきているとはどういうことですか?

    平成生まれです。 よく「昔(昭和後期)と比べて人間とのかかわりが希薄になっている」とか、「地域のコミュニティが機能していた」という昭和生まれの人の声を聞きます。原因としてネットなどがあげられ、引きこもりやニート、不登校を作る社会背景がよく問題にされますが、私は、人間関係が希薄になっていると感じたことは無く、なぜそのようなことが言われているのかわかりません。 もし、人間関係が希薄になりつつある状況に耐えられない人々が大勢いるのであれば、時代がどう流れたところで、希薄化する方向には向かわないと思うのです。 単に昔を美化しているようにも聞こえますし、人間関係が実際に希薄になっているのだとしたら、人々が互いに面倒な部分を少しずつ切り捨てているということだからいいのでは、と思ってしまいます。 人間関係が希薄になっているというのはどんなことですか。 また、なぜそのように考えるのか教えてください。 そのように思わない方は、理由も教えてください。

  • 事故や自傷を願ってしまう気持ち

    所属するコミュニティの雰囲気や人間関係に悩みを持っています。 やめればいいのかもしれませんがやめれない事情もあって。 このことは自分なりに解決するつもりなので詳しく書きませんが、このせいで日常生活のなかでふと「ここで事故にあえば何のしがらみもなくやめられる」とか「骨折してしまえば…」とか思ってしまいます。 頻繁に、というわけでもありませんが、変な企みとかではなく本当に自然にそう思っている自分がいて…。 友人に少し相談してみたら結構やばいんじゃないかと言われ、確かにそうなのかもしれないと気付きました。 実際に事故を起こそうとかは今のところ全く思わないのですが。 ここで質問なのですが、このような事故願望とでもいうようなものは普通に生じうる気持ちなのでしょうか? それとも心の病の前兆なのでしょうか? 自殺願望にまで発展してしまうようなものなのでしょうか? 心理学的な分析など専門的な話も聞けるとうれしいです。

  • 友達関係が自然に消滅していきます。(`・ω・´)

    友達関係が自然に消滅していきます。 連絡をどうしても取りたければこちらから 積極的にアクセスしていくしかないでしょうか? 半年に一度とか近況報告したりして繋がりをもっていればまた関係が復活したりしますかね? その友達とは所属していたコミニティーが同じで同じグループラインに加入して やり取りしていたのですが、そのコミニティーを自分は就職で卒業して その人はそのコミニティーが合わなくなってやめるみたいなので 関係が途切れる感じです。 出来ればその人達と友人関係を続けていきたいのですが、 LINEやTELの番号をしっているので時々、迷惑にならない程度に連絡するしか 方法はないですかね? アドバイスよろしくお願いします。 いつもそうなのですが、所属コミニティーから互いに離れて関係が希薄になってくると友人関係が解消されてしまいます。 昔と違うのは携帯番号やLINE番号を知っていることぐらいですかね。 それを知っているので一応連絡は取れることがあるので、完全に分からなくなったわけではないのですが、寂しいです。 (`・ω・´) アドバイスよろしくおねがいします。(`・ω・´)

    • ベストアンサー
    • LINE
  • 1974年頃の韓国の世情について

    1974年頃の韓国はベトナム参戦の影響で高度成長期にあったといいますが、実際に人々の暮らしはどのようなものだったのか、文化や習慣など具体的に知りたいです。また、当時の中国、香港、日本との関係(意識)はどのようだったのでしょうか。互いに行き来することや、共同で会社を興すことなどは可能でしたか?

  • 恋愛で成長するとは・・・

     恋愛するとお互い成長できるとよく聞きますが、具体的にはどのような点が成長するんでしょうか?  恋愛は喜怒哀楽などの感情が経験できる。この部分が何か関係してくるのかな~と勝手に思っているんですけど。教えてください。

  • 福祉に関する小論文の添削

    5月7日にある福祉法人の最終面接があります。そこで、「あなた自身が考えるノーマライゼーション」についての小論文があります。とりあえず書いたのですが自身がありません。皆様の添削をお願いします。 参考資料:小学館文庫「小倉昌男の福祉革命」 用紙:原稿用紙1枚(400字) 小論文  私が考える第一のノーマライゼーションは、「コミュニティの越境」である。なぜなら、コミュニティの形成が簡単にできる今の世の中において、人々のコミュニケーションが蛸壺化になっているからである。これでは問題や弱者のニーズの共有が難しい。解決には、井戸端会議のような気軽に人が集まれて意見を出せる場所があることは、誰がどんな問題を持っているか・弱者のニーズを互いに知り、解決策を導き出す上で重要だと考察する。  私が考える第二のノーマライゼーションは、「格差や差別のない社会の形成」である。これは一般的な定義にもあるかもしれないが、格差や差別を徹底的になくさないと偏見が存在し続けてしまい、障害者が普遍的な生活を送れなくなる可能性がある。その可能性を回避するためには、学生の頃から福祉(弱者を中心に)を学んで充分な知識を得ることが大切である。知識を持たないとノーマライゼーションに携わることは不可能であると私は考察する。 *第二のノーマライゼーションに関してはこれでよいのかと悩んでいます。別の視点か何かありましたら、教えていただけると幸いです。

  • アンダークラスは互いを尊敬しない?

    スレッドを開いて頂きありがとうございます! ポーランドの社会学者ジグムント・バウマンは、その著書『コラテラル・ダメージ』の中でこのような示唆をします。 「アンダークラスの人々は、自分と同じような惨めな状況にいる他者を決して尊敬しない。アンダークラスの人々が集い、協力し、コミュニティを形成することはない。貧困とは、何よりもまず孤立を意味するのである」 バウマンは、孤立するのは貧困者であると指摘します。 そして私が思うに、このような事は「経済的な」貧困者だけに限った事ではないでしょう。 コミュニケーション能力貧困者、容姿貧困者、運動能力貧困者、学歴貧困者、etc... 貧困であると、競争で負けるだけではなく、本来は利害関係や貧富の差が問われないはずの「コミュニティ」への入場さえ制限されてしまうのではないしょうか。とすれば「コミュニティ」とは、本当は存在しないものなのでしょうか? ど素人の回答でも全然ウェルカムです。 ただし、PSYTEXの回答だけは断固お断り致します。 よろしくお願いします!