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大乗非仏説の立場から見た「諸行無常」

Samantabhaの回答

回答No.2

経典の根拠については私も示せないのですが、先の回答にもあるとおり、諸行無常から脱することが仏教の目的だと思います。 この「諸行無常」という言葉ですが、典拠は『涅槃経』です。「諸行無常、是生滅法。生滅滅已、寂滅為楽」という「雪山偈」の一部です。これはお釈迦さまの前世の姿である雪山童子が羅刹に聞いた偈ということになっています。 これを訓読すると、「諸行は無常なり、是れは生滅の法なり。生滅滅し已わって(おわって)、寂滅を楽と為す」となります。 つまり、「我々の世界は無常である、そしてそれは苦である、だからその苦を脱して、永遠の楽である涅槃の地を求めるのだ」ということになります。 「諸行無常」というのは「この世界は無常で苦である」→「だからこの苦から脱するのだ」という仏の教えを説く時の“前提”であって、「仏の教えや悟りの世界も無常なもの」と言っているわけではないと思います。 ということで、 (1)お釈迦さまの教えといえばお釈迦さまの教えといえますが、「この世の中は無常である」と、お釈迦さまが見て取った、ということだと思います。 (2)お釈迦さまの教えも、ある意味、流動的です。それは対機説法であって、個人個人の資質に合わせて法を説き、八万四千の法門があるといわれることからも「常」ではないと言えると思います。 けれども、仏教の最終目的は、「諸行無常」の世界から脱して「常楽我浄」の涅槃に入ることです。涅槃の世界は「常」であると積極的に説くのが大乗仏教です。上座部仏教で涅槃を「常」と説くかどうかについては私は不案内ですので分かりませんが、少なくとも、上座部でもこの世の中を「諸行無常」と見ていたことはほぼ間違いないと思います。 なんだか、あまりきちんした回答にならなかったかもしれませんが、意をお酌み取りいただければと思います。

baka-hage
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。非常にやさしい言葉で記していただいて、わかりやすく読ませてただきました。 >>この「諸行無常」という言葉ですが、典拠は『涅槃経』です。 >>これはお釈迦さまの前世の姿である雪山童子が羅刹に聞いた偈ということになっています。 「玉虫厨子」に描かれたものですね。確かあれは聖徳太子の前世譚になっていましたけど、間違いなく『涅槃経』の物語ですね。 >>「諸行無常」というのは「この世界は無常で苦である」→「だからこの苦から脱するのだ」という仏の教えを説く時の“前提”であって、「仏の教えや悟りの世界も無常なもの」と言っているわけではないと思います。  確かに「悟りの世界(以下、出世間と呼びます)」は諸行無常ではないと思います。しかし、出世間の教えを「娑婆世界(世間)」に説くわけですから、出世間を今一度脱して世間に戻す作業、つまり「出出世間」が必要になると思うのです。  だからこそ、お釈迦様の伝記を見れば菩提樹の下で悟られて後、お釈迦様はご自身の教えを娑婆世界に広げるかどうかを悩まれたのではないかと思うのです。 >>「この世の中は無常である」と、お釈迦さまが見て取った、ということだと思います。 私もそのように思います。 >>個人個人の資質に合わせて法を説き、八万四千の法門があるといわれることからも「常」ではないと言えると思います。けれども、仏教の最終目的は、「諸行無常」の世界から脱して「常楽我浄」の涅槃に入ることです。 ここです。ここが「出出世間」なのではないか。このときに数多く方法をもって「常楽」へと導く「出出世間」であっても、「世間」に存在している以上「常」であることはないのではないか?? と思ったわけです。まぁ、私のたわごとですね。気になると聞きたくなっちゃうんですよ。私の悪い癖ですね。お付き合いいただきまして、まことのありがとうございました。

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