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大乗の思想の最古の文言は?

中村 元訳「維摩経」 深く道を求める心は、すなわちぼさつの浄土である。ぼさつが仏と成ったときに、徳を具えている衆生がやって来てその国に生まれるであろう。 1 この文言の意味を正しくは理解できませんが、ここにはどうやら大乗仏教の発想がはっきり表れている気がします。この感覚は的外れですか。 2大乗の教えに直結する最古の文言を探すとします。どんな経典に初登場していますか。維摩経でなく般若経内を探す方がよさそうですが、般若経といっても山ほどあるのではないですか。大乗の思想が端的に表れた最古の文言は何という経典にありそうですか。 よろしくお願いします。

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回答No.4

sono-higurashi様、お世話になります。 原始仏教と大乗仏教は、空の思想で、一直線につながっていると思います。インド論理学者の石飛道子女史は、龍樹の『中論』は阿含部経典のエッセンスであるという立場を表明しています。 http://homepage1.nifty.com/manikana/b&rlogic/b&rlogic.html http://homepage1.nifty.com/manikana/essay/reincarnation3.html http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/sunna.html 『マッジマ・ニカーヤ』第121経で釈尊は、「空」と「空性」の境地を明確に区別し語り、「空性」という言葉を使う時には、「空」ということを一切におよぼしたときの悟りの境地として語っています。「空性」とは私たちの日常の言語活動の一切をおおいつくす境地といえます(『ブッダと龍樹の論理学』219P)。 釈尊は、『スッタニパータ』で解脱の境地を、「想い(サンニャー)を想うものではなく、想いを離れて想うものでもなく、想わないものでもなく、虚無を想うものでもない。―このように知ったものは、色形を滅する。というのは、想いを原因として、多様な言語世界(パパンチャ)の名称が起こるからである。」(874)と説き、多様な言語世界が滅することにより、解脱というものがあると説いています。聖者の境地として、「多様な言語世界が滅する」境地とはいかなる境地であるかは、私というよりも、凡人の理解のレベルを超えた境地ですので、説明することはできませんが。 龍樹も『中論』の中で、「行為と煩悩が滅するから、解脱がある。行為と煩悩は、思慮分別によって起こる。これらは、多様な思い(プラパンチャ)にしたがってあるが、多様な言語・表象世界(プラパンチャ)は空性(シューニャター)の中に滅するのである。」(18.5)と、自らの禅定の境地を語っています。 ゆえに、釈尊は、すべての万物は実体のないものだと説きます。必然的に般若経の教えとも直結することになります。 「色かたちは泡沫のごとくである。感受作用は水泡のごとくである。表象作用は陽炎のごとくである。形成作用は芭蕉のごとくである、と日のみ子(釈尊)は説きたもうた。 瞑想するに応じて正しく考察するならば、それ(万物)を正しく観ずる人にとっては、〔万物は〕実体なく、空虚である。」(『サンユッタ・ニカーヤ』) しかし、ご承知のように説一切有部等の部派仏教では、75法のダルマの実体を説き、釈尊の説いた一切皆空の教えが忘れ去られてしまうことになったのです。僧侶は人里から遠く離れ、高邁なダルマの体系の哲学論議に明け暮れていた時代にあって、もう一度、釈尊の原点に返って、空思想を蘇らせようとしたのが、大乗仏教における般若思想であり、それを論理的に大成させたのが龍樹であったのです。 原始経典においても、仏教とは、もともと空の教えであり、しかし、この空の教えは深遠であるゆえ、いつの日か、それが忘れ去られるであろうことが説かれています。 「修行僧らよ。未来世に修行僧どもは次のようになるであろう。如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と相応しているものであるが、それらが説かれたときに、われらはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしない、了解しようという心を起こさないであろう。それらの教えを、受持すべく熟達すべきものであるとは考えないであろう。」(『サンユッタ・ニカーヤ』) 釈尊も龍樹も、私たちの言語活動の一切を聖者の空性の境地から止滅させ、これによって煩悩を消滅させ、解脱を得たことが知られます。言語活動の一切を聖者の空性の境地から止滅させ、すなわち、否定したということは、一切皆空と悟達したことを意味しています。 『ウダーナヴァルガ』12.7に、「<一切の形成されたものは空である>(一切皆空)と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である。」とありますが、釈尊のこのような解脱のプロセスを見れば、ここに説かれている「一切皆空」が、大乗仏教の一切皆空と概念的に同一であることが判明します。 宮元啓一氏は、大乗衰退の一因として、般若経典が編纂された当初は、空の教えで既成の仏教を批判した高揚感にみちみちていましたが、気がついてみると、自分たちが広めていたのは、原始経典に説かれた釈尊の教えであったと気づき、みるみる新しい仏教を広めようとする高揚感が失われていったとしています。龍樹はその辺は百も承知で、釈尊の心の襞にまで精通していたのだと思います。やはり、龍樹以降が問題でしょうか。 空と大乗の菩薩思想との関係ですが、この点については、中村元氏が『空の論理』の著の中で、「空はいかに慈悲を基礎づけ得るか?」の章の中で語っていますが、要約すれば、「慈悲とは自己を捨てて全面的に他の個的存在のために奉仕することである。<中略>他の個的存在のための全面的帰投ということは、自己と他者との対立が撥無される方向においてのみ可能である。」と述べられ、お互い、相対立するもの同士の間でも、深層の命においては、すべてが空という点で絶対に平等であるという共通の認識が、それを可能とする根拠となると結ばれています。 その意味では、智慧第一のサーリプッタは、『テーラーガーター』の中で、般若波羅蜜に達したことが説かれていますが、同時に、中村元氏によれば、慈悲の教えに極めて精通していたということです。日本の仏教はサーリプッタ教であるとも語っていました。慈悲の思想は釈尊の教えの根幹でもあり、サーリプッタは深くそれを体得していたのでしょう。釈尊は六年におよぶ苦行の中では、断食や、止息行等の苦行が語られますが、同時に、この時期に「慈心を修する」修行をしていたことが原始経典に説かれているようです(中村元著『原始仏教の思想I』だったかと思いましたが)。中村元氏は、このところは深く活目すべきであると語っていました。 しかし残念ながら、釈尊入滅前に没したサーリプッタに対する釈尊の教えは、原始仏典には、ほとんど残っていないのが実情です。増谷文雄氏は、釈尊がサーリプッタに対して説いた深遠な教えは、圧倒的に多かったはずであり、それらの教えが原始経典にはほとんど残っていないと語っており(角川ソフィア文庫『仏教の思想1 知恵と慈悲』)、中村元氏も『仏弟子の生涯』の中で、サーリプッタに語ったブッダの教えはどこへ行ってしまったのかと語られれています。 また、解空第一といわれたスプーティの教えが、『テーラーガーター』には一句しか残されていません。これは明らかに、大乗の空の教えが、経典編纂者により抹殺されたものであろうと中村元氏が語っています。 仏性の教えについていえば、角川ソフィア文庫『仏教の思想4 認識と超越<唯識>』の中で、服部正明氏は、大乗仏教の仏性につながる、「自性清浄心」の教えは、釈尊の教えとして滅後まもなくは権威をもっていたそうですが、上座部はこれを無視し、また説一切有部においては、かえってこの教えに対して反駁し、その結果として、原始仏典には今日わずかに散在するのみとなってしまったと語っています。 このように見ると、大乗仏教の教えは、原始経典から、サーリプッタの経典結集前の死のような場合もあれば、故意的に原始経典から抹殺される場合もあり、その最古を探すのを、極めて難しくしているように思います。 とはいえ、大乗仏教の根本思想である「空」という点についていえば、原始仏典にその出処を明らかに見出すことができるかと思います。

sono-higurashi
質問者

お礼

毎度、懇切な解説を頂き恐縮しています。 今の私には高度に過ぎますが、他の閲覧者が参考にしてくれそうに思いつつ拝読しました。 1 キーワードを大量に頂戴しました。 ・『ブッダと龍樹の論理学』、『マッジマ・ニカーヤ』、『スッタニパータ』、『中論』、『サンユッタ・ニカーヤ』、『ウダーナヴァルガ』、『空の論理』、『テーラーガーター』、『原始仏教の思想I』、『仏教の思想1 知恵と慈悲』、『仏弟子の生涯』、『仏教の思想4 認識と超越<唯識>』 ・ いしとび みちこ氏のWEBサイト「MANIKANA HOMEPAGE」 ・ 「空の思想」、「仏性の教え」 何れも今は宝の持ち腐れですが、将来「空の思想」の戸場口くらいは分りたいものだと思います。そのとき、役立ってくれそうです。 2 頂いた『スッタニパータ』874をヒントに調べてみました。537、872、1100なども「空」の考え方に結びつくような印象をもちました。 3 『スッタニパータ』の中で盛んに、五感の頼りなさは説かれているので「色即是空」の3割位は分っているような気分でいましたが、そうではないようで白紙に戻りました。 4 『スッタニパータ』557で「わたしがまわした法輪を、サーリプッタがまわす。」とまで師に言わしめたサーリプッタの消息が、あまり登場しないというのは意外です。 5 大乗の教えと空の思想が密着していることは、言葉としては承知していました。将来は、ふーん程度には理解したいと思います。 ご回答を有効に生かすことができなくて済まなく思います。これでも一字一句疎かにせず拝読させて頂いたという意味で記しました。 思想としては大乗仏教の方が進んでいる気がします。しかし、これを自分の言葉で述べるには厖大な知識と論理の展開力が必要になりそうです。 有り難うございました。またの折があればよろしくお願いします。

その他の回答 (3)

  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.3

個人的な意見ですが、 (広義には)一般衆生を救おうとする意図は、原始仏教にすでにあったわけですから、そこ(釈尊の教え)が大乗の教えの原点であると思います。  (狭義には)大乗、小乗という区別は派閥争い的な面から、みずからの派閥を大乗と呼んだことに始まったという説が正しければ(不確定ですが)、般若経内に大乗という言葉が始めて出てくるのですから、そこが狭義の大乗の思想の最古の経典だと思います。ウキペディアが正しければ『八千頌般若経』(紀元前後 - 1世紀)になるかもしれません。 (産経新聞) >アフガニスタン・バーミヤン渓谷(バーミヤン州)の石窟寺院跡から1990年 代に見つかったとされる仏教経典の写本の中に、2~3世紀に書写された賢 劫経(けんごうきょう)と呼ばれる大乗仏教の経典のひとつがあることが、佛教 大学(京都市)の松田和信教授(仏教学)の調査で分かった。大乗仏教は中央 アジアを経由し中国や日本などに伝わった仏教で、中国・新疆ウイグル自治 区のホータン近くの仏教遺跡からは5~6世紀の写本が発見されているが、今回の写本はこれより約300年古く世界最古。大乗仏教の成立などを研究する貴重な資料という。

sono-higurashi
質問者

お礼

>>そこ(釈尊の教え)が大乗の教えの原点である 理解の深さは違うにしても、どうもその筈だろうとの印象をもっていました。 >>『八千頌般若経』(紀元前後 - 1世紀)になるかもしれません。 やはり、この辺りの見当でしょうか。この経は無作為にページを開けば、如何にも大乗といった文言が飛び込んできます。といっても私の見立てですから真偽は不明です。成立には、釈尊入滅後6~700年程経っているのでしょうか、相当理論化が進んでいると見ます。字面としては掴めても、さてその真意となると、分った気になるのは危険そうです。 (産経新聞)の件は知りませんでした。こんな分野まで日進月歩なのでしょうか。 有り難うございました。またの折があればよろしくお願いします。

回答No.2

1について。 『維摩経』自体が、在家仏教のための代表的な経典ですから、大乗仏教の思想が端的に書かれた経典だと考えて間違いはないと思います。中村元氏の『維摩経』については読んだことがないのですが、引用されている文章から見て、サンスクリット語からの翻訳でしょうか。ちょっと難解ですね。 2について。 これはとても難しいと思います。経典の成立年代は確定しているものとしていないものがありますし。また、何をもって「大乗思想」とするかという問題もあると思います。 例えば、「仏性」という概念は「大乗思想」になると思いますが、これが説かれる比較的初期のものとしては『法華経』があげられますし、『華厳経』や『大般涅槃経』にも説かれています。 「空」の思想を「大乗思想」と捉えるならば、やはり『般若経』の類が早いと思います。 各経典の成立年代は諸説ありますが、だいたい、『般若経』類の早いもので紀元前後、『法華経』は二世紀頃には中国で翻訳されていますし、『華厳経』は三世紀頃の成立、四世紀頃の成立とされています。 いずれにしても、“最古の文言”を探すのは難しいと思います。 大乗仏教は一応、“仏の教え”とされているわけですから、そういう意味では最初期の経典である『阿含経』とか『法句経』とかにも、“大乗思想の萌芽がある”と言う人も、もしかするといるかもしれません。

sono-higurashi
質問者

お礼

1 この著者は原典からの翻訳を心がけていて、何処かで漢訳からの和訳に異を唱えていたと思います(これは、うろ覚えです。信用しないで下さいませ。)。 ところで、質問文は筑摩書房、世界古典文学全集7からの引用です。これには 諸般の事情(3つ挙げている)から鳩摩羅什訳「維摩詰所説経」をテキストとし、サンスクリット原文とチベット訳を参照した旨の記述があります。 2 >>『維摩経』自体が、在家仏教のための代表的な経典 分りました。 3 上述の書籍には12の経が載っていて、編者の推定による成立順は 般若波羅蜜多心経、八千頌よりなる般若波羅蜜経、維摩経、阿弥陀経、大無量寿経、法華経、華厳経……ではあるまいか、といっています。 ここに収録されていない古い経の中に大乗の教えが説かれていて、それを承知している方が居られないかと思い、質問しました。 4 >>『阿含経』とか『法句経』とかにも、“大乗思想の萌芽がある” と言う人も、 そうだと思います。純粋に論理に従うと解脱後のゴータマ・ブッタが一人で沈黙していないで布教していること自体が大乗そのものである理屈になりそうです。 しかし、質問文に引用した程度には明瞭な大乗の教えの初出が判れば知りたいと思っています。知ってどうする、といって別段理由がある訳ではありません。 有り難うございました。またの折があればよろしくお願いします。

  • kadowaki
  • ベストアンサー率41% (854/2034)
回答No.1

仏教に関しては全くの素人ですが、管見する限り、「大乗の思想」は《空観》思想の成立や普及と軌を一にしているのではないでしょうか。 とすれば、《空観》思想を大成したのは、ナーガールジュナ(龍樹)ですし、その土台の上にかの『金剛般若経』も成り立っていますので、まずは、中村元著『龍樹』(講談社学術文庫)でもお読みになってはいかがでしょうか。 >ここにはどうやら大乗仏教の発想がはっきり表れている気がします。この感覚は的外れですか。 いや、具体的には、法蔵菩薩が衆生済度の誓願を立てて阿弥陀仏となられたこととちゃんと符合するのではないでしょうか。 その原点は煩悩即如来(涅槃)という発想であり、後世の悪人正機説とも相通じるはずです。 >大乗の思想が端的に表れた最古の文言は何という経典にありそうですか。 龍樹の『大智度論』が最古かどうかまでは分かりませんが、そこに初期の「大乗の思想が端的」に説かれているのは確かです。 なお、この龍樹菩薩様、なかなかの絶倫でいらっしゃったようで、仏教説話には若かりし日のご活躍ぶりが興味深く記されております。

sono-higurashi
質問者

お礼

1 最近此処に出入りをするようになっての感想ですが、宗教絡みの話題は真の意味での研究者か自称素人のご回答が偏向がなく中立公平なようで無知な人間には有り難いです。 2中村元著『龍樹』(講談社学術文庫)は視野に入れておきます。 3 手近なところに『八千頌よりなる般若波羅蜜経』があります。これは維摩経より古い大乗仏典でナーガールジュナ(龍樹)以前につくられていたのであろう、という情報を得ました。真偽は私には評価できませんが、確かに大乗の教えらしき文言は目に付きます。ただし、これが最古か否かは判りません。 4 まぁまぁ私の感覚でも大乗の匂いは嗅ぎ取れるのかもしれません。最古の文言を探す日限があるわけではありませんから、のんびり心がける事とします。 有り難うございました。またの折があればよろしくお願いします。

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