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大乗非仏説の立場から見た「諸行無常」

maggaの回答

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  • magga
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回答No.15

<<「変化する」というのは、あくまで意図的に「変化させる」のではなく、なんとなく「変化しちゃう」という意味です。>> <<「出来る限り変えないようにしようと言う努力を積み重ねている、テーラワーダの考え方に賛同しています。」大乗とて同じ立場です。>> それは知りませんでしたw …分裂直後のお坊様方の戒律や瞑想などの実践と今の(多くの)大乗の方々との実践はどのぐらい変化しているのでしょう。私には知る機会がないですが…。 「大乗とて同じ立場」と言うことは、大乗にも分裂後に、「ここまではこのようなものをこのように変化させたがこの先はこのような方法を持って変化させないようにする」と言うような事を具体的に提唱し、その努力が垣間見れるものが数多く残っているのでしょうね。 大乗に関してはひどく無知なのでそのようなものに出会っていませんでした。 <<私もそう思います。教科書と評されるだけあって、典拠主義にもとづいた名著です。>> ですよね。このあくまで理性的な態度には読むたびに感動させられます。経典自体も多いし、言葉の意味も結構狭くなっているので解釈の幅が狭く、伝わりやすいのがパーリ語の三蔵の優れた点の一つだと感じています。   <<これについては、保守派の上座部と進歩的な大衆部の「根本分裂」を彷彿とさせます。前者がテーラワーダ仏教、後者が大乗仏教へとなって行きます。このときの根本分裂も、それくらいの差異から始まったと考えられます。>> 私も最初はわずかな差異だったと憶測しています。しかしどこかで変化の許容の歯止めをかけなければ、際限がないんですよね。始めに禁止していたものさえ入り込んでしまい、マ逆のものになる可能性も出てくる。 初期の大乗の方々も個人的には賞賛に値する実践をしていたのではないかと憶測しています。今も賞賛に当たる方々は多々いらっしゃるでしょうが、実践を伴わず、説かず、自分の寺の教えすら守らぬ…在家にすらあたらない生臭坊主が私の目にするところに多く存し、本当に残念で仕方ありません。 一応兄弟のようなものですから心配はしているのですが… <<それが、大乗の始まりであると思います。>> そうなんでしょうか。以前の教えを否定するものすらあるきがします。 <<「何かを「仏法」とするなら仏陀が語られたものと参照し、論理的理性的道徳的に矛盾がない、ことが条件にあった気がします。」もちろんその通りですね。>> 本当に大事なことですよね。 道徳的論理的理性的現実的実践的で矛盾がないことが仏法の核だと感じています。 <<これについても、仏教の歴史から言えば最晩年に成立を見た「密教」でさえ、お釈迦様在世の時からパリッタ(防護呪)が認められていたことからも、当時からその芽生えがあったものと考えられます。>> 「道徳的・論理的・理性的・現実的・実践的・矛盾がない」この範囲を越えなければ問題のないもでしょうね。越えなければ。 <<そういった意味では、誰かが意図的に変えたわけじゃなくて変化しちゃうものなんじゃないかと思うんですよね。>> パーリ語の経典も変わらぬように努力しているが大きな歴史の波によって経典事態が全てなくなったり(可能性は低いですが)、具体的な実践方法を伝えてきた方々がいちど全て途絶えてしまったり(比丘尼も独特な伝承などがあったかもしれませんね)、言葉の問題で(パーリ語自体は単語の意味が狭く、同じ事を幾多の言葉を使って喩えたりしていますのでわずかなものだと憶測しますが)解釈が変わったり。パーリ語自体読める人間がいなくなったり。文化が古代と大きく変容し、喩えなどの解釈が困難になったり…そのようなこともあるでしょうね。 なんにせよ自分の可能な限りの理性を持って数多ある教えから、納得がいくものを探して、噛み砕いて、実践して確かめていき、それを真理と結びつけず、「この範囲でこうだったからこう思う」と真理の護持の態度で「他は全て間違いだ」と言う態度はつつしみ、挑む。それがパーリ語仏典の示すところの「信」の持ち方だとおもいます。 いろいろな信があるとは思いますが、共に精進いたしましょう。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~

baka-hage
質問者

お礼

 何度も、心からの回答ありがとうございます。 >>実践はどのぐらい変化しているのでしょう。私には知る機会がないですが  私はテーラワーダ仏教の方と交流がありますが、大乗仏教に関しても非常に理解のある方が多いですね。瞑想法の具体的な差は私も勉強不足ありますが、大乗仏教でいう『七佛通戒偈』は『ダンマパタ』「すべての悪しきことをなさず、善い事を行い、自己の心を清めること、これが諸仏の教えである」の一句ですが、大乗ひいては日本の仏教にまで大きな影響を与えています。一休さんの書もありますよ。 >>具体的に提唱し、その努力が垣間見れるものが数多く残っているのでしょうね。  はい。存在します。テーラワーダ仏教の方からは、遅い!といわれるかもしれませんが、中国においてはお経を釈尊の言葉に近い読み方にしようという努力がなされていました。ただ、中国語訳大乗経典というものは成立した後ですが、当時の方々の「お釈迦様の教えを変えたくない」という思いは垣間見ることができます。また、お釈迦様がのお説教には節がついていたそうです。「ガータ」伽陀と音写されますが、その流れは日本にも伝わり、浄土真宗には節段という形で残っています。  どの宗派でもお釈迦様の言葉を変えずに伝えたいという思いはもっているはずです。それがなければ、仏教じゃないといえるかもしれません。 >>伝わりやすいのがパーリ語の三蔵の優れた点の一つだと感じています。  私もそういった魅力は感じていますし、勉強させていただいています。 >>在家にすらあたらない生臭坊主が私の目にするところに多く存し、本当に残念で仕方ありません。  耳の痛い話です。私自身がそのような一人かと思います。 >>「道徳的・論理的・理性的・現実的・実践的・矛盾がない」この範囲を越えなければ問題のないもでしょうね。越えなければ。  含みがありますね。確かに、大乗仏教はそういわざる終えないところも多々あります。その辺はどうぞご容赦ください。 >>「他は全て間違いだ」と言う態度はつつしみ、挑む。  仏教者として見習うべき態度であると思います。その度量の大きさが、仏教の大きな魅力だと思いますよ。 >>いろいろな信があるとは思いますが、共に精進いたしましょう。 >>~生きとし生けるものが幸せでありますように~  ありがとうございました。  合掌 南無阿弥陀佛

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