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日米開戦後の駐日・米大使の運命
あの日の朝、東郷外相は、米国および英国の大使を外務省に呼び、ワシントンでハル国務長官に手渡したのと同文の対米「覚書」の写しを手渡しています。 その後、米大使は家族も含めて束縛されたと思いますが、束縛されたときの様子や、日米交換船で帰国するまでどこに収容されて、どのような生活をおくったのか、知りたいです。 そこで質問ですが 1.駐日米国大使館員を束縛した日時。そのとき、重要書類を押収できたのでしょうか。 当然、軍事作戦の一環として綿密なスケジュールを立てていたはずであり、鮮やかに実行したと思っています。 2.日米交換船で帰国するまで、どのような日常生活を送っていたのでしょうか。 些細なことでも、「ガセネタ」のような内容でもかまいません。 なぜ「ガセネタ」が生まれたか、を考える楽しみがあります。 本よりは、Web(日本語を希望します)の方がありがたいです。 ワシントンの日本大使館員やホノルルの総領事館員が帰国するまでの顛末は、かなり具体的に日々の生活ぶりを回想記などで知ることができます。 敵性外国人に対するわが国の「接遇」を知りたいのです。 ご教授下さいますようお願いします。
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お礼
こんなサイトがあるとは知りませんでした。 質問した内容についてはおおよその輪郭を掴むことができました。 さらに質問したこと以上のことを知ることができました。 当時の在米日本公館(ホノルル総領事館を除く)の外交官・官吏、そして新聞記者や一流企業の社員たちは、超高級ホテルに収容されて、安全な生活を保障されています。 ところが一般邦人は、収容所生活です。 このようなことを日米で比較したくて質問しました。 早々のご回答ありがとうございました。