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生きる力を下さい。

IceCocoa31の回答

回答No.24

ご卒業おめでとうございます。 私は「小、中、高、専門学校」と殆ど学校を行っていませんでしたけど、卒業だけは確りとしました。 専門学校だけは、私の心の弱さもあって皆と一緒に卒業することはできませんでしたけれど。 (少し別の話になってますけどね。)  私の知り合いの教師が言っていましたが  受験、勉強で大切なのはその言葉をそのまま覚える事ではないと言っていましたよ。    勉強内容をそのまま覚えてそのまま使えると、確かに学的な仕事に向けた効率化を図る事はできるかもしれません。  ですけれどその分「感性」が養われないのだと。  高速で数式を解いたりその場その場の対応ができる人は増えているかもしれませんが「考える力」が弱くなってきているそうです。    中には「瞬間理解力」や「瞬間状況把握力」「瞬間対応力」を用途や目的を良く考えず強くしていく傾向が少し強くなっているのかもしれません。  良い大学に入って、良い就職について、良いスキルを身に付ける。  確かに間違ってはいないとは思いますけれどね。  だけれどm-mloさん。  「学校では学んだものを活かせる」に「それを学んでいる」のだと思う。  そして「活かせるものを見つけていくため」にあるのだと思う。    その為の「多分野を勉強する機会がある場所」が学校なのだと私は思う。  「受験そのものが大切」なのでもなく  「小学・中学・高校・専門・大学」でも、卒業が必ずしも大切な訳でも無いと思う。  実際に小さい頃に習った知識は私は余り今の職場では使っていません。「数学は掛け算、割り算、確率計算のレベルまで」「英語は単語を少し使用する程度」です。    「学校で学ぶ学力を上手く活用するコツ」を身につけていく方が私はよっぽど後の為になると思います。    高校生活中に突然音楽に目覚めてそっち方面で、学力と呼ばれる勉強をせずに、芸術に力を入れていく人もいます。  そしてそこでお金ももらうことができています。  好きな事して何でお金が入るんだろう、という少し不思議な状態かもしれません。  ですけれどそれは、  その人がその人なりに何かしらで貢献ができているから、お金が貰えている訳です。    お金とサービスはほぼ関連するようなもので、  何か貢献できるもの、何か皆のためになるものがあれば、それは報酬としてお金が貰えるんです。    その方法って  「受験に取り組んで勉強を昇華させて、業務効率をあげるていくこと」だけではなく、他にも沢山あるものだと思います。    ややこしい「√」とか勉強していくよりも、  まだ掛け算割り算の解き方のコツを勉強して行っていた方が、仕事の上では役に立っていたのではないかと思います。  もちろんその「√」を使って何か良いサービスに繋げる事ができるのなら、それでご飯も食べていけるでしょう。    でもやっぱり「今後使わないけれど習うもの」というのも結構あったりするのですよね。    完全にそうとは言い切れませんが、  「√」は音楽家には不要な気が私はします。  また、仮にシュチュワーデスになるのだとしても、「√」は要らないと思います。    二つに必要なのは、  「音楽の知識」や「フライト知識」などでしょうから。  変な話ですがここで、  「√」が不要だとも言い切れず「音楽の知識」「フライトの知識」が絶対かと聞かれたらそうとも言い切れません。    「音楽の知識」にヒョンな事柄で「√」を使った音楽が大ブレークするかもしれませんし、新しい音楽の発見につながるかもしれないからです。  こうなってくると、  「要る時があるかもしれないけれど、要らないと思うもの」というまさに変な日本語です。  多分、それを使う人の使い方によって、それは変わってしまうから、変な日本語になってしまったのかもしれません。    上手く使うのも、何も使わないのも、そのまま使うのも  「それはその人の使い方次第」なのかもしれませんね。   私は嫌な事からただ逃げるだけで、 目の前の現実から背けようとするだけで、 「嫌な事をすると得れる良いこと」にずっと気づけませんでした。 多分幸せは、 良い職について、良い暮らしをして、良い格好をして、良い土地を持って、良い車を揃えるたりすることだけではないと思います。 「本当にそれが好きなら、それだけで、もう幸せ」に思えることもあるかもしれませんけれどね。 私はお風呂掃除も今となっては好きなので それをしている間も幸せだと思えますよ。 その磨いたお風呂に入って貰えて、 家族がゆっくりとした時間を取れるところを見るところは もっと幸せですけれどね。 私は信じて貰えて幸せです。 眠れるのも幸せでしょうし、ご飯食べる事も幸せでしょう。 >今度こそ、うまくいきたい、成功したい、楽になりたいと何度思ったことか。 思うだけではできないことがあります。 成功させる為にはそれ相応の努力が必要だったり、知恵が必要だったりします。 だけれども、楽になろうとすることは 色々な視点を増やしていくことで見つけていくことができると私は思います。 >もしかしたら今度もまた辛いかもしれない。辛くなってまた悩んでも、それでもいいや。 本当、先の事というのは分かりませんから。 私もずっと先が辛いものだと思っていましたが、今は大分と楽になって生活が楽しいと思えるようになれてきました。 一時期全てが嫌で投げ出していて、 あきらめかけていたこともありました。 だけれど、不思議と 心の中に「あきらめずに自分なりの何かを掴む事」をやめなかったんです。 不思議なもので 最初に辛い経験ができるというのはお得なのかもしれませんね。 逆境はただずっと居ると辛いですが、 「それを乗り越える力」が付いた時はとても成長できていますから。 辛いところばかり見ている、そういう境遇になってしまっているのなら それは「無意識に辛いところばかり見てしまう癖」が付いているんです。 韓国の賢者 イ・ギュギョンさんという方が書いた本の中に良い言葉があります。 著書:おなかがすいたら ごはん たべるんだ    韓国の賢者による「短いお話、長い考え」 「 賢者は明るきところのみを見て生くるものじゃ 」 お話の一文ですけれど、 長年を生きてきた人が相手に何か大切な事を伝えたいと思われて 残されたメッセージの一つだと思います。 既に話が脱線してしまって申し訳ありませんが、 私は色々な詩や本を読んで自分が前に進める為の言葉を探しています。 それは同時に その本、その強い人の言葉が無ければいけないほどに 私が弱いところにあったのかもしれません。 また沢山の人にも頼ってきました。 (私は20年以上、誰かに頼る事を知らなかった人です) まだまだ弱いかもしれませんが、 「弱いなら弱いなりに自分の強さを持つこと」はやめませんでした。 前の弱い私は 嫌な事を何一つとして進んでできず、その分得るものも少なかったですが、今では身近なところではありますが、家族の時間のために、風呂掃除を進んでできるようになったところ、は私の強さだと思います。 風呂掃除なんてしたって お風呂入れるか入れないかしか変わらないかもしれません。 だけれどその風呂掃除がまるで魔法のように、1日1日増えるごとに、家族皆で協力する場所というのを作ってくれました。 親父は何もしなかった私が風呂掃除しているのをみて、 「俺も茶碗でも洗うか」と言って、茶碗を手伝いました。 妹はそれをみて、洗濯物を少したたんでくれるようになりました。 母は皆が家事を手伝ってくれるおかげで、料理の献立を考える時間が増えて、いつもより美味しい料理を作ってくれるようになりました。 これは職場でも同じ事でした。 最初に私が行った職場では殆どの人が挨拶しませんでした。 進んで挨拶をしていくと、最初は皆してくれませんが、少しずつしてくれるようになっていきました。 1年も経つと、いままで挨拶をしてくれなかった回りが私に挨拶をしてくれるどころか、皆が皆で挨拶をしてくれるようになりました。 自分からお風呂掃除するにしても、 自分から挨拶をするにしても、勇気が要ります。 一歩踏み込む事で、 もちろん、家族に「珍しっ」って少し変なものを見た風に言われるだけのこともありましたし、ショックもありました。 挨拶をしても、 無視されるだけということもありましたし、逆に余計関係が悪くなったこともありました。(関係が悪くなったのは何故か少しだけで、殆どの場合、みんなと仲良くお話ができるようになりました。) 「自分から何かしてみる」ということは とても大切なのではないかと思います。 あきらめることも、あきらめないことも それは自分自身ですることです。 主観な話になってしまいますけれど、 あきらめてそこで何か失うのなら あきらめずに何かを持っておきたいと私は思います。 仮に私が諦めていたとしても、 諦める事で何か別のものを得れていたかもしれません。 あきらめずに何か自分の心を持っておこうとして、 それを通そうとした事で今の私があるのだとしたら、 それはそれで得るものがあったのだと思います。 「無駄」というものは「無い」のだと思います。 「無い」のだけれども「意思」を持ってすることは、 どうしてだか、後々の自分を強くしていってくれるものだと思います。 ですから、 今質問者さんが持たれている信念というものは とても良いものだと思います。 質問者さんが「こうしよう!」と思える強い気持ちです。 質問者さんが今の自分から抜け出そうとされれば抜け出せます。 その気持ちを大切にされていたら抜け出すことができます。 されていなくても、ふとした拍子で抜け出せるかもしれません。 明日には行き成り漲る力が溢れて抜け出せるかもしれません。 抜け出せるか抜け出せないか分からないし 両方可能性があるのなら、良い方が良いのかもしれません。 どっちが良いとか本当の所はわからないのかもしれないけれど、 今の質問者さんを見ての可能性として私は上に書いたような 「抜け出せる可能性の数々」を感じましたよ。 「あきらめてはいけません」なんていうのは私個人のエゴになってしまうのかもしれません。 実際それは質問者さんが決める事であって私が口を挟む事でも何でもありませんから。 だけれど私は敢えて 「あきらめないで欲しい」と思います。 屁理屈かもしれませんが、 「可能性が沢山見えているのにも関わらず、あきらめる」というのは どうしても私には可笑しな風に見えてしまうからです。 私は皆と仲良くしていくことも、 苦手な父親と会話ができるようになっていくこともあきらめません。 そして、自分が大切なので無理はしません。 「 あきらめないけれど、無理はしない。   だけれども、精一杯やるし、成長したいとも願う。   嫌な事は嫌だけれども、嫌な事でも好きであって、   好きなことはそのまま好きでいること。   そして自分なりのマイペースで自分と皆の良さを見つけていくこと。   」 とても変な日本語かもしれませんけれどね。 この変な日本語は弱かった私を強くしてくれた言葉の色々です。 色々な人達から頂きました。中には毎日泣いている時にペラッとめくった本に偶然書かれてあった素敵なメッセージも入っています。  私は不器用なのでこんなガムシャラな進んで生き方しかできませんが、質問者さんは質問者さんなりの、ご自身にあった進み方を見つけられると思います。    だっておっしゃられている通り  >全て、判断を最終的に決めるのも私です。  なのでしょうから。  

m-mlo
質問者

お礼

IceCocoa31さん、何度も回答してくださり、本当にありがとうございます。 >嫌な事をすると得れる良いこと ぜひこの発想を私にもさせてください。IceCocoa31さんもおっしゃってくれましたが「無意識に辛いところばかり見てしまう癖」が付いていると思う。恐らく、マイナス思考の癖もしみついてしまっていると思います。だから、嫌なことというマイナスなことから、プラスを見出せる考え方を、自分の中にもっていたいなと思いました。小学校のときは「自分の苦手な人の中にもその人のいいところを見つける」といったことをしていたのを思い出しました。最近そういえばしてない。友達と話していても、批判的に、自虐的に喋っていることが多いです。(付き合う友達が自虐的だからということもあるけれど)私は結構、一緒にいる人の性格が自分に移り易いです。移る、というよりは、自分も相手と同じくらいのテンションでいないと、不安になるからあわせてしまう。相手がヤル気ある人なら自分も向上心が沸く。マイナス思考なら、とことん相手の持っている気力に合わせます。「中間」が苦手なんです。「明」か「暗」のどっちかに偏りすぎてしまう。極端な自分。「明」と「暗」のどっちがいいかという問題ではなくて、どちらも必要ということがわかってきたのですが、人間関係ではどうしても、「どちらかに属さないといけない自分」がいます。かってに自分でそう思っているだけなのですが;話がそれました。 >抜け出せる可能性の数々 大学か専門学校かはまだ決まっていませんが、4月からまた新しい環境でスタートすることになります。こんな時チャンスがきそうかな?と考えていればもし突然チャンスが来ても受け入れてあげられるような心をつくれますね。今は辛いから、いきなり「幸せのチャンス」が飛び込んできたら思いっきり拒絶してしまいそうですが。色んな可能性を待ち構えてやる!くらいの気持ちでいれるように、今は準備しよう。 以前、私が塾のおばさんに言われた言葉です。「あなたはさんざん悩むけど、きちんと自分の道を歩いていける」人に言われるとやっぱり嬉しい。自分の道を、多分、私もがむしゃらですが、ちゃんと歩んでいきたい。いつか、正面からぶつかって、失敗してでもいいから立ち向かっていける何かを自分で見つけたいです。ありがとうございました。

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