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心健康

多分それはどうもないのですけど、人生死ぬということに抵抗がない感じがしたのが、2回あります。なんとなくやることをした。生きる価値がなくなるという具合です。私の場合は多分大丈夫ですけど、これって同じ事を考える人っているような気がします。予防できるのですか。昔の武士って切腹ってどうなるんでしょうね。

noname#209756
noname#209756

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  • ベストアンサー
  • hipotama
  • ベストアンサー率50% (116/231)
回答No.2

 今までに自殺を考えた事は、2回あります。 1回目は20代後半、夜中に酒を飲みながら仕事をしていました。仕事が終わってふと時計を見ると、深夜2時を過ぎていました。しーんと静まり物音がしません。そんなとき、外を歩く人がいました。その足音が、静まりかえった闇に響きます。コツ、コツという足音が死神が近づいて来るように感じました。  そのときに、誰かと話したいという衝動に駆られていました。そんな状態の時は、大学の悪友に電話していました。広島で長距離なので、母に「電話代が何で今月は2万円なの」と言われてしまいました。その悪友に電話しようとしましたが、深夜2時なのでいくら悪友でも悪いと思いました。  それでも、寂しさを紛らわせるために誰かと話したいと思いました。それで、思いついたのが「いのちの電話」です。地元の所にかけましたが、「本日の受付は終了しました。」という無機質の録音テープの声が聞こえました。それで、日本全国の「いのちの電話」に電話して、ようやく長崎でかかりました。  自殺する人は夜中誰もいない時にすると言われますが、こんな状況や心情になるのかなと思いました。  2回目は、仕事が忙しく毎日の睡眠時間が4時間という時期がありました。夜中に仕事をしていると、眠くなってしまいます。眠気覚ましに自分の頬を殴りましたが、それでも眠くなってしまいます。  そこで、考えたのは昔の武士は殿居の番の時に、眠気をもよおす時に小柄で腿を刺して眠気を抑えたという話を思い出しました。そこで、ホームセンターで刃渡り30cmの包丁を買ってきました。眠くなったときに その包丁を見ると、眠気が取れ心が落ち着きました。  そのときに、包丁をぐっと押せば終焉でしたがその衝動は起きませんでした。しかし、昼間はその苦しさから逃れるためにどこで死のうか考えたり、実行したときにすぐに見つけてくれるところはどこか考えたりしていました。  そのときには、まだ生の執着があったと思います。自分ががんばればどうにかなると。  苦しくなったときに、思い出すことがあります。それは、医者で癌でなくなった人の手記です。医者であるために、癌の進行というのは、よく分かります。それは、医学の知識がない人よりは辛いと思います。次どうなるかがよく分かるからです。そんなくじけそうになったときに、フランクルという心理学者が書いた「夜と霧」を何回も読み返したそうです。これは、ナチの強制収容所にその著者が収容され、心理学者の目から収容者を観察した物です。そこで、生き延びられた人は明日への希望を忘れなかったそうです。  明日への希望、それがキーワードと思いました。  私の知人で2人自殺した人がいます。その人たちとは、前日、2日前に会いました。そのときには、そのような素振りは一切見られませんでした。2人とも実行したのは、夜中の2時頃だったそうです。その二人は、1回目の私のような心情になり、そのまま逝ってしまったのかなと思います。  質問を読んで、ちょっと気になったので書いてみました。これを読んだ人が明日への希望を持って、踏みとどまればいいと思います。しかし、そのような状態にある人は連鎖する場合があります。若い女性のアイドルが投身自殺したときに、マスコミによって報道されたときに連鎖しました。  踏みとどまるには、「明日への希望」と「対話」だと思います。

noname#209756
質問者

お礼

突発的行動防ぐには個人で行動しないことですね。群れるとはちがったものですね。心の中に崩壊などあるように深層心理ですね。カウンセリングかもしれません、御回答ありがとうございます。

その他の回答 (1)

  • monchi17
  • ベストアンサー率29% (367/1234)
回答No.1

昔の武士の精神と今の日本人の精神は天と地の差ぐらい違いますよ。 死ぬ抵抗ない時ありましたが、今生きてます。 予防は規則正しい生活すれば、基本的に直りますね。

noname#209756
質問者

お礼

自尊心の問題かもしれません。回答ありがとうございます。

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