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"切腹"について具体的なことが知りたい
歴史のなかにはいろんな人の切腹話がありますが、具体的なことがわかりません。 たとえば、正式な切腹(真一文字にかっさばいてグッと引き上げる)を、 ほとんどの人ができなかった原因は、痛すぎて耐える事ができなかったから? それとも、肉を切るのにはけっこうな力がいったから?とか、 なんで女性は腹を切る人もいれば、ノドをつく人もいるのか。とか、 具体的に腹をかっさばくにはどのくらいの力が必要なのか、 など、あまり知られていないエピソードなどもあればぜひ教えてください。 昔のにっぽんってすごいですよね、きれいで 豪快で かっこよくって。 侍魂とか、大和心とか、武士道とか、言葉の響きだけでも鳥肌立つくらい 好きなんですけど、その裏の科学的なこととか、本当の彼等の心理とかが 知りたくて、とりあえずは切腹からお聞きしたく質問しました。 よろしくおねがいします。
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こんばんは。ちょっと医学的な面から。 本当にお腹に刺す切腹ですぐ死ぬ人はほとんどがショック死です。 よく怪我をした人が傷口が服などで覆われてて見えなかった場合、以外と意識もしっかりしてたのに傷口を見た途端・・・ってのがありますよね。あれのもっと酷いやつですね。 それでも死なない場合は、お腹の内外に大量に出血する事で血圧が急激に低下しやっぱりショック死します。 いわゆる失血死、出血多量というやつですね。 この場合はすぐに死なないで数分~10分程度まで持ち堪える事はあったようです。 中には精神力が非常に強い人では、ショックを起こしてもまだ持ち堪える事があったようです。 戦国時代、腹を十文字に切ってもなお死なずに内蔵を掴みだして相手に投げつけたとか、切腹ではありませんが中国の三国志で、漢羽が碁を打ちながら骨を削る手術を受けて碁の相手が失神したとかって話がありますが、こういうのはその類でしょう。 現実に有り得る話です。 戦国時代、自刀式(介錯なし)では、十文字に切って(左脇から刺して右に一文字に引き、左斜め上にミゾオチまで引き上げて真下に押し切る:左右は逆かも)なお死なない場合は、刀を抜いて首にあてて頚動脈を切断するか胸を刺したようです。 江戸時代頃には切腹には必ず介錯が付いてお腹の皮にちょっと刃先を当てるのを合図に介錯人が首を切り落とすという形になったのは、表向きには上に上げたような理由でなかなか死なないで苦しむのを防ぐ為という事ですが、江戸中期頃になると、そんな豪傑も少なく、実際は恐くてお腹に刃を刺せないから・・・というのがほとんどだったようです。 子連れ狼の阿部魁偉状態でしょうか。
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- aschenbach
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「科学的なこと」からは逸脱しますが。 本当に自分の意志で「死にたい」と思ってする切腹のほかに、主君の命令でやむをえずする切腹がありますね。 戦国時代には、いやなら拒めたそうです。どうするかというと、刀を抜いて、相手に斬りかかるのだそうです。もちろん主君の側ではそういうことは承知してますから、ちゃんと用意してある。その敵を斬って斬って斬りまくって、無事逃げられたら無罪放免。 江戸時代にも建前はそうだったのだそうです。だから斬れない竹光にして、腹に当てる(あるいは竹光を取り上げる)だけで介錯した。刃向かわれないためです。腹を切る前に首を切ってるんだから要は斬首なんですが、形式は切腹(つまり実質は死刑だが、形式としては自殺)で、形の上では武士の面目は保たれる訳です。 本当に腹をかっさばく切腹が「復活」するのは幕末になってから。 なお、小生の伯父は陸軍にいた人ですが、その伯父が言ってたことです。東条英機は自殺を図ったことになってますが、あれは自殺する気はなかったんだ、と。東条は戦犯指名されてピストル自殺を図りますが、この時腹を撃ってるんですね。伯父が言うには、いやしくも軍人なら腹を撃ったぐらいで死ねるもんじゃないことくらい知ってる筈だと。 ↓でお医者さんも仰有ってますが、人間そう簡単に死ぬもんじゃないようです。
お礼
あーっ タイムリーです! この間壬生義士伝みてきましたが、そんな場面がありました。 へぇ、無事逃げたら許してもらえるんですか、興味ありますね。 江戸時代の決まりごとって抜け目ないというか、感心するくらい合理的に できてるなって思ったことありますが、竹光ってところも いい感じに考えられてる決まりごとですね。 東条英機の話も初めて聞きました、こんな説もあるんですね 歴史の真相系のはなしっておもしろいですね。 わかりやすく教えていただいてありがとうございました。
- shincha
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こういうタイプの回答を求めてはいないかもしれませんが、知っている限りで回答します。 切腹は平和な時代には武士のたしなみとして儀式化されていて、細かい手順が決められていました。腹に小刀を入れるまでの時世の句を読むことなども、そのひとつだったと思います(この辺りは知りません)。 で、小刀を左の腹に入れ、右に一文字に切り進む。右に到達したら刀を反して斜め上 (たぶん鳩尾)に切り進む。一番上に達したら、きり始めの左に向かって切り下ろす。だったと記憶しています。 ただ、最初の一文字だけでも相当苦しく、倒れたまま卒倒してしまうので、上体が立っている(苦しみを長引かせない)うちに介錯人が首を落とすようにする。一度で綺麗に首を落とすことも難しくて、介錯人の腕とタイミングも重要でした。 また武士が人に向けて刀を抜くことがなくなった江戸時代にはさらに様式化して小刀は竹光になり、腹を切った動作をするようにされます。忠臣蔵の浅野匠守はこれだったとする人がいました。 幕末になり再び本当の腹切りが始まり、第二次大戦が終わるまで切腹が続きますが、介錯人がいないので死ねず、痛みにのた打ち回って息絶えたとか、介錯人がヘタだったので、一度で首が落ちず、わけのわからないことを絶叫しながら・・。とか常に綺麗とは限らなかったようです。
お礼
求めてます!求めてます!!ありがとうございます!! そうですよねぇ、江戸時代とひとくちにいっても 長い年月の間に平和な時期もあれば動乱期もありましたよね。 武士の儀式か… 勉強になります。 介錯人の話もありますよねー 切腹する人の運が悪かったら 首を落とすはずの刀が肩あたりに刺さってしまったり、 おなかに刀がもう刺さってるのに介錯人が怖じ気づいちゃったりって話。 ほんとですね、常に綺麗にとはいかないですね、ありがとうございました。
- terrynorris
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「切腹」といっても戦国時代と江戸時代に入ってからとでは その意味合いが大きく違ってくるのではないでしょうか? 戦国時代では関が原に負けた大谷吉継が、敵に首を 取られるのならと切腹し、家臣に介錯させた後、その首を どこかへ埋めるように言ったそうです。 戦国時代はそんなせっぱ詰まった状況が多かったので あまり制度化はされていなかったように思います。 江戸時代の切腹は逆に制度があり、かみしもを正座した脚の下に はさむというのは覚えているのですが・・・ 後は忘れました。ごめんなさい。 あまり知られていないエピソードとしては、 猫尾城落城の時、城主の黒木家永の切腹にあたって 介錯を務めたのが家永の13歳の娘だったそうです。 悲しい歴史ですねぇ・・・ 一応、インターネットに載っていた「武士の切腹」というのをのせときます。
お礼
”その意味合い”についてはNO.2の方の回答ではじめてしりました。 皆さんすごいですね、こんなマニアックな質問に これだけの人たちが、しかもディ-プで興味深い知識をもって 答えてくれるなんて!ほんと感謝します。 猫尾城落城の話は、もっと詳しく勉強しようとおもいます。 「武士の切腹」はかなり苦しくて痛そうですね(^^;) でも、昔は実際に”切腹”という行為で命をたった人間がいたんですね… くわしく教えていただいてありがとうございました。
- nobu0881
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切腹をした事がないので、あくまでも仮定ですが・・・。 まず、切腹という緊張した状態では、まずもって筋肉は硬くなってます。 そこへ小刀程度では、刺さるのが精一杯かと・・・。刺さったとしても、内臓(特に腸)は柔らかいです(ホルモンを思い浮かべていただければ解かるかと)。固定していないホルモンを切る事は難しいです。そして、痛みに耐えようとする行為により、筋肉は硬くなり、意識が遠のきます。事切れるまで時間がかかるので、介錯人が必要だったのかと思われます。 ですから、切腹の成功にはかなりの根性と気力が必要だったのでしょう。 女性にはそれだけの体力と気力が無いと判断されていたので、喉を突くなどという手段をとったのではないでしょうか。 あとは、刃物の切れ味ですかね・・・。 ながながと失礼しました。
お礼
緊張して筋肉が硬くなるからですかっ すごく納得できました。 そのうえ固定していない内臓… 臨場感あふれますねぇ、自分じゃそういうこと 思いもつかなかったのでしることができて すごいうれしいです。ありがとうございました。
お礼
いろいろな角度からしかもわかりやすく教えていただいてありがとうございます。 >よく怪我をした人が傷口が服などで覆われてて見えなかった場合、以外と意識も しっかりしてたのに傷口を見た途端・・・ってのがありますよね。 わかりやすいですねぇ(^_^) 戦国時代の内臓投げつける話は聞いたことがありますよ、 たしか、理不尽な扱いをうけたかなんかで、その無念を相手に 見せ付けたかなんかですよねー 武市三平太もそんなんで三文字(?)にかっきってました、 根性あります。 あと、切腹って時代によっていろんな形があるのにおどろきました、 おもしろい知識つけさせていただいてありがとうございました。