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多神教の世界観を簡単に言うと、どのようなものですか

多神教の世界観を簡単に言うと、どのようなものですか。 できれば、一神教との対比で、できるだけ簡略に教えてください。

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noname#80116
noname#80116
回答No.13

No.11です。  調和を以って貴しと為すqsxdrfvgyhさんに道をゆづります。  その貴さをダメなものにしないように 注意書きとして 残しておいていただければと思います。 ★ 「中空」に一神教を据えると、多神教と一体化した「多元一如」の世界観を描けると思うのです。 ☆ 《多面一如》としていただけば よろしいかと思います。  ただ こういう信仰は あまり面白くないように感じますが。そして 信仰を取り込む宗教となれば 余計に注意書きを必要とするようにも思われます。  理念としては おっしゃるとおりだと考えます。つまり どんなに崇高なものでも 理念で 人が 動くというのは あまり 観察されていないのではないでしょうか。  (ちょっと わたしは へそが曲がっております)。

qsxdrfvgyh
質問者

お礼

「完成するとそのときから崩壊が始まる」という考え方があるようです。ただし、本当に完成するということがあるのか懐疑的です。 常に、未完なのではないか、続きがあるのではないかと思ってしまいます。スタローンの「ロッキー」みたいなものです。 世界観も、他民族との出会いの中で変容してきたと思っています。「排他」で対立し、失敗し、「寛容」で共存し、尊重し、緊張を伴いながら調和・均衡を志向する関係の中で成長していくような感じを想定しています。表面的な差異は重要ではなく、深層では共通の何かを見つけられるようにも感じています。 色々考えるきっかけにできました。ありがとうございました。

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その他の回答 (17)

  • mapato
  • ベストアンサー率69% (493/705)
回答No.7

こんにちは。 多神教の神々は基本的に(人間も含めた)自然の具現化した存在です。 自然の中に神秘的な力を感じるとそれが昇華されて「神」となる訳です。 一神教の神も元々は自然現象から発展したものと考えられていますが、一神教が形成される段階でそれを超越し「万物をつくり出したもの」という存在になっています。 一神教の神はもう自然とは切り離された存在として人の手の届かない高みにあって、この世界をどうするも(何せそれをつくった存在ですから)一切はその神次第といったところもあります。 しかし多神教にそこまで強大な力を一元的に持ったものは存在しませんし、どのように強い力を持った神であっても必ず他の神との相対関係の中に留まる存在です。 多様な神々の存在を受容するということは多様な価値観を認めることに繋がります。 一神教では「神様がこう仰った」ということを人間風情がどうこうして良い訳がありませんが、多神教の世界では「あそこの神様はああだけど、こちらの神様はこうだ」ということが普通に有り得る訳ですし、それらも様々な兼ね合いの中に存在する「一つの価値」でしかありませんから、多様な価値観の存在が認められるというか認めざるを得ないというところがあります。 多様な価値観が存在することは一見良いことのようですが、そうとばかりも限りません。 「結局何をもって正解とするか」ということが決まり難いので物事が前に進まなかったり、何事も曖昧なままになってしまうようなことも往々にして起こり得るでしょう。 一神教の世界も勿論一つの価値観で構成されている訳ではありませんが、「絶対」である神の存在がある為に「絶対」という価値を認め易いというところがあります。 一見シンプルな一神教世界のほうが理解し易そうですが、元々多神教の世界で育った日本人には理解し難い部分も沢山あり(そもそも世の中に何か一つでも「絶対」なものが存在するということからして想像しづらいのです)、雑多な価値観が混在する多神教世界のほうが「肌に馴染む」という感覚があるのではないかと思います。

qsxdrfvgyh
質問者

補足

>一見シンプルな一神教世界のほうが理解し易そうですが、元々多神教の世界で育った日本人には理解し難い部分も沢山あり(そもそも世の中に何か一つでも「絶対」なものが存在するということからして想像しづらいのです)、雑多な価値観が混在する多神教世界のほうが「肌に馴染む」という感覚があるのではないかと思います。 一神教では、絶対神は、この時空の超越神であり、不可知な存在で人知を超えているので、簡単に理解できるなんて言う人は思い上がっているのでしょうね。 また、多神教の神々は、身の回りの経験・体験を通じて、素朴な思考の積み重ねを経て、神秘的な何かを収集したような雑多な混沌があるものの具体的なイメージがあって、受け入れられやすいという感じでしょうか。

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  • taco8ch
  • ベストアンサー率7% (11/146)
回答No.6

「和」ですよ「和」。

qsxdrfvgyh
質問者

お礼

申し訳ありません。理解力が弱いので。 もしかして、No.4の「中空均衡構造」との関係で、「許容」と「共存」の趣旨で言っているという解釈でいいでしょうか。 示唆するもののイメージが、ぼんやりしてしまって、少しだけ解説いただけたら、ありがたいのですが。 よろしくお願いします。

qsxdrfvgyh
質問者

補足

和を構成するものは、何でしょうか。

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.5

日本の場合、多神教のようで一神教。 一神から分裂したものが、神となり、どんどん増えていったという考え。 だから元を辿ると1神。 日本の場合、災いをもたらすものも神として畏怖していますよね。 その災いをもたらすものも、辿っていけば、1神にたどり着くわけです。 一神教はよくわかりませんが、唯一神信仰ってのは、沢山の神々がいるが、その中でこの神のみを信仰するってのが唯一神信仰。 ユダヤ教も恐らく日本と同じで、一つの神から出て沢山の神に分裂して、その一つを信仰対象として選んだんだと思います。 だから唯一神信仰。 アテン。 で、アテンの場合は全てが神なので、多神教的なもののように思えるのですが、シンボルを見ると太陽光線のようなもので、日本と同じように一つから沢山の神が生み出されたという考えのように思います。 で、ユダヤ教で最盛期の頃は、多神教だったようです。(ソロモンの時代) 日本もそうですが、とにかくいろいろな神を敬っておけば、災いも最小限にとどめられるという考えだったのかもしれません。 ちなみに東ローマ帝国を作ったコンスタンティヌス1世もそう。 庶民にどの宗教を信仰してもいいと許可を出した。 それぞれの神々を大事にしていれば、災いがふりかかることは無いだろうという考え。 それが成功したのか、本当に神々が彼を祝福したのかわかりませんが、彼の時代の治安は良かったようです。 国民から愛された人だったようです。

qsxdrfvgyh
質問者

お礼

>日本の場合、多神教のようで一神教。 >一神から分裂したものが、神となり、どんどん増えていったという考え。 >だから元を辿ると1神。 唯一絶対の創造主(主神)に対して被造物のたくさんの神々(従神)のようなイメージでよろしいでしょうか。

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noname#155689
noname#155689
回答No.4

基本的にANo.2さんの回答と同じ認識です。 ただし、私の多神教観というのは、基本的に日本の多神教観です。 日本以外の多神教がどうなのか?はよく分かりません。 一神教の神といえばユダヤ~キリスト教の神が代表的ですが ユダヤ~キリスト教の神は「唯一絶対人格神」ですね。 つまり「唯一絶対」なので、人間から見て?な部分があっても 逆らっちゃいけない。 逆らって怒りに触れるととんでもないことが起こる。 だから、逆らわないから災いを起こさないで、という「契約」を結びます。 日本の多神教の場合、神が大別して2タイプいるんです。 簡単に言うと父性神と母性神がいて、その間に人間がいます。 で、神は人格的に絶対なのではなく、自然に対する支配力を持っているだけで 父性神と喧嘩した母性神が怒ってしまい、それで天災が起こったので 人間が「機嫌直して下さいよ~」って懇願する、みたいな。 以上はおおむね河合隼人の受け売りです。 手っ取り早くは、この本がおススメです。 http://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BF%83-%E6%B2%B3%E5%90%88-%E9%9A%BC%E9%9B%84/dp/4000233823/ref=pd_sim_b_img_3 この本の主張を端的にまとめたサイトがありました。 http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/sinwakou.html 多分、一神教は民族支配の中で生まれたもので 多神教は民族共存の中で生まれたものなんじゃないかしら?

qsxdrfvgyh
質問者

お礼

大変、簡潔にして明瞭なご回答、ありがとうございます。 世界観としては、中空均衡構造という見方があるのですね。 「二つの存在」と「無為の存在」という関係の中で理解していくということだと思いました。 参考になります。ありがとうございます。

qsxdrfvgyh
質問者

補足

少し調べましたら、河合隼雄さんの説ですと、一神教「力(原理)中心統合構造」に対して、日本の多神教「中空均衡構造」を対立させて、「抑圧・排除」対「許容・共存・調和」と認識しているようですが、日本の多神教の「中空部分」に「抑圧志向的一神教」ではなく、「調和志向的一神教」が入ると、両者の対立は解消し、上下・主従的な融合になっていくようにも思えますが、いかがでしょうか。

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  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

多神教の世界観を簡単に言うと、どのようなものですか。 例えば大学は東大しかない、高校も例えば付属しかないというのが一神教の世界ですね。多神教の世界はいろいろな大学があり、高校にいたっては五万とあるという世界でしょう。多神教の世界はいろいろな大学があるようにいろいろな教えや考え方があるということですね。ある意味まとまりはなくなりますが、まとまりがないからこそある方向を決めることが必要になります。その場合、大学では学長があつまって方向付けをすることになります。同じように多神教の世界も神々が集まって意見調整をするんですね。会議では当然議長が必要で、その議長に最終判断がまかされますね。議長は一番古い経験のある方が選ばれますね。だから多神教といえども議長はいるわけですね。多神教の世界にも議長、一番偉い神はいるわけですね。そんな違いですが、一神教と多神教の違いは簡単に言えば、小学生と一般人の認識の違いでしょうね。

qsxdrfvgyh
質問者

お礼

申し訳ありません。 補足の補足です。 「認識レベルで」ということでしたね。 失礼しました。

qsxdrfvgyh
質問者

補足

一神教が小学生で、多神教が一般人ということですか。

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回答No.2

万能で完璧で唯一の存在の一神教に比べて、 多神教は、自然現象や環境、私たちの身の回りの出来事などにも それぞれの神の力が作用していると考えることが多いように思います。 たとえば、川の神、山の神、海の神、 農業の神、学問の神、恋愛の神・・・・ 面白いのは、多神教の場合、神様は「完璧」ではなく、妙に人間くさいところがあると思います。 (たいてい気まぐれだったり、怒りっぽかったり、浮気心を持ってたり・・・) ギリシャ神話では、不倫や浮気なんて日常茶飯事ですし、 日本には、トイレの神様や、貧乏の神様なんてのもありますよね。

qsxdrfvgyh
質問者

お礼

とても分かりやすいです。 ありがとうございます。 神々とは、身の回りにある色々な個々の事物を象徴化して、出来事の中にも何か神秘的な存在があることを見出していこうとする考え方によって、発明された「装置」、「想定」という理解でよろしいでしょうか。

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  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1

>多神教の世界観を簡単に言うと、どのようなものですか 一神教=北朝鮮 多神教=日本

qsxdrfvgyh
質問者

補足

簡単過ぎて、イメージが涌きません。 北朝鮮の○○な点、日本の○○な点くらいの感じでお願いします。

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