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【宗教】なぜユダヤ教が誕生するまではヨーロッパは多
【宗教】なぜユダヤ教が誕生するまではヨーロッパは多神教の国だったのにユダヤ教になると突然一神教という宗教文化が突然生まれたのですか? ギリシャ神話でも神はたくさんいた多神教でしたよね。 ヨーロッパで何があったのですか?
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ユダヤ教はヨーロッパで生まれたのではありません。エジプトから生まれました。 一神教は、モーゼに率いられたユダヤ人がエジプトを出て(出エジプト記)、そこでモーゼが神様に出会うところから始まります。だからモーゼを始めとしてみんなエジプト出身なのです。 「でもエジプトだって多神教だろ?」とおっしゃいますよね。その通り。そして、そう思ったなら私が仕掛けた罠にはまってくれてありがとうございます・笑。 そのエジプトで、アメンホテプ4世(アクエンアテン)という人が、エジプトの神様たちの中でも太陽神であるアテン(アトン)神を極めて重視した信仰を始めたのです。歴史的にはアメンホテプ4世が「世界で初めて一神教を始めた人」とされています。 多神教王国であるエジプトで特定の神様だけを偏重することは、他の神様の神官たちからすればたまったものではないので、アメンホテプ4世が世を去るとエジプトではアメンホテプ4世は「なかったこと」にされてしまいます。彼の名前は記念碑から削られ、彼が作った神殿などは破壊されたのです。改革が急激すぎたのでしょうね。まあ改革というのはそういうものですが。 それで、このアメンホテプ4世は紀元前14世紀の人で、モーセは紀元前13世紀頃の人だといわれているのです。当時の人々にとっては一神教運動というのは「宗教改革運動」であったと思われますね。おそらくこのアメンホテプ4世のアテン神信仰の何がしかの影響をモーセは受けていたと考えるのが自然だろうと思います。 またユダヤ教の誕生は、一神教が生まれたと共に「契約を何より重視する」という価値観の誕生も意味します。 現代人の我々は「契約書に書かれたことは守らなければならない」と自然に考えますが、そういう考え方はユダヤ教が誕生してから「常識」となったのです。契約を交わせばユダヤ人はそれをきちんと守るので、ユダヤ人は商人として頭角を現すようになったのです。そして彼らが居ついた場所が、当時の文明国であったエジプトとギリシャとメソポタミアの交差点にあたるパレスチナ(イスラエル)であったことは偶然ではなく、必然だったのかもしれませんね。
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- stmim
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ユダヤ教というかキリスト教のことですよね。ユダヤ教はユダヤ人の宗教です。ユダヤ教の中からキリスト教が生まれ、しだいにヨーロッパにひろがりました。 キリスト教もヨーロッパで急に布教が進んだわけではありません。 言われる通り、昔のヨーロッパで信じられていたのは多神教でした。 中世のヨーロッパは森におおわれていて、その森の中にいろいろな神がいると信じられていました。森は信仰の対象でもあり、狼が住んでいる恐ろしいところでもありました。 キリスト教の布教をめざしていた修道士は村人と生活をともにし、農民にいろいろな農業技術を伝えました。また、農民を指導し、森を切り開いて畑をふやしていきました。当初は農民は信仰の対象でもある森を開拓するのを嫌がりましたが、修道士の言う通りに農業をすると畑が増え、収穫量も増えたので、森をどんどんと切り開きました。そうやって、修道士は信頼を得てキリスト教の教会に来るようになりました。 それまでキリスト教では偶像崇拝を禁止していましたので神の像などはありませんでした。しかし、キリスト教の布教のためには神をイメージでとらえてもらう必要があると考え、聖書の場面を絵にした宗教画を教会にかがげるようになりました。こうした布教の努力によりヨーロッパにキリスト教が浸透するようになりました。 というわけで答えはキリスト教の修道士が頑張ったから、と思います。
ユヴァル・ノア・ハラリ著作のサピエンス全史とかホモ・デウスにそういう話が面白い視点で載っています。 多神教やアニミズムなどの人が生き物の中で特別な存在じゃないとする考え方では、文化的な背景が変わった世界では違和感が生まれ、新しい考え方求められ、一神教、人は神が生んだ特別な存在とする宗教が受け入れられたとかなんとか・・・・ 文化的な背景は、狩猟採集から農業への変化だったかなと思います。 少し前に読んだのでうろ覚えです。 読むのをおススメします。西洋の文化的背景が分かるので面白いですよ。
お礼
みんなありがとう