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セカイ系と一神教の関連性

いまさらですがセカイ系な作品を見はじめました。 (エヴァとか最終兵器彼女とかみました。) 内面と現実社会の対比と言うセカイ系視点は、一神教の世界観に似ていると感じました。 どうしてこれがウケたんでしょう? もちろん古今東西、セカイ系的な作品はありふれていると思いますが、 なぜ、一神教があまり馴染んでいない日本で、ここまでセカイ系が流行ったのでしょうか? いろんな意見待ってます。

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

>どうしてこれがウケたんでしょう? バブルがはじけた世代に世の中に押し出された人々がいて、その人たちへの福音となったからじゃないかと。 エヴァンゲリオンって、福音っていう意味です。 英語だと グッドニュース(良い知らせ)という意味。 キリスト教はイエスの死を福音として、世の中の人々に良い知らせを伝えるとして、伝道が開始されました。 キリスト教の言い分は、<人間には神のいいつけに従わなかったため、限りある命になってしまった、それを原罪と呼び、その原罪をイエスが肩代わりして生贄となって死んでくれたので、人間から原罪が消え、人間は永遠の命を手に入れたから喜べ> としています。 これがキリスト教の福音(良き知らせ) 訳2千年ほど前にできた創作文学です。 新世紀エヴァンゲリオン。 新世紀というくらいだから、2千年後の現代に通用する、ニュー ハッピーニュースってくらいの意味でしょうか。 この物語の中でゲンドウは、「キリスト教がハッピーニュース物語を作ったとしても、結局人間は殺し合いを決してやめることはなかった、 なにより 喜べと宣伝しているキリスト教が こともあろうことか率先して殺人を犯していた。 もはや 人類が救われるには人類補完計画をするしかない」と考えたわけです。 で、人類を1つに還元する計画をしたわけです。 が、神の子シンジは父親を裏切り、一度還元して全ても人と一体となったが、また分裂を望んだ。 どうして、この物語が受けたのか。 それは バブルがはじけたから。 バブル時代はなにやってもうまくいく空騒ぎの時代。 でもバブルがはじけちゃうと、いろいろなものがうまくいかなくて、生きるのが辛くなるわけです。 例えば就職は氷河期。 求める職はおろか、まっとうな仕事すら求人が無い。 大学を出ながらも望まぬ職種につくのはまだいい方で、多くの若者は職にもつけない有様。 つまり、学校から出されたが、どこにも漂着できず、孤独感にさいなまれた時代に、この物語は放送された。 集団に取り込まれたら孤独を感じませんが、集団に取り込まれなかった人たちは、心の壁 孤独を感じるわけです。 自分の思いを誰も理解してくれない、自分はこんなんじゃない、自分が望む本当の姿は無職じゃない、みんなと一緒に生きていきたい、でも現実は職もなく、自由になるお金もなく、友人は仕事に励んでいて、自分とは別の世界の住民で。。。。 自分は存在しているのか、存在する意義があるのか。 このような問いを自分に投げかける人々にとっての、福音がこの物語なわけです。 神の子シンジは、他人の命令に従うという処世術を身につけており、自分というものを持っていなかった。 まるでロボットのような生き方をしていたわけです。 命令されることで生きる という生き方で、自立していない。 アスカに「僕をなじってよ 命令してよ あれやれ これやれって言ってよ お願いだよ」みたいになきつくシーンがありますよね。 それに対してアスカは拒否し、命令してくれないボスである主人のアスカを絞め殺そうとした。 コマンドを打ち込んでくれなければ、自分は生きていけない。 コマンド(命令)してくれないなら 死ね! なわけです。 自分を活かしてくれないなら 死ね! なわけです。 他人次第で自分というものを持っておらず、自立していないわけです。 自立していないニートにとって、シンジの心はまさに自分の心だったと思えます。 シンジは、最終的に他人も自分も死ね!と死を望みます。 その時、リリスからアンチATフィールドが展開され、シンジの中に入っていくわけです。 シンジが死を望んだから、リリスのアンチフィールドが容易に入ることになったわけです。 これによって シンジという形は崩壊し、リリスの元の還元することになったわけです。 話はこれで終わりません。 ここからが正念場。 シンジは生命のスープに還元され、全人類と1つになった。 そのことによって、どこまでが自分でどこからが他人かわからなくなり、他人というものがいなくなったわけです。 ATフィールドにより、他人と自分を隔てていたわけですが、それが崩壊したので、孤独は消えたわけです。 でも、所詮 それは夢。 自分と他人は違ってもいいんだ、自分 つまり 自我を持つことはその代償に孤独を得るが、それでもかまわない としたんですね。 それで傷つけられてもいいから他人が欲しい と望んだ。 それで他人であり自分を傷つけるアスカが出現することになった。 そのアスカのクビを絞めた。 せっかく これでいいんだ と他人の存在、他人のATフィールドにより傷つけられてもいい としながら、実際 それが出現すると、恐怖により、「死ね! いなくなってしまえ」と思ってしまった。 結局 また後戻りしてしまったわけです。 それじゃ 駄目だとわかっていながら、ひっこんでしまった自分が情けなくて、シンジはオイオイ泣くわけです。 何度も前進しては、おびえて殻に逃げ帰る。 まるで現代の若者のようなものです。 だからシンジの心の若者は共鳴し、「わかるよ その気持ち」と思い、「でもね 殻から出なきゃいけないんだよね わかっているよ でもね」と共感を覚え、自分の中のシンジを知るわけです。 「シンジ がんばれ」=「自分 がんばれ」 なわけです。 シンジは優等生じゃない。 ミサトも優等生じゃない。 でも二人とも「これでいいんだ」と自分のことに満足するに至るまでの経験をするわけです。 それがたとえ失敗に終わったとしても、「がんばったなぁ」って満足がえられれば、それは幸福なことなんです。 で、ニートの人は、「望む仕事じゃなきゃイヤだ から 人の評価されたり うらやましがられたり 尊敬されるために僕は仕事をするわけじゃない だから なんでもいい とにかく生きるために仕事をしよう」という気持ちになれば、この物語は21世紀における エヴァンゲリオン すなわち福音になるわけです。 テーマ曲に「もしも ふたり 出会えたことに意味があるなら、 そう私は自由を知るためのバイブル」って言葉があったと思います。 この新世紀エヴァンゲリオンに出会ったことに視聴者が意味を持ったら、それは人々が自由を得ることになる」って意味に私は解釈するんですね。 自由を得るって、人の評価される仕事につくとか、評価される業績を上げるとかじゃなく、自分が満足した生き方 自分の生き方を自分が認める これが自由を得るってことだと思うんです。 そのメッセージ性がこの物語にはあり、単なる根性物ドラマとか、けなげな生き方で人を感動させる物語とかじゃなく、駄目駄目へたれな男の生き様に共感を覚え、自由を知ることになった人が、これはただの寓話じゃない と気づくんじゃないかと。 確かにこの物語は現実ありえない世界です。 心の世界です。 それを物質化したようなもの。 シンジの乗るエヴァ初号機。紫ですよね。 赤と青の中間色 紫。 高貴な色である紫。 赤は物質、青は精神。この中間に人間は座している。 そういった意味もあるんじゃないかなーって私は思っています。 アスカはとにかく他を押しのけ殺しても生き残るという生命の根源のような存在。だから赤。 かたやレイは生命についてこだわらない不思議な存在。だから青。 シンジはその中間の紫。 色に関しても 練っているなぁって思います。 そういえば、レイの最初のエヴァ オレンジでしたよね。 オレンジの意味は。。。。 なんでしょね。 オレンジの時、エヴァはレイもゲンドウも殺そうとしましたよね。 赤よりだからかな? 確かそれはナオコの魂が入っていたからじゃなかったでしたっけ? ナオコはレイを殺したし。 ゲンドウに捨てられたし。 ねぇ・・・・。

noname#116065
noname#116065
回答No.1

セカイ系が好きな人の多くは思春期の子供で、自分語りであったり自分と関わる身の回りが社会という限られた空間認識に魅力を感じるように思います。 自分ひとりの力ではどうにもならない現実的な社会よりも、ひとりの力が社会に影響を与えるような社会に対する自己の誇示をわかって欲しいというような心理が働いているようにも感じます。 ジコチュウ(自己中心)という言葉がありますが、一神教という考え方よりも自分中心的な物事の考え方の方が強いと私は考えています。 >>ここまでセカイ系が流行ったのでしょうか? 考え方の子供っぽい人が増えたという事だと思いますね。 個と社会の関係のあり方を狭い範囲でしか認識できなくなっている証拠だと思いますね。 実情エヴァ以降のアニメの傾向として、大人社会に大人が描かれていないものが多く、子供社会でも世界が動かせるようなものが目に余ります。

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