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少林寺拳法の疑問

こんにちは。僕は、現在総合格闘技をしている大学三年の男です。以前は小学校2年の頃から高校三年まで少林寺拳法を続けてきました。3段です。総合格闘技を始める以前からずっと思っていたことなのですが拳法の技は本当に相手にかかるように練習するのではなく大会(演舞)で優勝するために、つまりうまく見せることを目的としているのでしょうか?逆後手等でも練習する時は、先生なども少し引っ張れと言います。しかし、実際の護身の場面で相手が軽く引っ張るなんてことはないと思います。その時に使えなければ意味がないと思うのですが・・・?実際うちの道場に柔道3段の者が入門してきた時に先生が小手まき返しという技をかけようとしたのですがその柔道経験者が力を入れると全く掛かりませんでした。先生は体が大きいからかけるのは難しいと言っていましたが、僕は、それを見てやっぱりな。と思いました。拳法は女性でも大の男を倒すことができると言っていますが、まず無理だと思いました。みなさんは拳法の実用性や練習内容はどう思いますか?誤解を招くといけないのでいいますが、僕は、拳法は大好きです。ただ使えないのに満足する練習はいけないと思うので・・・

みんなの回答

回答No.17

又来ましたよ。 しばらく締め切らないで下さいね。 お願いします。 私の言葉に対し、意味の通る反論を、私の為に、知りたいのです。  金的、目つきは確かに有効でしょう。 でも、その使い方を教えてくれないのはなぜ?と言う疑問が出てくるのは当然だと思います。 初めて間もない弟子ならまだしも、いくらかの訓練をつけてきた弟子の素直な質問に答えようとしない姿勢自体が、私は間違っていると思います。 私は、まだ教える段階ではないと言う弟子にははっきりその旨を伝えます だから、もっと土台作りに励めと。それが、又発破となれば、いいことだと思います。 習う準備が出来ていなければ、教えられないと言う事です。 明白な事です。 金的/目つきに戻りましょう。 指導員の方は、この二つがどれだけ難しい技であるかご存知ではないようです。 確かに、護身術で、女性の生徒にこの二つは教えます。有効だからです。 しかし、有効にするためには、やらなくてはならないことがたくさんあるんですね。 相手は待っていてくれれば、苦労しません。 もし貴方が指導員にやらせて見れば分かる事です。 貴方は必死になって、金的と目を防御するでしょう。 やられたら、大変な事になるって分かっているからです。 レイピストも同じです。 レイピストにとって、この二つの事はいつも防御できるよう気をつけています。 そんな状況で、やれと言ったって無理な事です。 それを、やればいいという指導員の経験不足を嘆きます。 そのような、みんなに知られた「攻撃の的」を攻撃する事は、使い方を充分知らなければ、通用しないと言う事なんですね。  次の事は大切な事ですので、よく読んでくださいね。 出来ない人に、又、教え方を知らない人に、変えろとアドバイスしても、「聞く耳」を持たないし、自尊心を傷つけるだけで、貴方がしようとしている事は、達成できません。 出来るだけ自然な形で、時間をかけて、同輩たちの共鳴を得るようにして、彼らが貴方と同じような考え方を持つようになり、そしてそれを「前向き」に、批判でなく、訓練状況を向上させるようにしなくてはなりません。 根気よく、一貫した姿勢で、指導員から得られるものはたくさんありますから、すべてを習いとるつもりで、練習に励んでください。 自分の意見として(ここのように)言うのと、人前で批判するのとは違う物だと言う事も、充分分かってください。 残念ながら、今のところ、貴方にとって、ここは鬱憤晴らしの場所のなっていますが、それもそれでいいと思います。 その鬱憤晴らしを指導員の方々に投げつけてはならないと言う事です。 改良するには、どうしたらいいかと言う事を悩み考えてください。 そして、体系付けた改良方法を作る事によって、あなた自身が次の世代の、「意味ある指導員」として、貴方を支持する同輩、交配、もしくは先輩が出てくるはずです。 批判ほど簡単なものはないともいえます。 批判では人はついてきません。 質の高いトレーニングをさせる事は大変な事です。 その質の高いトレーニングを出来、やることを目にして空こそ、他の指導員も気がつくわけです。 理屈を言っても分からない物は分からないのです。 教えてもらえなかったけど指導員になった方々は、言ってみれば、被害者なんです。 被害者を責めても何のメリットは誰にもありません。 かえって、貴方の体系付けられた指導を見て、使える武道の大切さを、彼らの胸の中で、ドカーンと爆発させたほうが、結局貴方の見方になるはずです。 そして、より多くに人が、意味のある訓練をするようになれば、それ自体が武道だと信じます。 意味のある頑張りをしてくださいね。 応援しています。

pancrase
質問者

お礼

アドバイスありがとうございました。頑張ってみます。

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回答No.16

skcnsさん、 そういうことなんです。 指導員は習ったことをおしえているに過ぎないんです。 つまり、教えてくれなかった事は教えられないんです。 実戦につかえなければならないと言う事を習わなかったに過ぎないんですね。 でも、「習うんじゃなくて、感じる」ためには、基礎訓練がなくてはなりません。 その基礎訓練が、大会のための練習、又、テストのための練習しかやっていないと言うのが、pancraseさんの言い分であり、かなり正確な意見だと思います。 また、voicesさんは、安全性を提議していますが、防具無しでも、十分、使える武道の訓練はできます。 つまり防具を使わなくても実戦の方法はあると言う事です。 また、防具を使う「実践的戦い」が、使える武道のすべてではないともいえます。 なぜ使えるのか、なぜ使えないのか、それだけの知識だけでも、数倍以上、使える武道の訓練になっています。 精神的トレーニング、体力的トレーニング両方とも、必ずしも、「受け」がいなくとも、実質を向上させるトレーニングです。 そのトレーニングの仕方も教えないで、防具によるトレーニングでは、レーシングカーの特異点を教えないで、いつも自動車運転できるのだろうから、このレーシングカーですっ飛ばしてみろと言っているような物です。 教える事の出来ない者は教える資格がないと言う事です。 かなりきつい事を言いましたが、他の習い事なら、ちゃんと納得しているのに、武道に限って、「言い訳」が通用しているんですね。 それが、ピアノにしろ、水泳にしろ、教えられない先生が金をとっていると言うのであれば、抗議します。 また、はっきりと、教えられない先生からは習うなんて、とんでもない、と言うんですね。 じゃ、なぜ、武道では、言わないのか、又、私の様に言うと、異端者的な目で見てしまう傾向があるのか。 礼儀を知らない奴だとかいって。 はっきり、この場で言いましょう。 つまり、私が痛いところをつついているからなんですね。 恥ずかしくない演舞が出来、負けない武道を教える力がないからなんです。  なぜないか。 指導員が教えなかったからなんです。 その指導員も教わる機会を与えられなかったからなんですね。 でも、昇段テストを受けさせ、昇段させて、指導員の資格をあげてしまい、指導させていると言うとんでもない事をしているわけです。 つまり段の価値を下げていると言う事です。 私の言葉で傷ついたかたがもいらっしゃると思います。 その方々に対し、心からお詫び申し上げます。 少しでも、意味のある訓練、練習をしてもらいたいこそ、あえて言わせてもらいました。 アメリカで、有段者がいとも簡単に路上でやられます。 彼らが悪いのではなく、指導員が悪いのです。 指導できない指導員は指導すべき者でではないと言わせてもらいます。 ただ一つ、例外があります。 それは、歴史的保存のための練習です。 使えるか使えないかの問題ではないのですね。 以上です。   

pancrase
質問者

お礼

返事ありがとうございます。確かにその通りだと思います。僕自身、総合格闘技を始めて、久しぶりに拳法の道場に行き先生に練習内容を変える必要があるというアドバイスをしようとした所、先生によけいなことを言うなとしかられました・・・先生などはよく拳法は試合はしないから護身では、金的や目打ち等も使えるから大丈夫だといつもいいます。しかし、僕がいつも思っていたのが理屈ばかり言ってるなと思っていました。確かに金的等は護身では有効だと思います。けれども普段から全くそういう練習をしていないのに実際そうゆう場面に出会った時にできるのか?できるわけがないと思います。例えば、中学生が大学入試の参考書のときかたの理屈は解っていても実際はテストで満点を取れないのと同じだと思います。総合格闘技でも理屈では、相手がこう動けばこのようにするなど基本はあります。しかし、相手が本気で抵抗した時には掛からない時が多数あります。それを何度も練習してやっとかかるようになります。

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  • voices
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回答No.15

>実戦で使える練習を全くしないということです。 >演舞や昇段テストの練習のみしかしないところに問題があると思うのです。 あ、判ります。だから『限定した相手のみ~』って書いたんです。かなり難しいかも・・・。 ま、実戦って言ってもどこに主眼を置くかですよね。(練習でどこまで怪我していいか?かな?)防具をフル装備して組み手練習するが、グローブを大きいものにして防具なしでするかとか、ですよね? どちらにしろ今している練習と違うのであれば・・・同じ考えを持っている兄弟弟子もしくは別の道場を捜すしかないですよね。私の場合捜しましたけど・・・。

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  • skcns
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回答No.14

少林寺拳法で3段になっているのに何を言っているのですか? 演舞は実践でも戦えるようになる基本です。 また、逆後手等でも人を買えて練習していると思いますが、 人によって効く角度が微妙に異なっていますが、それは経験によって 技を決めることは容易です。 柔道をされている方は効く角度を分かっているので自然にずらしている だけのことだと思います。この技については指導者も習ったことを 教えているに過ぎないように思います。 習うのではなく感じる。感覚で覚えることが重要だと思います。

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回答No.13

一番下の補足質問の読ませていただきました。 あなたの疑問点について、道主・院主・指導員の方々はどのようなことを言っておられるのでしょうか。 貴方のおっしゃっている矛盾に気がついていないか、交流の場と言う名前を使っての、戦い(より悪く言えば、競争)と言う、平素教えている事と非常に矛盾していると私も思います。 競う物ではないとするなら(私も同意します)競わない事に専念して良いと思います。 大会のための練習であるとしたら、それはそれで良いと思います。 大会でうまくできなくて恥じる事はしたくないですからね。 お披露目なんですよね。 出来るだけ順調にお披露目はしたいですよね。 でも、競技としての大会は疑問に思います。 これは、空手にしても同じ意見です。 演舞を競うこと自体、次元があまりにも低いような気がしてなりません。 そして、それを「ダンス」と呼ばれることに対して憤慨します。 ダンスとどれだけ違うのでしょうか。 見せるためなら説明を加えて疲労すればいいことではないかと思いますが、どうでしょうか。 使える技術への練習とお披露目の練習とどちらが大切なのかも疑問に持ちます。 使える技の要素を知っているから、かけた技は効くわけですし、その逆を知っていれば、使える技が一瞬にして使えなない技となります。 その要素を知ることによって(つまり教えてもらうことによって)使えることも出来るし、それに対し防御もできるということなんですね。 武道と呼びたければ、この二つを極める姿勢を持たなければならないと信じます。 特に自分を、又他人を守ると言う事であれば(私も同意します)、余計にこのことに関して、教えられる実力を持ったものが教えるべき物とも信じます。

pancrase
質問者

補足

voicesさんへ。みなさん返事ありがとうございます。確かに拳法の魅力の一つに演舞を挙げる人は多数いると思います。僕自身も疑問に思いながら演舞の大会はすばらしいものであると思います。それに大会と本当に実戦等で使える練習は違うと解っていれば問題はないと言っていましたが、それも重々わかっているつもりです。何が問題かというとその実戦で使える練習を全くしないということです。演舞や昇段テストの練習のみしかしないところに問題があると思うのです。拳法を小学生の頃から10数年してきましたが一度もそのような練習をしたことがありません。

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  • voices
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回答No.12

>拳法の技は本当~ これは大会の為に練習しているからそう思われているのでは無いですか?私も昔少林寺を習っていました。(今は辞めて別の拳法をしています)その時の練習はほとんどが大会の為の練習でした。 pancraseさんもそう思っているのでは?大会の為に練習していると思われているのでは?大会の為の練習と、技を使えるように練習そるのでは手段も目的も全然違います。大会は個人のお披露目会です、これは目的の為の手段です。技を使えるって事を目的とするなら限定した相手のみでの技はあくまで手段です。その事をちゃんと理解していれば問題ないのでは?

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回答No.11

#8です。 thunderboltさん、対抗していませんよ。 ちゃんと貴方の言葉を噛み砕いているつもりです。 根本的には、全く同じ考えを持っていると思います。 今私たちが討論している事は、大変複雑な、又、大きな課題であり、残念ながら、ここでは、書ける量が少ないし、又、一方通行の方法を使っているんですね。 Tさんがおっしゃっている事は、正しいと思いますよ。 でも、空手も勝つためのもではありません。負けないためのものですと教えています。  私として、空手はただ単なる生き方と信じています。 より意味のある人生を送るための物と信じます。 確かに、貴方(日本中の殆んど人)は空手というものを誤解しているかもしれません。 というよりも、間違った空手を空手と呼んでいるだけのことかもしれません。 でも、空手はその危ない状況を未然に知り、逃げなくてはいけないときは逃げ、避けるときは避けることも大事とします。 さっき書いた、275kにはそのことも、もちろん含まれています。 だからこそ、3段の方がぼこぼこになってしまったことは、誰の責任なんだ、といったのです。 真の3段であれば、ぼこぼこにされなかったはずです、貴方がおっしゃるように。 逃げる事は、弱虫ではないのです。  それが、逃げたからか、避けたからか、それとも、戦わなくてはならなく負けなかったからか、それは3段の資格で決められるはずです。 ぼこぼこにされたと言う事は、まず、指導員が教えるべき事を教えなかった、また、資格の水準がでたらめだった、と、思われます。 3段の方にとっては、心身ともに、訓練自体がダメージを受けたと言う事なのです。 チンピラにやられたと言う事は、単なるおまけに過ぎません。 護身術を教えていますが、小さな女性でも、大の男に負けない力を持たせなくてはなりません。 (そうです、ここでも、「負けない」事が大切なんですね) つまり、使える技をよりよく使えるすべを「教える」だけではなく、十分使えるところまで、持っていかなくてはならないのが護身術の指導員の責任です。 昇段テストはありませんから(笑)体力の少ない女性には使えない技などは教えなくていいのです。 その「技」がゴールデンボールを握る事であるかもしれないし、目を引っかくことかもしれません。 でも、それを何にもしない人に対してなら、誰でも出来ます。 だから、簡単な技といわれてしまうのです。 でも、それが、レイピストや強盗であるとしたら、275Kにあるように、それらができるような状況へ持っていくことが出来なくては、握る事なんてとても出来ません。 顔は恐怖に引きつっている演技をして、体は柔軟性を保ち、頭はフル回転で状況を熟知しなくてはなりません。 また、握ってからどうするかも分かっていなくてはなりません(知識としてでなく)。 大の男には大の男の弱点はあります。小の男(もレイプする)にも弱点はあります。 それを見極める事が出来なくては、小は大を止める事は出来ません。 不可能と言い切る(諦める)事は武道の観念からして、出来ません。  今出来なくとも、訓練をする事によって、向上し、効率よく習う事によって、より早く、自分を守れるようになるわけです。 体力的実力がまだなければ、意識してでも、危険から避けようとしなくてはなりません。 避ける必要性に気がつくことも、武道の、又護身術の、実力でもあるのです。 自信過剰でも、この「避ける」という大切な行動を妨げるものでもあるわけです。 出来るようになれるんだと自分に確信をもち、信頼と疑惑のバランス持ちながら指導員につき、275Kをこれからも、拳法を通して、自分を向上していただきたいと思います。 今の自分の最大限を知り、それをさらに持ち上げる事が出来る人が指導員なのです。 口だけの、理論だけの、教えでは、貴方は向上させる土台を作ってくれません。 知識、体力、そして精神力がこの275Kなのですね。 実力は基本が元になっています。 しかし基本だけでは、使える武道になりません。 基本から使えるものへの移動の準備を教えてくれる指導員が、今の貴方には必要なのかもしれません。 今の状況の貴方に差し上げられる具体的なアドバイスは、なぜかけようとする技がかからないのか、を真剣になって、考えてくださいと言う事です。ただ、体が大きいからとの「言い訳」を探せと言っているのではなく、なぜかぁるときはかかり、かからない時はかからないのか、練習するときに、ただ体を動かすのではなく、「受け」の動きに注意し(たとえば、重心の移り具合とか)業の動き(効果)を知るようにしてください。 また、道場にいなくとも、この注意をしたことによって、私たちが言うVisual trainingつまり、日本ではイメージトレーニングと言われている物に近いのですが、家にいるときでも、目を瞑り、技をかけているところを思い浮かべます。 その時、意識的に、「受け」の足は?、つま先は?、腕は?、目つきは?などなどなど、相手の動きの要点を見るという「訓練」をしてください。 つまり、これで、相手の何を見たら良いかと言う事がわかってきます。 これで、道場でのトレーニングが、より意味のあることになります。 又、このことが、実際に戦わなくてはならないときに、無意識で、相手の動き(心身ともに)を観察する事が出来るようにもなるのです。 トレーニングの効率を高める事も重要なのですね。  もし分からない点がありましたら、又補足質問してください。 なお、わたしはGanbatteruyoです。 先生と呼ばれて嬉しいですが、私には先生と呼ばれる資格はありませんよ。(笑) ここでは、私にとって、皆さんが、先生であり、同輩であります。

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  • tenro-
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回答No.10

私も少林寺拳法を修行しております。 武道とは?という話になっておりますが、少林寺拳法では武とは止矛なりと教え、勝たなくても良い、負けなければ良いといい、目的は自分自身に自信をもち、相手のことを考えられる人になることだといいます。 もちろん、「武道は殺し合いの技術として発達した」「相手を倒してナンボ」との考え方もあるかと思いますが、現在の世の中では、特殊な状況下でないとそれを具現することはできないと思っています。たとえば、pancraseさんのように総合格闘技の土壌に行くとか、戦争状態とか・・・ その他で生かせるとすれば、護身であり、喧嘩の仲裁であり・・・と勝たなくてもよい場面だけがのこる。と思います。 そこに共感して、わたしはこうして続けています。 もちろん#9さんのように、「いざとなったらまず逃げる」ようにはしてますし、そもそもその状況を作り出さないようにする努力をしております。また#8さんのおっしゃる過信にならないようには十分注意しています。 ところで、「拳法の実用性」というのは「技」の実用性ということだと思うのですが、pancraseさんは本山の先生とか高名な高段者の方に技をかけてもらったことありますか?どうがんばっても投げられてしまう技がそこにはありますよ。 >僕は、拳法は大好きです。 私も拳法は大好きです。 >ただ使えないのに満足する練習はいけないと思うので・・・ 確かにそうです。でもって使えるように練習を重ねるのですが、まだまだ道は遠そうです。 私が満足するのは、入門したときはもじもじしてた少年が自分の考えをはっきり言えるようになったときとか、自分のことしか考えてなかった子が、他の子の世話を始めたときとかですね。 乱筆すみません。

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回答No.9

#8さんに別に対抗するつもりはありませんし、その考えが間違っているとは思いません。流石海外で活躍されている人の言うことは違うと思いました。 しかし、拳法はあくまで武道を教えているものであって「ケンカに勝つ方法」を教えているわけではありません。あなたの主張はあくまで「空手」の話です。拳法には当てはまっていない部分が結構あります。 ケンカになりそうな時、少なくともケンカにならないように全力を尽くす、ケンカにならないようにするのが第一です。そうでなければそれはただのチンピラです。殴り合いのケンカが始まってしまった段階でチンピラと何ら変わらないと思います。すべての道院がそうなのかは知りませんが、少なくとも私は拳法でケンカにならない方法を学びました。 2段の私が言うのもなんですが、質問者さんの3段の友人はおそらく3段の資格は無いです。私はチンピラに絡まれた時に「抵抗しろ」ではなく「逃げろ」と教わりましたし、避けようとすれば避けれたはず。それを変に強がって抵抗するからボコボコにされるんです。当たり前です。 また、#8さんが勘違いされておられましたが、 拳法で言う「武道」(むしろ拳法だけでなく本来の言葉の意味なのですが)とは「二つの矛を止める」と言う事であり、ケンカの駐在をするために使うのであって、それ以外で使うのならそれは拳法の教えに逆らったと言えるでしょう。武道を「私用」してしまった段階で武道ではありません。 あと、剣道の本(っていうかマンガ)で読んだことがありますが、「柔よく剛を制す」というのは「剛」よりもさらに「剛」であることが前提で「柔」が成せるわけです。相手より力が弱いのに「相手を殺さない」なんて事は不可能です。 ある程度の差まではできると思いますが、すごく差がある場合には絶対不可能です。 それと、「拳法は女性でも大の男を倒すことができる」と言ってるとありますが、教本ではその様なことは書いてなかったと思います。「可能である」、つまり「出来る事もある」であって「絶対にできる」という意味では書いていないはずです。そう思っているのは確実にあなたの勘違いです。

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回答No.8

#6です。 名前のついた技は使えないもの、と書きました。 ジャ、なぜ使えないものを習うのか、となりますね。 使えないから、何千、何万の事を習えるのです。 使えないということは、使えない理由があるからなんですね。 その理由は、自分が自己探求して習う物ではなく、基本的には、教える者が教えなくてはならないのです。 もちろん、その上で、自己探求をしたければすればいいのです。 守・破・離の観念はいつの世界でもあります。 名前のついた技を使える技としてしか教えてもらえないから、昇段テストにはパスするけど、実際には使えない、と言う事が起るのですね。 戦場で使う「武術」を自分の習う基準としてもつように、教えなければ、使い物にはならないということも知ってください。 つまり、武術とは、複数の相手に対して戦う技術だと言う事です。 一対一の場面は基本とはなっていないんですね。 ですから、一人の相手に注意を注いで、審判や観衆には気を取られるな、と言うのは、この観念から完全に外れているわけです。 この一人と戦う事に慣れてしまうと、相手はもう一人増えたら、それでおしまいです。 視線はふたりに寄せる技しか知らず、一人に対してからだの一部が必要以上に長く密着してしまう技を使い、空手をやっているからといって突きと蹴りしか業を知らず、柔道だからと言って投げしか知らない、などなどなど、から、コテンパンにやられてしまうんですね。 初めから、基本を習い、それに基づいて、275k(275000)を習い、戦いの基本に戻り、複数の相手に対する名前のついていない「本当の技」つまり、「使える業」を習わせてくれる「師範」レベルがいなくなったと言う事です。 きれい事で済まし、殺人でなく活人でなければならないと「いいわけ」をしていてはいくら経っても、つかえるようにはならないのです。 「練習では楽しく明るくが基本です」も良いでしょう。 しかし、それは基本ではないのです。 楽しく受験勉強出来ればどれだけよいことか、楽しく明るく仕事が出来ればどれだけいいことか。 しかし、それはあくまでも、二の次なんだと、ちゃんと分かっているはずです。 よく空手で「一撃で倒す」という言い方をします。そして、そうでなくてはならないのです。 きれい事を達成するためには、一撃で倒せるスピード、正確さ、パワー、そして275kが身についているからこそ、相手を「殺さない」戦いができるように、自然となるのです。 複数の相手に対しての護身術などを演舞会でよくやります。 すべて決まりきった事をやっているに過ぎません。 「師範レベル」だったら、「何でもあり」に弟子たちにかかってこさせ、怪我をさせないで、相手を倒す演舞をしてもらいたいと思います。 その実力があるからこそ、「師範レベル」といわれるわずなのですから。 もう一度言いますが、使えないけど、名前のついた「技」は習わなくてはなりません。 基本中の基本ですから。 アルファベットなんですから。 数字でもあり、漢字でもあるのです。 それらをきちんと習い、それをどのように使い、どのように次のレベルに自分を持っていくかを教えるのが指導員の役目なんですね。 幼稚園で、アルファベットをすらすら言えるようになって、喜ぶママの顔を見て喜ぶ幼児と同じになってはいけないということです。大人になった私たちは、すらすら言えるだけでは、通用しないよ、とちゃんと分かっていますね。 友達が「俺はアルファベットをすらすら言えるぜ!」といったって、「それがどうした?」となります。 なぜ、それが分かっていながら、武道ではわからないのか。 つまり、教える者が、アルファベットを知っているだけで良いとするからなんですね。 また、この幼児と同じように、アルファベットが英語を習うのに必要なんだとは夢にも思っていないということなんですね。 限られた数の使えない技があるからこそ、無数の使える技が自分のものにする事ができるのです。 使えない技で昇段テストをパスして、段をとっても、その段は通用しない段なんですね。  基本のみっちりやれと言う事は、つかえるようになる準備をしっかりやっておけ!ということなんです。 その準備ができるようになったら、使えるようにしてやるから、と言うのが指導員の勤め。 「言い訳」に続く「言い訳」だけで準備が出来ても教えてくれないんでは、指導員の心の資格はないとしかいえません。 確かに使えない武道もあります。 でもそれは、使えないんだよ、ってはっきり言っています。 それはそれで大変良い事だと思います。 私自身、居合道を練習していますが、いい例を思っています。 矛盾はしていませんが、あえて言うと、刀は人を傷つけるために出来た武器です。 それを遭えて、使わないもの、として、使い方を教えています。 それで良いと思います。  スポーツとしてやるなら、それもいいと思います。 でも、それならそれで、「つかえる武道じゃありませんよ」と宣言すべきものだと思います。 自信過剰にしてしまい、チンピラにコテンパンにやられてしまった、責任はどこの誰が取るのでしょうか。 自己主張でした。

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    少林寺拳法を4,5年やっているのですが、私の通う道場は乱捕り稽古を危ないという理由でなかなかさせてくれません。 しかし、金剛禅の教え等、技術以外の魅力に魅了され、少林寺をやめて別の格闘技、武道に移る気もありません。 そこで突き手が少林寺と同じ縦拳だという日本拳法を平行して始めようかと思うのですが、少林寺拳法をやる上で相性はどうなのでしょうか?お答えいただければ幸いです。

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