• 締切済み

痴呆症で入院中の義父を、4歳児同伴で毎週末見舞う義務を課す夫

友人の話です ここで話している私の考えや気持ちを  友人に話すつもりは毛頭ありませんが  かなりもんもんとしているので 自分の気持ちの整理のために書きこませてください 皆様の考え方を うかがってみたいです まず、状況はこうです 友人の義父が痴呆症で数ヶ月前から専門病院に入院しています   友人宅は裕福で、夫婦円満、家内円満で、ご主人は子煩悩です ですがご主人は  電車を乗り継いで2-3時間はかかる専門病院に、 毎週末、家族みんなで(4歳のお子様同伴で)お見舞いに行くことを、要求しているようです 私の友人はそのことを 大変だとは思っているようですが  嫌だとは感じていないようです 快く実行しています  私は所用にて彼女と週末に会い、そのことを知りました 子供同士も同じ年ということもあって、1日遊んでいました 子供たちは大変楽しかった様子でしたが、 彼女のお子様は、週末に遊ぶのは本当に久しぶり、とのことでしたので 気がかりになりました そこで タイトルの質問です 毎週末のお見舞いって、どう思われます?  私の感想としては  なんだか 友人のご主人って ご実家の親のことばかりで  お子様の大事な時期を軽んじてらっしゃるような印象を受けて・・・ 義父様が入院されてからは、週末の子供のためのお出かけなどあまりないようですし・・・ 義母さまもご健在なのだから、お子様を伴ってのお見舞いは、月に1度とか、多くても隔週末くらいにしてはどうなのかな?とか・・ なぜにそこまでして、妻&子どもを伴うお見舞いが必要なの? と不思議に思うのですが・・ しかも義父は痴ほう症です 他人事でして 大きなお世話さまな感想なのですが 「うちの子は電車が大好き」といわれつつ毎週お見舞いに付き合わされている同い年のお子様がなんとも不憫でいたしかたなく・・・・ 大変もんもんとしているものですから 皆様ならどんなお考えがあるかな~とか、うかがってみたくなりました  すみません、よろしくお願いいたします

みんなの回答

回答No.22

私も認知症の祖母の所に、毎週週末に家族と見舞いに行ってます。 何故かと言えば初めは両親だけ週末に紙パンツ届けてましたが、 後で「一ヶ月に一回でいいから」と言われ私も初め1ヶ月に一回付いて行きました、今は毎週週末「一緒に行こう」と言われますよ。 「自分の用事も沢山あります」大変ですけど。 その都度「週末親が朝からかなり酒飲むので仕方なく私が運転ですが」。。。私の兄弟はお見舞いは1ヶ月に1.2回ですね。 でも見舞いはご自分の都合「ペース」に合わせて行くのが「ベスト」です。 自分の大事な用事があるなら無理しないほうがいいですよ。。。

回答No.21

ANo.3の回答者、kagome2008です、こんばんは。 前回の書込ではあえて書かなかったんですが、 実は介護福祉士と精神保健福祉士の資格を持つ福祉従事者です。 認知症の呼称について、ちょっとだけ書いて置きますね。 >すみません 認知症とは 人権的視点から一般に推奨されている慣用的表現であって 診断としては用いられていないのではありませんでしたっけ? >認知障害と 痴ほう症状の 病態の違いについて 誤解が生じかねないとの理由から・・・・? うろおぼえなのですが ・・・ との事ですが、慣用的表現ではなく、2004年に厚生労働省で決定され、 正式に行政と介護の分野で痴呆に換えて使用されるべく定められた文言です(法律は全部これに統一)。 医療の現場においても、昨年までにはほぼ言い換えが済んでます。 (もっとも高齢のお医者さんなんかは今だに痴呆症と呼んじゃってますが) 私が8年前に専門学校を卒業した時(と言っても、もう既に37歳でしたが。笑)は、教科書も全部認知症になってましたねぇ。 私が仕事柄知ってる病院や施設でも痴呆症と言う言葉は聞かれなくなりました。 ちなみに、認知障害と言ってしまうと先天的な知的障害の、なのか、 後天的な認知症の、なのか、ここが判然とならないので、一括りに「認知障害」とは言えないんです。 それと、昔はもっとひどい言われ方もしてました。 例えば、老耄狂とか老耄痴狂とか老耄性痴呆とか。 果ては失神性痴獣とまで呼ばれた記録もあります。 個人的には、認知症という呼称にも「?」なんですがね。 どっちかというと「認知失調症」の方が良いような気がしてます。 ご参考までに・・・。

chubee
質問者

補足

こんばんわ。書き込みありがとうございます。 返信がかなり遅くなってしまい申し訳ありません。 >慣用的表現ではなく、2004年に厚生労働省で決定され、 正式に行政と介護の分野で痴呆に換えて使用されるべく定められた文言です(法律は全部これに統一)。 とのことですが 厚生労働省のHPで 通知が検索できませんでした (精神分裂病を統合失調症に読み換えることについての通知はありましたが・・、また精神医学会からの発表もありましたが・・) 痴ほう症→認知症の読み換えについては 専門家による検討委員会の議事録はありますが 通知はみつかりません ですので 検討議案ということで既に慣用的には使用されてはいるが 通知という形で法令には反映されていない、という解釈が正しい気がするのですが・・・ 確認したいので お手数なのですが  もし該当通知がありましたら URLを貼っていただけないでしょうか? よろしくお願いいたします

noname#62582
noname#62582
回答No.20

近い肉親の弱った姿を見ると、人間、自分でも思いもよらなかった 感情が出てくる場合があるんです。 親が元気なうちは、年に一回会うだけでも十分だったのに、 病気をして一回り小さくなった親の姿を見た途端、理屈でなく 「側にいてあげたい」「何かしてあげたい」という感情が湧いてきたり・・・ こればかりは、経験の無い人がいくらアタマの中で想像したとしても、 実際にそれを経験した人(している人)の気持ちは分からない と思います。 ご友人のご主人も、父親が痴呆になった姿を見て、 家族(妻+子供)に毎週末のお見舞いを「要求」 してしまう程の、何か強い思いを持たれたのかもしれません。 個人的には、子供は遊べなくて可哀想といえば可哀想かもしれませんが、 自分の親が「親を大切にする」姿を見る機会がない子供も大勢いる事を 考えると、今、その子達にとって、人生で大変貴重な経験をして いるとも言えるのではないでしょうか。 その上で、お見舞いの頻度をどうするかを話し合うのは夫婦の問題で あり、それが話し合える夫婦関係にないのであれば、 子供に関しては、毎週お見舞いに行くことよりも、そのような 夫婦の子供として生まれてきたことの方が可哀想に思います。

chubee
質問者

お礼

書きこみありがとうございます そうですね もうおっしゃるとおりだと思いました ご主人の特別な感情、そう、要求してしまうのでしょうね でもその気持ちがわかるからこそ、彼女も、がんばっているのだと思います お子様については転居や転園にようやく馴染んだかというところで、長旅巡業?のような状況で、確かに、疲れている可能性はあるかもしれませんが・・・・ なやましいですね 登場人物に悪い人はひとりもいませんから 友人として話を聞くことで 彼女を支えてあげたいと思います

  • jupiter03
  • ベストアンサー率31% (9/29)
回答No.19

私も子供の頃に毎週といわず週に何回か祖母の入院している病院へ母と一緒にお見舞いに行っていました。 自宅と近い病院だったので頻繁に通えていたからだとは思いますが、 義母の面倒を看る母は大変だったろうと思います。 しかし、大変ながらもきちんと嫁としての義務を果たしている母親から学ぶものはたくさんあり、 そのことは25年ほど経った今でも鮮明に憶えています。 ものごころがつき始めると、祖母のお世話をすることに対し 喜びのような気持ちが生まれてきましたし、 何より入院生活で必要なことや必要なものを自分の目で見て来ましたので、 もし今、身近な人が入院して介護が必要になったとしても 動じることなく前向きに対処していける自信があります。 今年、私が結婚を考えている彼の父親は障害者なので、 介護が必要になります。 そして「嫁」としては(遅かれ早かれ)必ず通る道、避けては通れない道だと思います。 質問者様のご友人も「嫁」である以上、仕方のないことと思いますし、 自分の実親を夫に大事にしてもらいたいなら、 夫の実親も大事にしなければと思います。 他の回答者様も仰る通り、お子様にとってもよい経験であると思いますよ。 失礼ながらお義父様の命もそう長くはないと思いますので、 後悔のないよう親孝行をしてあげて欲しいなと思います。

chubee
質問者

お礼

書き込みありがとうございます お返事が遅くなりすみません そうですね 確かに これからも長く生きていく人にとっても 老いや死と向き合う経験というのは 人生を考える上で 大変貴重なことだと思います でもそれ以上に 自分の親が老い朽ちていく姿を目の当たりにしたら 特別な感情を持つのが人として当たり前だとも思います ただ、友人の場合には、片道2-3時間、1日に往復で5-6時間の道のりを、子供と共に、在来線を乗り継いで移動することは、 専業主婦とは言え、かなり負担ではないのかなと・・ 私は想像していました けれど、入院するほど症状の進んだ人を在宅で介護することの苦労に比べれば、そのほうがずっとずっと楽であるという現実や、また、嫁として決して弱音を吐けない立場、ご主人の特別な感情がわかるだけに相談できない孤独など、未経験の私の想像をはるかに超えた複雑な心境にあり心労を抱えているのかな、とも、想像しているところです 友人は頑張り屋なので、きっと何が何でもがんばると思います でも、誰にでも、私にも、気を使う細やかな人でもあるので、少しでも彼女がリラックスできるように、配慮したいと思いました

回答No.18

う~ん、私もご友人はかなりのストレスを抱えていらっしゃると思います。 女性って100%完璧主義の方がいらっしゃいます。 ごのご友人も完璧主義ではありませんか? 自家中毒ってところにそれが現れているような気がします。 母親がそういうストレスを抱えている状態って子供にとって良くないです。 それがお見舞いが原因の一つなら回数を少なくするとかできたら良いのですが。 また、完璧なご友人はがんばってしまうのでしょうね。 ご主人にも相談できずに。 もしかして自分でも自覚していないのかもしれません。 そのうちにどーんと突然爆発するか…日ごろからうまくストレスを解消できれば良いのでしょうけど。 きっとあなたのもんもんはご友人のストレスからの体調不良が心配からだと思います。 あなたの出来ることは彼女の話をうんうんって聞いてあげる事ぐらいしかないですね。 それだけでもご友人にとっては全然違います。

chubee
質問者

お礼

書き込みありがとうございます そうなんです  友人はほんとうによく頑張っており  完璧主義というステレオタイプな表現を用いるとイメージが違ってしまうほど ほんとうに 朗らかに前向きに 嫁として妻として母として完璧にこなそうと努力をしていて いつも頭が下がる思いなんです わたしはこのスレッドを立てた当初は  嫁として妻として そこまで必要なの?  ちょっとご主人~少しは 妻や子供のことを考えてあげたらどうなのさ~ という感覚をもっていました けれど ご主人が そこまで必死になってしまう心理や 友人が決して 疲労感や弱音を吐けない環境、周囲の目線などについて 知ることができました お子様の自家中毒は ご家族が ご主人のご実家の近所へお引越しされた直後のことで 環境の変化が主因かなとも思ったのですが それだけではなく 子供は敏感ですから 母親のコンディションを機敏に察知して 情緒が揺らいでいるのかもしれないですね もうすぐ春になるので そうしたら 原っぱ?のような広い公園にでも誘ってみようと思います

  • Tumugi
  • ベストアンサー率20% (60/287)
回答No.17

ANo.7 です。他の方へのものも含めて、質問者さんのコメントを読ませていただいて感じたこと。的外れだったらごめんなさい。 お子さんの心配よりも、御友人の心配をされているのですね? >とにかく黙って話を聞いてあげて >彼女の判断のすべてを肯定してあげていないと  >彼女が壊れてしまいそうな切迫した危うさのような  >張りつめた感じが伝わってくるのかもしれないです これって、大事なことです。御友人は、かなりストレスだと思います。 これは、「仕方の無いこと」だとわかっていても、「正しいこと」だと思っていても、我慢しなければならない事は多く、ストレスはストレス。しかも、御主人相手には愚痴さえ言うことが出来ないでしょうから。 毎週お見舞いに行くのは大変良いことです。が、それによるうっぷんは、質問者さんが聞いてあげるのが一番の協力ではないでしょうか。 私が介護中、一番精神的にまいっていた時に、それでも何とか乗り切ってこられたのは、愚痴を聞いてくれて、余計な口を挟むでもなく発散させてくれた友人達がいたからだと思います。 愚痴って聞かされる方も辛いけど、話す方はそれで救われることも多いので、いっぱい愚痴聞いてあげてください。

chubee
質問者

お礼

お返事ありがとうございます  だんだんともやもやした気持ちが自分なりに見えてきました 私が心配しているのは やっぱり抑制傾向にあるお子様のことだと思います。けれどそのお子様の状態を作っているのは母である友人の無意識なストレス状態で、そのストレスの解放はおそらくタブーなのでしょうね。そこが最も難しい点なのだとこのボードのレスを介して理解できました。 また、彼女のストレス状態に対する私の理解がズレていたことももやもやの一因でした。 私が当初抱いていた疑問、というか不憫に感じる根拠と位置づけていた考えは、おそらく訪問回数や子供同伴という要素、つまり「片道2-3時間往復で1日約5-6時間の道のりを毎週子供と共に見舞う」ことによる心身の直接的な疲労についてでした。その行為の必要性にも疑問を持っていました。けれども気丈にふるまう彼女の危うさが何なのか、どうもそこが結びつかずにもやもやとひっかかっていたのだと思います。 けれど、こちらのレスの全てが「それは正しいこと」「すべきこと」「してあたりまえ」の意見で集約されている事実と、ともすると人格を否定されかねないような反応も数パーセント収集された事実を踏まえた上で、彼女の立場を思い返した時に、おそらく彼女の声なき悲鳴のありかは、声を出せないことそのもの、決して声を上げてはいけない立場、そんな閉そく感への孤独の闘いにあるのかな、と思いました。  彼女はお子様のこともきっと見えているのだと思います、でもそれを見てはいけない、子供と向き合ってしまったら自分が壊れてしまう、家族が壊れてしまうと。誰にも、弱音を吐けないんだと。ご主人にも、他人にも、決して言えないんですね、決して。厳しいんですよお子様に。断定的でとても高圧的なんす。私はてっきりそれを、忙しいから、時間がないからだと思っていました。 そう考えてみると自分で自分を励ます明るい彼女のsosとして思いつく言動が色々と結びついてきます。情緒が安定していない人と対して自分の心も揺れたのでしょう。私の心の揺れはこのボードでみなさんが少し解放してくださいました。  ともあれ、介護については、自分の中のネガティブ感情を決して見てはいけない、盲目的に信仰のような心理を築かないと、とても達成困難な大変なご苦労なのだなと知りました。 思いのほか 自分自身も 考えるきっかけになりました。

  • simakawa
  • ベストアンサー率20% (2834/13884)
回答No.16

すばらしい家族ではありませんか.認知症といわれますが,皆との会話が非常に大事なのです.皆と話をする,頭を使いますから,進行を遅らせも出来ています. その家族が一生懸命看護しているわけですから,他人がもんもんとする事はありません.子供だって嫌なら行きたがらないはずです.

chubee
質問者

お礼

書き込みありがとうございます たくさんの方に書き込み頂いて だんだんと考えの整理がついてきたところです >子供だって嫌なら行きたがらないはずです. たぶん この部分について ひっかかっているのだと思います 子供は ママもパパも大好きですよね ママがパパが一生懸命なことは 一生懸命肯定しようと努力すると思います 子供は努力家ですよ なんとなくですが  子供の子供らしさというか 子供の主体性が抑制されているというか  子供特有のわがままぶりが なさすぎるような  何事もよくききわけて 常に母の価値観を肯定しているような そんな印象をうけたのかもしれません だから もんもんとしていたのかも・・・

  • higa3
  • ベストアンサー率28% (246/874)
回答No.15

感じ方の違いでしょうが、 なぜあなたがもんもんとされるのかが 不思議です。 自分ならば到底考えられないから、 ご友人が無理しているように感じられるのでしょうか。 また、要求されていると言う表現も どうかなと思いましたが・・・ 義理母が同じく片道3時間かかる病院に入院していました。 義理父が一人で過ごしているのも気がかりでしたので、 毎週末、お見舞いがてら一泊していました。 旦那から強いられた感覚は全くなく、 私の方が行かなければ行けないような気持ちでした。 無理しているのではないですよ。 実親だったら間違いなくそうするし、 義理親でも同じく気になるからです。 我が家にも8歳と3歳になる子供を連れての事でした。 確かに、週末は退屈な道中でしたが、 それ以外にも楽しみを見つけながら行きました。 お見舞いといっても 家族で過ごす時間には変わりありませんからね。 義理母は残念なことに1年ほどの入院生活の後 他界しました。 でも旦那もすごく感謝してくれましたし、 私も出来るだけのことはやったつもりです。 もちろん、義理母にも感謝してもらいました。 感謝を押し売りしているわけではなく、 当の本人たちがそれを望んでしているだけと思いますが いかがでしょうか。

chubee
質問者

お礼

書き込みありがとうございます 私がもんもんとしている理由は なんとなく 友人が無理をしているようにみえるからかもしれません けれど それ以上に  >自分ならば到底考えられないから、 ご友人が無理しているように感じられるのでしょうか。 そうです たぶん ただ >要求されていると言う表現 は 友人自身が使用しました   友人の言葉そのまんまです 「毎週末~要求されているのよ」 と・・ 友人のことにたいするもんもんとしたきもちとは別に 皆様が おっしゃられるように  たった一度きりの人生の「死」と直面した時に 悔いが残らないように行動することは 大切なのだと思いました ご経験者の方々からのリアルな書き込みは いろいろな意味で参考になりました もし時間がありましたら 若い番号の回答者様へつけたレスなどもお読みください ありがとうございました

  • ponpokori
  • ベストアンサー率38% (321/839)
回答No.14

私が友人夫の立場だったら、毎週行きますね。 が、夫と子どもを連れて行くかは、本人たちの意思に従います。 4歳であれば、病院へ行きたくないか、行きたいか 自分で判断できますよね。 しかも認知症 と加えられていますが 「どうせ、誰かも何も分からんでしょうに」と思いでしょうか。 >義母さまもご健在なのだから、 別に、お世話に行ってるわけじゃないですよね。 友人夫が、父親に会いたいから行くんでしょう。 私は逆に、質問者さんの発想に 「そういう考えもあるんだ」と驚きました。 そのうち、子どもも留守番してると言い始めるか お父様が亡くなられるか、ご友人が耐えかねるか。 になるでしょうけど。

chubee
質問者

お礼

書き込みありがとうございます そうですね 私も もし自分が その友人の夫の立場でしたら 毎週行くと思います けれど 子供の同伴は隔週くらいにすると思います >しかも認知症 と加えられていますが 「どうせ、誰かも何も分からんでしょうに」と思いでしょうか。 そこまで強い否定感情はないですが 近い印象はありました 認識できないような状況のようなので  だから 毎週?子供同伴?という感じを受けたのです >別に、お世話に行ってるわけじゃないですよね。 >友人夫が、父親に会いたいから行くんでしょう。 そうではないです スレッドにも書き込みましたように 子供同伴で毎週末見舞うと 夫に要求されているとのことでした >私は逆に、質問者さんの発想に >「そういう考えもあるんだ」と驚きました え?どんな発想に驚かれましたか? スタンスとしては 回答者様と 私は アドレスが結構似ていると思って書かせていただいていますのに・・ 

noname#49563
noname#49563
回答No.13

私も皆さん同様、お友達家族の行動は立派だと思います。 お友達が週に1度のお見舞いを嫌がっているならともかく、快く実行しているなら何も問題はないと思います。 >なぜにそこまでして、妻&子どもを伴うお見舞いが必要なの? >と不思議に思うのですが・・ しかも義父は痴ほう症です あなたがもんもんとしてしまう理由は「しかも」に要約されていると思います。 認知症患者に対して偏見はありませんか? 認知症は家族の顔がわからないから孫や嫁のお見舞いは必要ないのですか? 義父さんがガンで入院しているのと認知症で入所しているのと何が違うのですか? 認知症で物事の判断はできなくても、心は失っていません。 誰かが自分を訪ねて見舞ってくれる。 慣れないホームで不安な気持ちで過ごしていてもそれで落ち着くこともあるのです。 厳しいことを言わせてもらいますが、あなた自身の認知症に対する考えを改めないと、疑問は解決できないと思います。

chubee
質問者

お礼

書き込みありがとうございます ただ 回答者様のコメントは 何か論点がズレている印象をうけました >認知症患者に対して偏見はありませんか? こんな質問を私になげかけて 一体何になるのでしょう? >認知症は家族の顔がわからないから孫や嫁のお見舞いは必要ないのですか? 質問の意図が不明ですよ 議論は望んでいません >慣れないホームで不安な気持ちで過ごしていてもそれで落ち着くこともあるのです。 これは たしかにそうですね そう思います >厳しいことを言わせてもらいますが、あなた自身の認知症に対する考えを改めないと、疑問は解決できないと思います。 お宅様に対しても 厳しいことを言わせてもらいますが、 状況や事情のよくわからない相手に言葉をかけるのだから  表現を選ぶことも 思いやりだと思いますが  ご自分の書かれた文章を読み返されてみて いかがでしょうか?   他の方の書かれている文章と比較すると いかに好戦的であるか お気づきになれるかもしれません 偏見があるだの 考えを改めろだのとの あなたの責め言葉に  私は 不快な感情を惹起させられました  私には介護の経験がありません  だから介護に関わる感情や環境についての理解が浅いです あなたには介護の経験はあっても広く人を思いやる心の余裕がありません  介護を経験することが必ずしも思いやりをはぐくむとは限らず 時に人を消耗させ強迫的かつ好戦的にさせてしまう可能性を示唆する1例だと感じました

関連するQ&A