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涙を流す対象
私は、不治の病で死んでいく人のドキュメンタリー番組を見ても 泣きません。(そういうのが好きな親は見てよく泣いてます) 身内で祖母がなくなりましたが、あまり泣きませんでした。 悲しい、という感情もあまり起こりませんでした。 以前した質問を参照してください。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3551818.html 対象が人間である場合、あまり感情が沸きませんが、 動物系の番組、下半身不随の犬とか、足の無い猫、とか 穏やかに死ぬヤギとか、ベタにハチ公物語とか、 動物を題材にしたものならば、アニメであっても、感情がゆすぶられ、 動物が不幸なめにあっているなら、涙が出てしまうのです。 もともと動物に対してはそういうような愛情が湧き上がるのです。 しかし、人間の赤ん坊に対してはあまり「かわいい、愛おしい」と思う事はほとんどありません。 なぜ、「人間」には何の感情もわかないのに、 「動物」に対しては愛情が沸いたり、悲しくて泣いたりしてしまうのでしょう。 私はどういった心理なのでしょうか。 偽善者だな、と思われそうであまり誰にもいえません。
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実の親子であっても感性は違うものですよ。 私の母親は子どもの頃『マッチ売りの少女』を読んで、主人公が可哀そうでならなかったと話しておりましたが私は、その話に、それほどには共感しなかったんです。だって『マッチ売りの少女』の主人公は確かに可哀そうですけど、最後は優しいおばあちゃんに迎えてもらって微笑みながら息を引き取ったのだから。実際には幻覚のなかで凍死したわけなんでしょうが、『フランダースの犬』の犬のほうが(飼い主の少年ではなく!)ずっと可哀そうだと思っていました。だって空腹を抱えたままニンゲンに付き合わされて死んでいったんですもの、いい迷惑じゃ~と(笑) 『幸福の王子』でも、ツバメさんのほうが可哀そうと思っていました。ニンゲンのためにパシリやらされて暖かいエジプトに渡る機会を逸してしまったと。 私は『マッチ売りの少女』派と『フランダースの犬』派とに大まか分けられるんじゃないかと考えています(笑) 私の母親も人間関係で苦労した人ですが、それでもやっぱり基本的にはニンゲン好きと言うか人に対して関心が向くと言うか、人の評価に敏感でしたし、それを重視してましたし、その分、動物に対する関心が薄かったです。と言っても冷たいわけではなくて、同じ生きてる者どうしとしての尊重心はありました。特に子育て中の動物には。母親としての仲間意識でしょうか(笑) 御質問者様や私のようなタイプでも、ヒト対動物の関心比率は普通と逆であっても、同じ生きてる者どうしとしての尊重心さえ失わなければ、それでいいのではないでしょうか。 私は生育環境が良くなかったので、親に対しては複雑な思いがあって、愛憎こもごもなんです。身体障害もありますので、その点からも人間関係では苦労が多かったし、とにかく人間の醜さは人一倍見てきています。その反面、生後6ヵ月頃から2歳直前までの、御近所のあらゆる人々から、たいへん可愛がってもらった記憶がハッキリ残っているのですが、その間の親の記憶がフシギなくらいないのです。このことは、こんにち私が完全な人間嫌いに陥ることから救ってくれています。有り難いことだと感謝しています。 私は、母の話では、ごく幼い頃から、添い寝をすると、かえって寝なかったそうです。一人にしてやるほうが、よく寝たそうです。普通と逆ですよね。その名残なのかどうか、おとなになって、たとえば彼氏が泊まりにきたとき、横で寝てると私は眠れないんです。これには、かなり悩みました。あと、肩に腕をまわされたりとかベタベタにスキンシップされることも、あまり好きじゃないんですね。 通勤の満員電車なんか、もうホント地獄です。もともとヒトとの接触自体が生理的に好きじゃないんですから。或る時、満員電車で揉まれながら苦し紛れに想像したことがあるんです、周りのヒト全て犬とか猫だったらと。もしそうだったら全然イヤじゃないですね!そこらじゅう抱きつくかも(笑) 以前、長いこと体調を崩していたんですが、その間ますます人間関係でもストレスが高じて、もう無人島にでも行ってしまいたいくらいだったんですが、そんな状態のときでも犬や猫や鳥等の動物たちに接すると気分がやわらぎました。ずいぶん助けてもらったと思います。 いまでも、どんなに疲れているときでも犬や猫や動物の姿を見ただけでホッとなごむんですが、本当に疲れてるときはヒトはダメなんです。 だから、ふだん気持ちに余裕のあるときはヒトの赤ちゃんとか幼い子を見て「あ~ら可愛いわね!」とか思うんですが、とても疲れてるときは見るのも避けてしまいます。逆に動物だと、姿を追ってしまうんです。 どうですか、御質問者様と似たところがありますか? 相手に対する思い入れが、どれだけあるかによって左右されるのでは、と仰るかたが多いようですが、御質問者様の場合、それだけとは言い切れない感じを持たれるのでしょうか。 私としては自分自身の実感からも、人生経験の豊富さによって鍛えられた想像力と、それによる感情移入ということを挙げたいところですが、やはり、それだけとも言い切れないでしょうね。 たとえば母親は我が子に盲目的なまでの愛情を抱くのが自然、と普通は思われますが、どうにも我が子が可愛いという素朴な気持ちになれない、との悩みは、このサイトでも、よく見かける相談です。 早い話、御質問者様は、ヒトというものが好もしく感じない、したがって興味も薄い、それは生理的な感覚なのじゃないかと思います。これも一つの個性ですし、加えて、お母様に対する反感や思いの複雑さも影響しているのかもしれませんね。 生理的な感覚、要するに単なる好き嫌いなのだから、それについて、とやかく批判されると煩わしく感じ、ほっといてくれという気持ちになるのと、皆が好きなもの関心が強いものを、自分だけそうじゃないということへの肩身の狭さから来る一種の罪悪感などがおありになるんでしょうか。 お葬式とか、その他、人目がはばかられるような場合には、とにかく雰囲気を乱しさえしなければよしとしましょう。それ以上のことを自分に課すと、ますます苦痛が募りますでしょう?ともかく神妙にしていれば宜しいと思います。 人の不幸事に直面して思わずニタニタ笑ってしまうのを止められないという悩みまであるくらいですから。(これはまた動機が異なるかもしれません) 仏教なんかでは、人の生き死にに際して感情が波立つのも煩悩なので、何事も執着するな、とか言うそうですから、御質問者様のような人は、むしろ生まれついての理想状態かも、ですよ。冷静沈着でクールな気質なんだと思います。 「下半身不随の犬とか、足の無い猫、とか穏やかに死ぬヤギとか、ベタにハチ公物語とか」 こういうの見て何も感じない人もまた、私にとっては好もしくないです。 これから先、人生の荒波に翻弄されるようなことでもあって、そんななかで人情の機微に触れたり、自分が経験した辛さを他人もまた味わっているのを見たりというような経験を積んでいくことで、人に対する感情移入も養われていくかもしれません。
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- suilenroc
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動物に対する共感が持てるということは、感情がまったくないというわけではないのでしょう。 また、自分の中にある、快、不快を他の人や他のものにも感じ取るという能力はあるようです。 人間に対しては何の感情もわかないと困っておられるようですが、原因はひとつではないと思います。 生まれつき(遺伝素因、妊娠中の影響)共感する能力が低い 養育時の環境(戦争、災害、いじめなど)により共感する能力を健全に(ほとんどの人ができるくらいのレベルに)育む事ができなかった 自分の問題を認識してからは自分の感情をコントロールすることを過剰に意識してしまい、人間相手には本当の感情を抑えつけている など 原因がひとつでない様に解決策もひとつではないでしょう。ただ、これからの人生において御自分の本当の感情を大切にすることが重要なのではないかと考えます。
お礼
ありがとうございます。 >生まれつき(遺伝素因、妊娠中の影響)共感する能力が低い そういう事もあるんですね・・考えた事もありませんでした。 >自分の問題を認識してからは自分の感情をコントロールすることを過剰に意識してしまい、人間相手には本当の感情を抑えつけている これは・・あるかもしれないです。人の感情を汲み取る事は、人よりも敏感ではないかと思っているんですが、 でも実際するのは「共感してるフリ」だけです。本当は共感してないんです。からっぽなんです。 ううんもっと自分について知ろうと思います。
- nomonomo2
- ベストアンサー率29% (42/143)
こんにちは。 >私は、不治の病で死んでいく人のドキュメンタリー番組を見ても 泣きません。 自分も、人が亡くなった場面で泣いた事がありません。 テレビや新聞で人が亡くなったニュースを聞いても、それが知人であっても、 身内や幼馴染が亡くなって葬儀に出ても、泣いた事がありません。 もちろん悲しくないわけではないのですが、涙が出ないのです。 人に、 「何で知らない人の葬式で泣くの?」 と聞いた事もありますが、 「雰囲気で泣いてしまう」 との答えをもらい、納得した様なしない様な気分になった事もあります。 人が亡くなっても涙が出ないのは、「人が亡くなる事」や「亡くなったその人」に対して、強い思い入れがないからではないかと、自分は思っております。 もしも、質問者様の親や大好きになった人が亡くなれば、泣かれるのではないでしょうか。 そして、そういった経験(大好きな人が亡くなって大泣きした経験)が一度でもあれば、その後別の人が亡くなり葬式に出た時に、昔大好きな人が亡くなった時の事を重ねて見てしまい、泣く事もあると思われます。 子供の頃、赤ちゃんの時から自分が餌をやって育てたペットがいたのですが、そのペットが死んだ時にはとても悲しくて、そのペットが小さかった頃一生懸命餌を食べる様子を思い出しては、一週間くらい泣き続けました。よく自分に懐いていましたし、とても思い入れがあったのだと思います。 でも野生の動物が車に撥ねられて死んでいるのを見ても、「祟りがありませんように」などとおかしな事は思いますが、悲しくはないし、まして泣いたりもしないです。 質問者様の場合、特定のペットだけでなく、「動物全般」や「動物が死ぬこと」に対して、強い思い入れを持っておられるのではないでしょうか。 または、質問者様には、「対人恐怖」や「人嫌い」の兆候はありませんか?(違っていましたらお詫び致します) 本来なら人間に対して擁く様な感情(愛情や哀れみ等)を、「対人恐怖」や「人嫌い」によって人間に対して抱く事ができず、代わりに動物を対象としてしまっている、と考える事もできると思います。 自分は昔、特定の音楽を聴くと、涙が出る事がありました。 その音楽を聴くと、何か幼かった頃を想い出すような、懐かしい様な、哀しい様な気持ちになり、涙が出るのですが、結局、なぜかは今でも分かりません。
お礼
ありがとうございます。 「お葬式は雰囲気で泣く」っていうのは何かで聞いた事があります。 「思いいれ」や「大好きな人なら」という回答は以前に沢山もらいましたが 私にはいまいちピンときません。「動物が死ぬこと」というか、動物に感情移入してしまいます・・ 対人恐怖はありませんが、人嫌いかもしれません。
- teloon
- ベストアンサー率11% (71/627)
人間よりも動物が好き、動物を愛する気持ちが強いのではないでしょうか。いくらでもそういう人はいると思います。ただ動物にあまり興味を抱かない人にとっては、人間の持つまともな感情とは思われないかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 >人間よりも動物が好き、動物を愛する気持ちが強いのではないでしょうか。 いるでしょうが、人間よりも動物にしか感情が動かない人は少ないと思います。 なぜそうなのか?を知りたかったんです。
お礼
ありがとうございます。 うわー感じ方がすごく似ています。びっくりしました。 童話の中では主人公より動物が可愛そうに思うこと、 一人ではないと熟睡できないこと、(身内でも友達でも隣で寝てると熟睡できません) 満員電車で肌が触れるのが気持ち悪いこと。 一番仲良しの親友がいて、最初はすごく楽しいと思えたりするのですが、長時間になると段々しんどくなってきます。 別れた後はぐったりします。他人と長時間向き合う事が苦手なようです。 私には恋人がいた事がありませんが、恋人ができる事が想像できません。 他人と長時間いっしょにいる事が増えそうで私は耐えられないかもしれません。 もし、結婚したとしても、子供は産めないと思います。可愛がれないのが可愛そうで。 結局私は一人で部屋にいる時が一番楽なんだと思います。 人といると疲れます。もっといえば、「私自身を意識される事」が嫌なんだと思います。 私はどんなに親しい人でも自分の考えや悩みを言うのが嫌です。自分を知られるのが嫌だし、変に思われるのが嫌なのかもしれません。 >ヒトというものが好もしく感じない、したがって興味も薄い、それは生理的な感覚なのじゃないかと思います。 >とやかく批判されると煩わしく感じ、ほっといてくれという気持ちになるのと >自分だけそうじゃないということへの肩身の狭さから来る一種の罪悪感など まったくそのとおりで、鋭い分析に驚きました・・・! 生理的なものとしてあまり意識しないのが良いのかもしれません。 >自分が経験した辛さを他人もまた味わっているのを見たりというような経験を積んでいくことで、 人に対する感情移入も養われていくかもしれません。 なるほど!そのようになれたら良いなあ、と思います。 自分と似たような感覚を持った方がいた事がとても嬉しかったです。「自分だけではない」という安堵感がありました。 さらに回答を通じて「客観的にみられた自分」を知り、以前よりも自分について知る事が出来、少しすっきりしました。 どうもありがとうございました。