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思春期(青年期)のアイデンティティの事について。

今、思春期の心理について調べているのですが、分からないことがあるので、質問させていただきます。 思春期(青年期)がアイデンティティを確立するために必要な事は何ですか? また、思春期が抱える問題として、克服しなければならない課題とは何だと思いますか? 質問がアバウトすぎて、申し訳ありません。 この、質問内容ではアバウトすぎて分からないと思いますが、内容が分からない場合、どんどん聞いてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • eienn
  • ベストアンサー率16% (77/462)
回答No.2

私は、今まさに16歳、いっぱんに思春期と呼ばれている時期ですが・・・。 高校を辞め、資格の勉強とバイトをしながら、音楽の道に進もうと思ったのは、必然であって、自己意思では「ない」と思っています。 自己、個性、アイデンテティ。 はたからみたら、私は自分の意思がはっきりしており、自己中心的に生きているように見えるかもしれません。 でも私には、本当は、個性も自己もアイデンテティも自分の意思というものも無いと思っています。 空虚こそが自分であると。 必然の流れの中に生きて、それでいいと肯定しているのが、ある意味で「私」です。 つまり、アイデンテティクライシスなどどいう言葉がありますが、それは個に囚われているから起こる不安と焦燥であって、根本的には無問題。 課題は、思春期だろうと更年期だろうと、真実を洞察することです。 ではまた~(*^∇^)

some_some
質問者

お礼

お返事遅くなってすみません。 回答ありがとうございました。 自分の経験から答えていただいてとても分かりやすかったです。 本当にありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

私もエリクソンを思い出しました。 克服しなければならないことは、他人と自分は違っていい という自己の特徴を受容すること。 例えば、「あの人は明るくて人気者。だから自分も明るくならなければいけない」と思うことは、自分の個性を否定していること。 理想を自分以外のところにおいて、その自分以外の者になろうと、自分らしさを否定すると、浮き草のような状態になる。 例えば「お父さんは医者なのだから、あなたも医者になりなさい」と親の価値観を子供に押し付けた場合。 「僕は医者になる」といえば両親は喜び円満。 でも本当はミュージシャンになりたい。 音楽が好きで、人の体に興味はもてない。 親は人の役にたつ仕事を望み、社会もそういう人を歓迎するのだから、そっちにすすむべきか? そのためには興味の無いこともやるべきか? 誰のためにやるのか? 他人のために自分を殺してそれでいいのか。 悩むわけです。 「お父さんはお父さん。お父さんは人を助ける仕事に幸福感を得られるが、僕は人に感動を与えることに悦びを見出すんです。うまく弾けた時の幸福感は他で得られない。だから父さんはお父さん。僕とは違う。 僕は自分らしく生きたい」と自分らしさを見出した時、自我を獲得することになる。 学校の「こういう人になりなさい」とか親の「こういう人になりなさい」とか本で読んで「こういう人になりたい」ということで、何度も他人の価値観の影響を受ける。 でも、他人の服なので、着こなそうとしても合わない。 「これが僕のスタイル これでいいんだ」となったとき、それは自分の個性を認め受容していることなので、自己と統合していることになる。 反抗期なども、それに必要な段階。 他人と自分の差に気づきだし、一緒である必要はないんじゃないかと思い始める。 制服などは、特徴を消すので没個性のシンボル。 だが他人とトラブルを避けるために、同一の中でも自分らしさを出すため、他人と違う着こなしにするようになる。 昔パラパラってはやったじゃないですか。 制服を嫌って個性を主張する人たちが、パラパラの踊りで没個性を希求する。 みんな同じ服、同じふりつけ、軍隊のように一糸乱れる踊り。 せっかく自分と他人は違うと主張したのに、結局集団に中に埋もれ、僕個性を望み安心感を得ようとする。 結局 学校の色は嫌いだが、別の集団の色は好き と革命じゃなくクーデターによりトップが変わっただけ。 つまり自我の統一の失敗。 だけど学校とは違うから、個性を出していると勘違いしているだけ。 そしてさまよって集団に埋もれて没個性のまま、空しさを抱いて、自分らしさより、集団のカラーに染まることを求め、自分の人生は他人次第となり、他人が悪いから自分の人生も影響を受けてこうならざるをえないのだ となる。 制服でよければそれでいいんです。 外見は他と同一でも、考え方が独自でそれで自分に正直なら、それがその人独自の存在の証。

some_some
質問者

お礼

お返事遅くなってすみませんでした。 分かりやすい回答ありがとうございました。 例えも入っていたので、とても分かりやすかったです。 本当にありがとうございました。

  • hipotama
  • ベストアンサー率50% (116/231)
回答No.1

 エリクソンは、思春期の発達課題として自我の確立といっています。本を読んで、そのときは納得したような気がします。しかし、言葉づらでは、理解できてもそれは本当に理解したことにはなりません。  「自我」って何?、「自己の確立」って?  私もその時期を通過してきました。そのことについても、悩みました。ある時、ある人が 「自己の確立って、自分が好きになることだよ。」と言われました。 「自分の顔が好き、自分の容姿、性格が好き。」といういうことだそうです。  この言葉を聞いて、「あ~そうなんだ。」と納得しました。自分が好きになるということは、それは、他人との関係においてです。ただ、自分が好きだけでは、ナルシストになってしまいます。  克服する方法は?ということですが、前述したように他人と関わりを持つと言うことです。自分の顔を見ることは、できません。鏡を見ることによって、ようやく自分が見られます。  それと、同じように自分の性格は自分では分かりません。人と関わることによって、性格が見えてきます。 「○○さんて、○○なんですね、」と言われて、 それを受け入れるか、受け入れないかは自分です。 時々、自分って○○なんだと言う意外な発見があります。  よき友人は、よい曇りのないよい鏡です。  余談になってしまいますが、私は熟年になりました。黄昏症候群になってしまいました。再びエリクソンを読むと、この時期の発達課題は、自我の再構築だそうです。  はっとしました。自我の確立の時期を通過後、仕事の他に自分のやりたいことがありました。仕事とやりたいことどちらを選択するか、それを悩んでいたようです。  エリクソンのいう「自我の再構築」というのは、こういうことだなと実感しました。

some_some
質問者

お礼

返事が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。 分かりやすい回答ありがとうございます。 私もエリクソンの発達課題を読んで勉強しました。 本当にありがとうございました。

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