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命令書なしに日本軍隊は動けない

yatiyochanの回答

回答No.5

>旧日本軍は細かな行動まですべてに大本営からの紙の命令書を必要としていたそうですが、    そんなことをしていては、戦争は出来ません。まず、大本営が発する命令というのは「細かい行動」ではなくて、おおきな作戦の骨格となる類です。それに沿って軍司令部が具体的な作戦を立てる、というのが基本でした。    従って、大本営の命令は海軍でいうと例えば連合艦隊司令部、陸軍でいうと南方軍総司令部など国内あるいは勢力圏内に位置するような高級司令部でしたから文書通達は充分可能でした。   >その紙をあのFAXのない時代にどうやって本部から前線まで届けていたのですか。  外洋にて行動する艦隊や敵軍に完全包囲されている守備隊へは「命令書」を届けることが出来るはずがありません。  ゆえに実際には命令は電報で発していました。例えば、先の大戦での開戦時、真珠湾攻撃に向かっていた日本海軍機動部隊に対して、連合艦隊が発した「作戦を決行せよ」という命令が「ニイタカヤマノボレ」という暗号電報であったことは有名です。  また、同じく北ビルマ(現ミャンマー)で、1944年(昭和19年)7月敵軍に包囲されていた日本陸軍のミイトキーナ守備隊(隊長:水上源蔵陸軍少将)に対して、上級である第33軍司令部は「水上少将はミイトキーナを死守すべし」と命令を暗号電報で発し、命令を受けた少将は軍に対し「軍命令謹んで受領す。守備隊は死力を尽くしてミイトキーナを確保す」と返電したのでした。 資料:戦史叢書「イラワジ会戦」防衛庁防衛研修所戦史室 69年 の47・48頁

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