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解決済み

日本の古代都市の城壁

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  • 質問No.35312
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お礼率 85% (6/7)

日本の古代都市、たとえば藤原京や平城京、平安京ってヨーロッパ・中国の都市と違って城壁ってものがないですよね。調べたら、外敵がいなかったからだとか、経済力がなかったからだとかいう説明がされていたけど、日本にだって戦乱があり政権は交代してるし、経済力の問題でもまさか一つの都市を作ろうとしてるときに経済力がないなんてことはないと思います。この問題、皆さんはどう思われますか?意見を聞かせてください。
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質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.6
レベル7

ベストアンサー率 27% (5/18)

 都市の形成過程の違いによるものです。古代ギリシャや夏殷周の都市は都市国家として成立しました。日本においては古代集落が都市国家といえるかどうかは疑問です。ですから国家が拡大する場合も、ギリシャ的国家は都市同士の同盟などから発展しますし、中国においては都市の支配被支配関係から領土を拡大しています。古代国家の成立をどの時代におくかは別にして、我が国ではある一定程度の支配地域が確立された後に都市機能をもつ「みやこ」を定めています。
 城と都市は本来別のものなのです。先進地域においては都市がそのまま国家として発展することによって城塞都市となったのが、他の地域では安定した地域に「みやこ」をおきますから、戦乱の予測がないところには城をつくりません。藤原京、平城京はまさにそれです。
 
お礼コメント
pepsi5000

お礼率 85% (6/7)

ありがとうございます。都市の形成過程の違いには気づきませんでした。
投稿日時 - 2001-02-07 17:29:52
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その他の回答 (全6件)

  • 回答No.5
レベル11

ベストアンサー率 48% (117/243)

全く違った観点から回答します。
中国の都市は城壁で囲まれています。
日本はほぼ無いのですが、各重要な通りには
「門」がありました。大内裏では、建物の密集により
(各家:建物は塀や生け垣で仕切られている)ので、
道(門)が通行路となりました。
また、自然の要因としては「川」平安京では鴨川
「山」比叡山などに囲まれています。さらに、建物の
無いところは、樹木の林や、竹林で、あまり城壁が
必要でなかったようです。中国では、どちらかといえば
乾燥地帯が多く、樹林の発達が少ないので。
「のぞみ500」さんの土井説はつい最近の学説です。
ただ、土の囲み=土囲→土居なのか、土で囲った井戸
で土井か?水には関係があるようですね。
お礼コメント
pepsi5000

お礼率 85% (6/7)

森林が多いという日本の特性が関係していたんですね。参考になります。ありがとうございます。
投稿日時 - 2001-02-05 14:35:57


  • 回答No.7
レベル14

ベストアンサー率 15% (594/3954)

前の「土居」について。
よく考えれば、都ぜんぶが土居に囲まれているならば「土居の内」町なんていう地名があるはずないですね。一部のかぎられた地域が囲まれていたからこそ「土居の内」です。
きっと、水害や防火などの為に、作ったものだったのでしょうね。井戸ではないと思いますが。
  • 回答No.1
レベル7

ベストアンサー率 16% (4/25)

日本は都市の守り方の考え方が違うのではないのでしょうか。
聴いた事があることとして、日本は城を守るために町があるそうです。そのため、城下町の道はまっすぐにはしないで、なかなか城にたどり着けない迷路のように作ってあるということです。
まあ、城を落とす、というような言い方があるのだから城さえ無事なら後はかまわないのではないでしょうか。
お礼コメント
pepsi5000

お礼率 85% (6/7)

ありがとうございます。確かに城下町って複雑にできてそうなかんじがします。
投稿日時 - 2001-02-03 23:04:51
  • 回答No.2
レベル11

ベストアンサー率 36% (141/389)

日本の古代都市は朝廷(大王)が覇権を握った証ではありますが、それでも実質は豪族の連合政権によって作られたものですよね。当時の日本では、島国ですから異民族などに襲われる心配はほとんどなく、朝廷にとって最大の敵は他の豪族でした。しかし豪族たちは、都市の中に住んでいます。したがって、都市の外壁を作っても防御の意味はなかったわけです。
お礼コメント
pepsi5000

お礼率 85% (6/7)

敵はすでに都市の中にいたんですか。だから外壁なんかを造る必要はなかったってことですよね。ありがとうございました。
投稿日時 - 2001-02-03 22:50:40
  • 回答No.3

西洋と日本古代の一番の差は、外敵の種類ではないでしょうか。即ち、飛鳥時代以降の日本の館は(今日いうところのお城は古代には存在せず、14世紀以降です。)異民族を想定した防御ではなく、同族の反乱に備えたものと思われます。西洋でも
時代が下れば同族の争いも盛んになりますが、ローマ、ギリシャ、中国などの古代城砦都市は異民族の襲撃に備えて作られていたようです。もう一点考慮すべきは
攻める側の武器の発達と馬の関係もあるかも知れません。騎乗の異民族が、いつどこから攻め込んでくるか分からない時代にあっては、普段から城壁に囲まれた居住地が必要とされたのでしょう。その点日本では周囲の海が城壁の役を果たしたと思われます。
お礼コメント
pepsi5000

お礼率 85% (6/7)

ありがとうございました。島国の日本では突然騎馬民族が襲ってくるなんてことはないですよね。大変参考になりました。
投稿日時 - 2001-02-03 22:46:54
  • 回答No.4
レベル14

ベストアンサー率 15% (594/3954)

 京都に「土居(土井)の内」という地名がいくつかあります。「おどい」というのは、土手なのですが、川の堤防ではなく、土塁でできた壁というものだそうです。
 ただ、「どい」が現存していないので、平安京は壁で囲まれていなかった、と思われています。古い地図には、絵図が残っているそうですが、私は実物をみたことはありません。たまに歴史サークルのネタになることがあるということです。

 中国やヨーロッパほど、大きな石やレンガが使えず、土だけで作ったために破壊するのが容易で、街を広げるために壊していったのではないでしょうか。
お礼コメント
pepsi5000

お礼率 85% (6/7)

壁があった可能性があるんですか。参考になりました。ありがとうございます。
投稿日時 - 2001-02-03 23:09:26
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