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ケンペル「(江戸時代の日本では)十二の宗派が平和に共存していた」

http://www.asahi-net.or.jp/~pu4i-aok/core/bookdata/700/b737.htm 上のページでは、ケンペルが「十二の宗派が平和に共存していた」と書いていたと書かれています。それは以下の原典から訳したのだろうと思います。 http://perso.orange.fr/dboudin/VOLTAIRE/Traite.htm 問題は、ケンペルが実際にそう書いたのかどうかです。ボルテールが自著にそう引用したのですが、厳密にケンペルから引用したのかどうか、がひとつ。もうひとつは、メタファーとして書いただけなのかどうか、です。 江戸時代の日本の宗教・宗派を、分け方にもよりますが、12になるのでしょうか?神道を仮に1と数えると、日蓮宗、真言宗、浄土真宗、浄土宗、天台宗、時宗、黄檗宗(これ、比較的新しいですよね)、修験道、ほかになにがありますか? あるいは、ユダの12部族のメタファーでしょうか?つまり、12部族で調和と社会的凝集性が保たれていた、ことのたとえでしょうか?

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  • anaguma99
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回答No.2

ケンペルが実際にそう書いているかどうかについては 「日本誌」を参照しなければ何とも言えないと思います。 入手は可能なようですが、全7巻なので何とも…… さて、十二の宗派が平和共存というのは おそらく1635年に制定された寺請制度が 当時機能していている姿を見て書いたことと思います。 これはキリシタン排斥(及び仏教異端の排斥)と関連して すべての国民をいずれかの公認仏教の宗派の寺に所属させるものです。 寺院は、所属している人間の戸籍(宗門改帳)を管理します。 幕府が仏教界を管理・統制することになりましたが、 仏教側も布教する必要がなくなり幕府の庇護のもとで栄えました。 戦国時代は一向一揆が領主も追い出すほどの力を持ち、 権力側からすれば社会の不安定要因の一つでしたが、 安土桃山時代を経て、江戸時代は仏教は骨抜きになり、 権力と持ちつ持たれつの関係になったということです。 おそらく12宗は#1さんが書かれているものかと思いますが、 これについては原典を読んでいないので確かなことは言えません。 修験道については、幕府が修験者を 天台系の本山派か真言系の当山派に所属させたため、 数に入っていないでしょう。 修験者も諸国を回ることが社会の不安定要因と見なされました。 ケンペルは寺請制度が完成してから来日したので 当時の状況を見てそのように書いたのかもしれませんが、 平和共存→キリスト教が入ってから流血という認識は正しくなく、 信長・秀吉による仏教弾圧と兵農分離及び 江戸時代に入ってからの仏教を利用したキリスト教排斥と仏教管理に伴い、 仏教教団が平和共存するようになったという構図になるかと思います。

Audrey_Carville
質問者

お礼

すばらしい!君の瞳に乾杯!

その他の回答 (2)

  • Big-Baby
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回答No.3

ケンペルが江戸時代の仏教の各派について知っていたのならすごいと思って、ケンペルの「日本誌」を参照してみました。この第3巻が日本の宗教について当てられています。ところが、残念ながら仏教の宗派についての言及はほとんどありませんでした。第3巻1章の始めに、日本では次の4つの宗教を数え上げることができるとして、神道、仏道、儒道、切支丹道の4つを挙げ、その信徒の数はだいたい同じくらいとしています。切支丹は過酷な弾圧を受け、「現在、日本において許され、栄えている主要宗教は、日本風に短く言えば、神、仏、儒の3つである。最後の儒は、本来の意味で宗教とは言い難く、本来の意味で宗教というならば、仏と神の信仰だけである」となっています。 ケンペルの関心は偏っていたのか、日本独特の宗教である神道にはえらく詳しいのに、仏教についてはほんの概論しか述べていません。山伏については一章が割り当てられていますが。Voltaireは誤解していたのか(deuxをdouzeに読み間違えたとか)、わざと数を水増ししたのか、不思議ですね。

Audrey_Carville
質問者

お礼

君の瞳に乾杯! ヴォルテールは合理主義者・反聖職者主義者なのでユダヤ12部族のメタファーは考えにくいそうです。

  • sgm
  • ベストアンサー率60% (375/618)
回答No.1

曹洞宗の僧侶です。 ご質問分のURLの内容を斜め読みしただけで、かくとした事は言えませんが‥‥ >ヴォルテールは「寛容論」で「日本は世界で最も寛容な国民で >ある。日本では十二の宗派が平和に共存していた。ところが、 >キリスト教が日本に入った途端に流血である」 これは仏教宗派の事をさしていると思われます。 第二次世界大戦前までは、日本の公認宗派は13あるとされていたそうです。 法相宗・華厳宗・律宗・天台宗・真言宗・融通念仏宗・浄土宗・臨済宗・浄土真宗・曹洞宗・日蓮宗・時宗・黄檗宗の13派でした。 このうち、黄檗宗が日本で成立したのは1600年代の中頃ですので、上の記述で触れられている「キリスト教が日本に入った」1500年代中期には存在しなかったため、12派とされたのではないでしょうか。

参考URL:
http://www.echizenya.co.jp/mini/colum/syuha1.htm
Audrey_Carville
質問者

お礼

かなり参考になりました!感謝しています。 山伏などは公認宗教ではなかったんですね。天台宗と真言宗に含めるのでしょうか? 融通念仏宗は初耳です。ひろちさや氏監修の漫画などで勉強したのですが、まだまだでした。

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