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なぜオランダはWWIで中立を守れたけど、WWIIでは守れなかったのか

なんでオランダは第一次世界大戦で中立を守れたのに 第二次世界大戦では中立を守れなかったのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.4

オランダは国防計画と近代化が大幅に遅れて殆ど無防御に近い状態でした。 第1次大戦の結果から攻撃されるとは考えていなかったようです。 また攻撃されても国土を洪水作戦で水びたしにし救援軍が来るまで持ちこたえられると予想していました。 ドイツ軍の準備と装備は卓越しており、特に落下傘部隊と空挺部隊による後方攪乱と重要橋梁と飛行場の確保が成功し進撃速度が速くオランダ軍の抵抗計画は完全に狂ってしまったのです。 オランダ軍は国土を5日で占領され女王と政府はイギリスに亡命しました。 オランダ政府は防衛を英仏の援助なしでは不可能と知っていましたが種々の理由でハッキリ表明出来なかったのも救援の遅れを生じたのです。 これらは1940年5月に終わっており、日本軍のオランダ領インドネシアへの進攻は1942年3月ですから直接の関係はありません。 ただ現地のオランダ軍の戦意を喪失させていたことは事実でしょう。 ドイツがオランダを占領したのは英国爆撃基地と港湾を確保するためでした。

bougainvillea
質問者

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回答ありがとうございます。

その他の回答 (5)

回答No.6

#4さんと#5さんの回答に被りますが,オランダが中立を守れなかったのは,「中立を守り抜くだけの力がなかったから」ということになります. 誤解されやすいのですが,中立とは「誰の敵にもならない」ことではなく,「誰の味方にもならない」ことです. つまり, 「自国が戦争を仕掛けられたら自国だけで始末をつける.他国同士がどんな戦争をしても知ったことではない.」 中立であるということは,見方を変えれば,全世界が敵ということと同じで,大変厳しいものなのです. スイスなどはその辺を明確にしています.WWIIではスイスはドイツに攻め込まれそうになり,国境を固めたことがありました.結局ドイツはスイスには攻め込まなかったのですが,仮に攻め込んだとしても,スイスは連合国にはならず,自分たちだけでドイツ軍と戦ったことでしょう.この場合,枢軸国と戦争をしても中立は守り通したことになります. 連合国になるということは,スイスに攻めて来たドイツ軍と戦うのに他の連合国が応援してくれるということですが,同時に,他の連合国のためにスイスはドイツ軍と戦わなくてはなりません.スイスが中立でいるのは,そういう他人の戦争には加担したくないからです. ご質問のオランダの話になりますが,オランダが中立を守れなかったのはドイツに攻め込まれたからではありません.他国を自国に攻め込ませない外交力と,攻め込んで来た他国を自力で撃退する軍事力の両方が無かったからです.自力でドイツ軍を追い出す能力がなければ,代わりにドイツと戦って追い出してくれる味方が必要です.その味方を得るとうことは,すなわち中立を放棄するということなのです.

bougainvillea
質問者

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みなさん回答ありがとうございます。 質問後自分でも調べてみたのですが、だいたいこんな感じみたいですね。 WWI:ドイツはシュリーフェンプランを基にフランスを攻撃。西部戦線は膠着するが、オランダは経済封鎖を回避するために中立国として残された。 WWII:ドイツはイギリス攻撃を念頭に置いて西部戦線を開始。ためにオランダも侵略された。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.5

あまり深く考える必要はありません。 第一次大戦:ドイツもフランスもオランダの中立を侵さなかった。 第二次大戦:ドイツが、オランダを通過して英仏軍を攻撃することを選択した。 それだけです。 オランダは、隣接する強国であるフランスやドイツが侵入を躊躇するような強力な軍事力を有していたわけではありません。オランダの中立は、あくまで「他国の信義」に依存していました。それが第二次大戦では通用しなかった、それだけのことです。 ノルウェーは第二次大戦では中立国の立場でしたが、イギリス軍とドイツ軍の戦場となり、長くドイツに占領される結果となりました。ノルウェー軍もオスロを巡る防衛戦でドイツ海軍に大損害を与えるなどそれなりに戦いましたが、所詮はドイツ軍の敵ではありませんでした。 第二次大戦で、仮に1939年9月ににドイツ軍がポーランドを攻撃した時点でフランスやイギリスが中立を宣言していれば、その中立は容易には侵されなかったでしょう。フランスやイギリスの軍事力は強大であり、その国が中立を宣言していれば「寝ている虎の尾を踏む」のは簡単に出来る決断ではありません。 (両国とも、ポーランドと相互援助条約を結んでいたので、ポーランドが攻撃されて中立を宣言するという選択肢は現実にはありませんでしたが) 1941年12月に、日本が中立国であったアメリカを先制攻撃したのは、 「寝ている『世界一強い虎』の尾を『切断する』」 行為であり、まあ普通では考えられないことでした。史実のように「外交関係断絶前の不意打ち」でなかったとしても、極めて「非常識」な軍事行動といえます。 「当時オランダの植民地だった東インド諸島を日本軍が占領したからです。宗主国としては黙ってられません。300年も支配してきたんですから」 日本がオランダ領東インドを攻撃したのは「1942年」であり、「1940年」ではありません。その時点で既にオランダ本国政府はイギリスに逃れ、オランダの本国全土がドイツ軍に占領されていました。「1942年に東インド諸島を日本軍が占領した」云々は、「1940年にオランダがドイツに攻撃された」こととは全く関係ありません。

bougainvillea
質問者

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回答ありがとうございます。

noname#81629
noname#81629
回答No.3

当時オランダの植民地だった東インド諸島を日本軍が占領したからです。 宗主国としては黙ってられません。 300年も支配してきたんですから。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.2

第一次世界大戦でオランダが中立でいられたのは、ドイツがフランス攻略のために立案したシェリーフェンプランが、主な原因かと思います。 ドイツのフランス攻略計画であるシェリーフェンプランは、弱小国であるベルギーを攻略して、フランス軍の背後に回る計画でした。 参考:ウィキペディア『シェリーフェンプラン』  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3 第一次世界大戦ではこのシェリーフェンプランが実行されました。 第二次世界大戦でもシェリーフェンプランを元にした作戦を検討しましたが、作戦計画が事前に連合国側に漏れたためドイツ軍が作戦計画を練り直した際に、ドイツ側の事情でオランダ攻略を決定したようです。 参考:ウィキペディア『オランダにおける戦い (1940年)』  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%88%A6%E3%81%84_%281940%E5%B9%B4%29

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.1

ドイツに近すぎたので、支配されてしまったのではないでしょうか。 中立国とは中立を宣言するだけではなく、他国からの侵略や影響を受けてどちらかの側(連合国側と枢軸国側、西側東側のような)についてしまうことがないようにするため、自分たちで自国の中立性を保つ必要があると言われます。スイスもそうですよね。 オランダは女王が亡命したようなので、ナチの支配下に置かれたのだと推測します。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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