- ベストアンサー
両親との考え方の違いに悩んでいます (長文で失礼します)
はじめまして。 現在、大学生ですが、その後の進路のことや、私自身のことで意見が合わず、悩んでおります。 私の希望する職種は、そもそも募集が非常に少ないので、私としては、就職活動の際には地域をなるべく限定せず、働かせていただけるのであればむしろどこでも考慮に入れたいと思っております。 しかし、両親は、なるべく出身地で仕事を探し(田舎であり、そこにはほぼないと言ってよいのですが…)、または親戚のいる、私に目の届くところで仕事してほしいと考えているようです。 「長女であるのだから家に残らなければならない」という理由で、ある程度仕事させたら「好きなことをしたのだからもういいでしょう、言うことを聞きなさい」と仕事をやめさせて結婚させることを多少本気で考えているようです。 また、上記のような理由から、男性との交際も禁じられております。(今、大学は実家から遠く、一人暮らしなので目が届かず、相手も出身地が遠い場合があったりするためです) 親戚からも同様のことを言われており、もう聞き分けの良い「長女」であることに疲れてしまいました。 一度男性との交際が発覚してしまった時、「うそつき」や「親不孝者」とののしられ、泣かれて、精神的にまいってしまった時期もありました。 親の考え方に従わず、反抗することは「親不孝」でしょうか。 長女は本当に上記のような(法律的にではなく、慣習的な)義務を果たさなければいけないのでしょうか。 頭では違うのではないかと思っていても、実際親や親戚が当然であると主張するために、だんだん混乱してきてしまいました。 どうか第三者である皆様のご意見をお聞かせ頂けませんでしょうか。 よろしくお願い致します。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 うちは転勤族で宗家でもなかったため、質問者さんとは立場は違いますが、周りに同じ悩みを抱えている人が何人かいました。 第三者的な目から書いてみます。 親御さんはずっとお住まいの地域で、旧来の考え方を持ち、同じような考えの親戚に囲まれて過ごしてこられたんですね。 長女だから卒業したら親元に帰り、婿をとって家を継いでもらうものだということに何の疑問もなく育ててこられたのだと思います。 そうなると、言葉はもはや何の意味も持ちません。 新しい世代の私たちは、教育によって広い世界を知り、自分の能力に目覚めて世の中で人の役に立つことをしたいと思っています。 思い切り力を試したいと思うのは当たり前ですし、昔ほど土地に縛られることはありません。 一度しかない人生、目標を持って歩いていきたいと思ったときに、 親の希望どおりの道を歩くのか、 苦しくても自分が道を開いていくのか、 誰でも迷う時があると思います。 質問者さんの場合は、それが少し早く、端的な形で提示されているのだと思います。 地元に帰らなければ親御さんは悲しむでしょう。 その考え方が普通かそうでないかは別として、それを止めることはできません。 説得しても理解してもらえないでしょうし、周りには味方が誰もいないような気がすることがあるかもしれません。 それでもやりたいことがあるなら、私はそちらに行った方がよいと思います。 質問者さんが本気ならば、応援してくれる人は必ず現れます。 自分の人生だから。 将来子供を持った時に胸を張って自分の生きてきた道を語れるようにしませんか。 もちろん、親や家を守るために勇気を持って地元に帰るという選択もあります。 でも、質問者さんがちゃんと考えて選び取った道である限り その後も納得して、地元という環境の中で 活動できることを作り出せるのではないかと思います。 たとえばその時期が卒業後すぐではなくてもよいのかもしれませんよね。 「当然」とか「あたりまえ」はありません。 誰が犠牲になる必要もないと思います。 よく考えてつかんでくださいね。
その他の回答 (5)
- syarion
- ベストアンサー率27% (34/123)
こんにちは。 ご親族を傷つける勇気がなければやめられたほうがいいと思います。 >一度男性との交際が発覚してしまった時、「うそつき」や「親不孝者」とののしられ、泣かれて、精神的にまいってしまった時期もありました。 精神的にまいってしまうくらい、質問者さんの中ではお身内の比重が高かったのではないですか。 聞き分けの良い「長女」であることに疲れても、一時の疲れかもしれません。 質問者さんの責任感が強いほど、お身内を傷つけたら諸刃の刃で自分も傷つくと思います。 今は希望の職種の就活もしながら“会社かお身内か”ギリギリまで考えられたらどうでしょうか。 時間がたつほどにどちらかに不義理をしてしまいますが、それは許してもらいましょう。 ただ決めたら自分の意思として、後悔したり責任転嫁しないでその道をしっかりと歩いて欲しいです。 傷つけても進みたいと思われたら、一人になっても立っていられると思います。がんばってください!
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 お礼を申し上げるのが遅くなって申し訳ございません。 確かに、今の私には、両親、親族を傷つけ、進むだけの勇気がないのかもしれません…。 今まで、両親の言うことを聞いてきましたが、結果不満だった場合にいつまでも「言うことを聞けと言ったから聞いたのであって、私の決断じゃない」と、両親に責任を転嫁してきたように思います。 自分で反抗して、責任を負うだけの強い意思を持っていなかった結果だと思います。 しかし、今やりたい仕事は、親が納得するような今までの学部や方向性と全く違った(お恥ずかしいですが)自分自身で初めて決めた道です。絶対に一人前になりたいですし、途中でやめたくなどありません。納得いくまでやりたいと思っています。 両親、親戚を傷つけて進むのか、潔くあきらめて帰るのか、ちゃんと納得して自分が責任を取れるまで悩んでみようと思います。 力強いお言葉、本当にありがとうございました。
補足
ご回答いただいた皆様、本当にありがとうございました。 ANo6.syarion様の補足欄をお借り致しまして、皆様に改めて御礼申し上げたいと思います。 この質問をするにあたって、私には、「現在の風潮では私の考えの方が主流なのだと、間違っていないのだと皆様におっしゃっていただきたい」という思いが無意識的にありました。 しかし皆様はそのようなことはおっしゃらず、あくまで客観的に、どのように考え、行動すべきなのかを示してくださいました。 どちらかが合っていてどちらかが間違っていると思いこんでいたこと、どのような道を選んでも最後は自分が責任を取るということをきちんと認識していなかったことが分かり、自分が子供だったのだと実感致しました。 私には実家で学生をしている妹もおり、私が出て行ったら(本来次女であるのに)妹にも迷惑をかけるかもしれないと悩んでおりました。 長女として家に残るのであれば潔く残り、出て行くのであれば喧嘩して飛び出すのではなく、両親、妹にも頭を下げたいと思います。 ポイントにつきましては、皆様に差し上げたいと思っておりましたが、全員に差し上げられませんでしたので、せめてもの感謝としまして、特に感銘を受けたお二人の方に差し上げたいと思います。 大変長くなりまして、申し訳ございません。 質問を締め切らせていただきます。
- benelli
- ベストアンサー率51% (78/152)
ANo2です。補足の方を読ませていただきました。 日本国憲法うんぬんについては法律うんぬんを書きたかったわけではないのでご安心ください。 単に「ひとまず国家は質問者さんに対して家を飛び出してもOKと言っている感じがします」ということの説明ということで、あのように書かせていただきました。いきなり「ひとまず国家は~~」と書いてしまうと首を傾げると思いまして。。。 言葉足らずで申し訳ありませんが、「国家を作った人たちは束縛される人生よりは束縛されない人生をオススメしてるっぽい」と捕らえていただけたらと思います。憲法も感情を持つ人間達が作ったものですから、彼らの『自由を尊重するという心意気』を感じてくれたらと思います。 (実は全然解釈違かったりして。。。)
お礼
2度もご回答いただき、ありがとうございます。 私がつたない補足をつけてしまい、そのことで再度ご説明いただくようになってしまい、申し訳ございませんでした。 回答者様のおっしゃること、私なりに理解できたように思います。 個人を尊重しようという心意気は確かにあるのでしょうね…。 (なぜ断定を避けてしまったかと言いますと、自分の学問分野であったために、余計に書き込みに気を使ってしまうのです。勉強不足ですし…。申し訳ありません。) 補足に対しても丁寧にご回答いただき、本当にありがとうございました。
- akamanbo
- ベストアンサー率17% (462/2680)
>親の考え方に従わず、反抗することは「親不孝」でしょうか。 >長女は本当に上記のような(法律的にではなく、慣習的な)義務を果たさなければいけないのでしょうか。 世の中の風潮としては、もはやそのようなルールは風化・消滅していると思います。 田舎ではまだ残っているのかもしれませんが、地域というより属人的な価値観ではないかとも思います。 >「うそつき」や「親不孝者」とののしられ、泣かれて、 この辺、ちょっと普通でない印象ですし。 「~することは親不幸なんでしょうか。」といった質問はここでもときどき見かけます。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 世の中の一般的な風潮としてはもう風化しているのでしょうね。 私が周りに相談すれば「そんなのおかしい!」と言われる一方で、両親が周りに相談すれば「いや当然だ」と言われるので、どちらも「じゃあ自分は間違っていないんだ」という結果にしかなりません…。 そもそもこのようなことは属人的な価値観で、自分の周りにいる人達(友達など)は似かよった価値観を持っていることが多いのですから、どちらも相談することによって自分を正当化することなんて出来ないに決まってるのかもしれませんね…。
- benelli
- ベストアンサー率51% (78/152)
27歳男性です。 私の意見はたくさんある意見のうちのひとつでしかないことを考慮しながら読んで頂けたらと思います。 やってしまった後悔よりもやらなかった後悔の方が深いとよく言われます。が…… ある種の賭けですが、今までの人生の中でしてしまった後悔の数と重さ、やらなかった後悔の数と重さを比較し、してしまった後悔のほうが比重が多いのなら家に残るべき、やらなかった後悔のほうが比重が多いのなら家を飛び出したほうがいいのではと思います。 文面だけを読む限りでは「してしまった後悔」の方が多そうな印象を私は受けましたが。。。 そちらの家庭では家を飛び出したら両親から見れば「親不孝」になるのでしょうが、日本人全員が守らねばならぬ日本国憲法では個人の自由を保障をしているため、両親の押し付けは「憲法違反」でもあるわけでして、ひとまず国家は質問者さんに対して家を飛び出してもOKと言っている感じがします。親戚の目と日本国憲法のどちらのほうが質問者さんにとって大切なのかは分かりませんが。 - - - - - - - - - - - - - ついでに私の就職活動ですが。私の両親の先祖は戦前から共に東京周辺に暮らしていたのですが、そのためなのか(?)「働いて稼げるようになったら家から出てけ」という家柄です。私や姉弟が「うちってお世継ぎいなくね?」と言うと必ず両親は「うちは分家だからいらん」と言って終了です。 逆に言うと「家に残るか飛び出すか」なんて選択権は私には最初からないわけでして、私のような選択権がない人と比べると、選択権があるということは喜ぶべきことなのかも知れませんよ。まぁ、私は選択権がないからこそ家を飛び出すかどうかで悩むという苦労をしなくてすんだ幸せ者だったのかも知れませんが。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 「してしまった後悔」と「やらなかった後悔」とどちらが重いか、という回答者様の言葉、身に沁みました。精神的に参っていた時期は、やらなかった後悔が多いに決まっている、と一方的に親に憎しみを抱いておりましたが、してしまったことは取り消すことはできませんし、自分のしたことや親を悲しませたこともきちんと考えなくてはいけないのかもしれないと思います。 また、就職についても選択の余地がある(親が残れと言っているのだから)ということについても、回答者様のおっしゃるように、選択の余地があることは幸せなことかもしれないと出来れば前向きに考えてみたいと思います。 丁寧なご回答、本当にありがとうございました。
補足
一つ気になったことがありましたので、僭越ながら補足させていただきます。 日本国憲法についてなのですが、憲法は国家と個人との関係を規定する法で、私人間を規定する法ではありませんので、憲法の「個人の自由」とは、国が国民の「個人の自由」を保障するものであるということができます。よって私の両親が私の自由を束縛したとしても憲法違反とはなりません。(と思います…) 民法でも、長男長女が家を継ぐようないわゆる「長子優遇」といった制度はなくなっておりますので、あくまで「法律的にではなく慣習的に」と書かせていただきました。 生意気なことを書いてしまって、真に申し訳ございません。 どうしても気になったので書かせていただきました。 ご無礼お赦し下さい。
- FairyQueen
- ベストアンサー率27% (24/87)
こんばんは。 お家柄にもよるので何とも言えませんが、学生のうちは我慢を。 社会人になったら、まわりに振り回されずに自分のために生きるのが良いのではないでしょうか。 自分の人生は一生に一度きりです。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 学生のうちは金銭面などで親に全面的に頼っている状態ですし、その恩は忘れてはいけないと思っています。 しかし「人生は一度きりなのだからそのような大事な部分では自分の意見を通したい」ということと、「そのことで(他人にも同様に大事である)他人の希望を退け、傷つけてしまって良いのか」ということで悩んでしまいます。 温かいご回答、本当にありがとうございました。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 お礼を申し上げるのが遅くなって申し訳ありません。 回答者様が、第三者のお立場から冷静に、非常に分かりやすいお言葉で示して下さったことに心から感謝致します。 質問をしたときの私は、「なぜ私がこんな親の言うことを聞かなければいけないのか、友達は皆自分の道を自分で決めているのに…」とあたかも自分だけが不公平な状況に置かれている様な気がしておりました。 やりたいのなら本気で、自分に責任を持ってやれば良いのであって、自分を正当化して相手を否定し、相手のせいにしてはいけないのだと改めて認識しました。 苦しくても自分の道を自分で選び、その責任は自分で取らなければならないということについて、まだまだ甘えがあったと思います。 (おかしな表現ですが)何だか毒気を抜かれたようです。 どうもありがとうございました。