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あなたの抱く《これぞ 日本人》をおしえてください

littlekissの回答

回答No.8

こんにちは、bargelonさん。 "旅ゆけば~駿河の国に~茶の香り~♪" 呑みねえ、呑みねえ、鮨を食いねえ、鮨を。もっとこっちへ寄りねえ、江戸っ子だってね。 神田の生まれよ。 そうだってね、そんなに何か、次郎長にゃいい子分がいるかい いるかいどころの話じゃないよ、千人近く子分がる。そのなかで代貸元をつとめて他人に親分兄貴と言われるような人が二十八人、これをとなえて清水の二十八人衆。この二十八人衆の中に次郎長ぐらいの偉いのが、まだ五、六人いるからね。 ほぉー、呑みねえ、呑みねえ 神田のうまれよ 神田、神田って言いやがらぁ、さっきからそんなこと聞いてやしねえじゃねえか。おい、お前の生まれなんかどうだっていいんだ。こうなったら、お前さんばかにくわしいようだから聞くんだけれども。どうだい、その次郎長を問わないが一番強いのをだれだか知ってるかい。 そりゃ、知ってらい だれが強い、清水一家で一番強いのは? ー浪曲『森の石松』よりー 浪花節な一面も《これぞ 日本人》 旅話好きな一面も《これぞ 日本人》 【観光案内】ー火渡りー http://www.pref.mie.jp/TOKYO/HP/cmback/cm0128.htm 赤目四十八滝 赤目繋がり滝繋がりで http://www.netlaputa.ne.jp/~suginaka/tachiyomi/siotubo.html 車谷長吉さん、兵庫県姫路市出身とか、姫路といえば…赤穂浪士でおなじみの忠臣蔵。昼行灯との呼び声高き…大石内蔵助。忠義を重んじるあたりを義理堅いととらえれば《これぞ 日本人》 "草鞋はいて阿讃の峠を越えた牛" http://dekiya.blog57.fc2.com/blog-entry-175.html 火渡りー忍者ー隠密… 《日本人は、死んでいるのでしょうか》 『りんぞうのかお』上下/北方謙三 著/集英社文庫 P369~第十六章 旅立ち 「待て、間宮」 「死者を待つものは、おりません」 「その方も、死者ではないか」 一度背をむけたが、林蔵は立ち止まった。 「蝦夷地にて、死にました。死んだまま生きるのがどういうことか、御老公さまよりずっとよく知っております」 http://www.asahi-net.or.jp/~XC8M-MMY/childrinzo01.htm http://www.sekiyukagaku.co.jp/pbn2002-09-16nariken.htm http://www33.ocn.ne.jp/~noritax_world/shomei0610/shomei0610.html

noname#80116
質問者

補足

こんにちは。 ★《これぞ 日本人》性格編 (A) 任侠(もともとは 仁義を重んじ、 困ったり苦しんだりしている人たちのために体を張る犠牲的精神・それによる相互扶助――Wikipedia)    ・《借耕牛(かりこうし)》:           阿波が耕牛を貸し 讃岐が米を贈る      《"草鞋はいて阿讃の峠を越えた牛"》    ・森の石松・清水次郎長一家:      任侠の《気風は、 いわゆる義侠心とか侠気ともいわれる。 こうした男の道を任侠道と言い、任侠道を極めんとする者たちが相互扶助する ために組織化されたもの――wiki》 (B) 進取の気風    ・《旅話好きな一面》    ・夕張市石炭博物館の設立と存続への希望(自分はどうすればよいか わからないけれど)。 (D) 遊び心    ・littlekissさんとその《陽気な仲間》:      数年おきに集まれる大学時代の友 (E) 若い・青い・ナイーヴ・純心    ・吉田松陰が その父(杉百合之介)や一族の者と同じように勤皇一筋に走る    ・若い渋沢栄一が 幕府討伐に向かうほど 公の精神に寄り頼む    ・漱石『坊っちゃん』    ・《兄弟たち 物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり 物の判断については 大人となってください。・・・》(パウロ『コリント人への第一の手紙』 14:6-21)    ・つまりは従って そのエネルギーは 次の(J)《コツコツと》の精神と合わせて 貴い。    ・《浪花節な一面》    ・x(A) 任侠 として 赤穂浪士:       《忠義を重んじるあたりを義理堅いととらえれば》。      これについては 人によって ひと議論あるかも。 (I) ものづくりの精神 x(J)《コツコツと》    ・《マジック『ホカロン』の開発者:田浦照親さん》    ・《アイスノン》 (J) 《コツコツと》不撓不屈の精神    ・実直・質実剛健    ・《逆境にあっても壁に挑むコツコツと》    ・《三歩進んで二歩下がる / 人生はワン・ツゥーぱんち》(『三百六十五歩のマーチ』)    ・中里介山・その長編小説『大菩薩峠』の完成    ・間宮林蔵:北海道・樺太探検    ・大久保諶之丞(じんのじょう):      阿波と讃岐を結ぶ四国新道の完成(1884~)     ・車谷長吉の『塩壺の匙』等の私小説群:      自らの一族の詳細な――露悪とも言うべきほど詳細な――内輪物    ・若松知次:《使命にもえて全道をくまなく歩いた。そのとき末端の現場を見て 北海道が広く寒冷地であることを実感した。そしてお客さんを大切にする気持ちが涌いてきた。》と言う。(北海道炭鉱汽船会社当時)。 (K) 《日本人は、死んでいるのでしょうか》(?):    ――これは ここに(K)としましたが よくわかりません。    ・間宮林蔵:《〔わたしは〕「蝦夷地にて、死にました。死んだまま生きるのがどういうことか、御老公さまよりずっとよく知っております」》(北方謙三『林蔵の貌』)     表現としては 葉隠れになってきましたが どう捉え どこに位置づければよいのか よくわかりません。《公》の精神につながるか。 (L) 公の精神    ・渋沢栄一:公共的な利なる価値創造    ・間宮林蔵・その使命感    ・一方で 公共道徳の精神は 日本人に薄いように感じられる。 * 赤目四十八滝と火渡りは 特に記事はありませんでした。 * 三重の話題は じつは なつかしいのですが。ただ 名古屋寄りの北辺でしたので 尾鷲や名張・伊賀上野など 親近感はありますが あまり実際にはよく知らない状態。 * 昔 山伏が火渡りの行事をやっていましたよ。熱いだろうなと思って見ていただけでした。 * 讃岐忌部氏と阿波忌部氏とのつながりで 三重には 員弁(いなべ)という町があります。忌部氏の職としての祭具製造・神殿宮殿造営といえば 続いて栄えていてもいいように思うけれど 祭具の中の玉造りの仕事が衰えたのに伴なって 不振となったのだろうか。 * きょうは 鮨でも食べましょうか。

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