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大東亜戦争当時、敵兵の救助の事例は?
- 大東亜戦争当時、敵兵の救助の事例は日露戦争と同様に存在しました。
- 日本軍は撃沈した敵艦の乗員を救助し、傷病者を治療して敵国へ送還する例がありました。
- 戦闘員であろうがなかろうが、国際法に関係なく敵兵の救助が行われました。
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http://nippon7777.exblog.jp/1762338/ 駆逐艦 いかづちの話はそこそこ有名だと思います。
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- mk57pvls
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こんにちは 連合軍側による(日本兵の)救助についてはあまり存じませんが、日本軍 による連合軍兵士の救助の話は、いくつか事例がありました。 No.1さんが回答している"雷"の例は その救助した時の状況や人数の多さ 等で あまりにも有名ですが、それ以外でも 元海軍士官 大高勇治氏の著書 「“海の狼”駆逐艦奮迅録―第七駆逐隊太平洋海戦記」(光人社 NF文庫) には、著者が乗艦していた駆逐艦がジャワ海を航行中、偶然にも"無警戒 に浮上航行"している米潜水艦を発見し、交戦の上撃沈、直後に海上に浮か んで救助を求める、多くの米兵を発見し、直ちに接近、収容した、という ことが書かれていました。 可笑しいのは、救助された米兵が"全然落ち込んでいる様子が見られず" 飲み物(焼酎入りコーヒー!:多分ブランデーなど洒落たお酒なんぞは 駆逐艦にはないので、苦肉の策だと思いますが (^^ゞ)や食べ物(タマ ネギ:当時は長期航海中の疾病予防のための高価な食材、という扱い だったようです)を出してやると、"大げさなジェスチャーで感謝の意" を表し、挙げ句の果ては"この戦争は絶対負けないぞ"と、自信たっぷり 語っていた、というエピソード。 ヤンキー魂(?)がうかがえるとともに、さっきまで闘っていた同士なのに ひとたび同じ船に上がってしまうと 妙な仲間意識 が出るんだなぁ、と 不思議な感じがします。 他にも、撃沈した敵艦の乗員を救助した例は(元乗員の回想録や戦記など でも)いくつか見られますが、それも大戦前半の頃までのようで、戦局 が悪化してからは あまりそういう記録も見られないですね。やはり「それ どころじゃない」って状況だったのでしょうかね。
お礼
二つ目の事例のご紹介を有り難うございます。救助の事例は探せば、なくはないことが判ってきました。 こういう事例は艦長だか、司令だかの(軍艦には艦長を指揮する立場の人物が乗っていたのか?)資質が大きく反映するのでしようが、何処か滑稽ながらホッとする話です。 軟弱人間としては、米兵の能天気振りが通用する程度の戦争に留めておいて欲しいものだと思います。 この頃は未だ、鬼畜米英なんて言葉はなかったのかもしれません。 「百発百中の砲一門」なんぞという過度な精神主義は結局、敵愾心を煽るしか方法がなくなるし、どうせ当たらないのだから近間に落下すれば周辺を丸ごと破壊し尽くす兵器を造るに限るという物量作戦も困ったものです。 「“海の狼”駆逐艦奮迅録―第七駆逐隊太平洋海戦記」(光人社 NF文庫)は手近な所にあるのが判りました。 有り難うございました。
- eroero1919
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日露戦争というのは、第一次大戦の前ですよね。第一次大戦以前とそれ以降では、戦争っていうのが劇的に変わったんです。どう変わったのかというと、乱暴にいえば「戦争に国民全体が巻き込まれるようになった」ということなんです。 日露戦争まではまだなんだかんだいって「武士の情け」とか「騎士道精神」みたいのが残れる風土があったのです。しかし、第一次大戦以降は「容赦のない大量破壊、大量殺戮」の時代になったのです。 特に第二次大戦になるとこれに「イデオロギー」が混ざってきて余計ややこしいことになってきたのです。確かに探せば太平洋戦争においても「武士道(騎士道)精神」が発揮された場面もありましたが、それは「極めて例外」であったというべきでしょう。 当時の平均的アメリカ白人にとっては、日本人というのは「半分人類」だったのです。ですから、当時の米兵の間で流行ったお土産が「日本兵の頭蓋骨」だったそうです。これは人間同士と思うと恐ろしいですが、狩猟のときに鹿の頭部を記念に剥製にするようなものだと思えば理解できなくもないです。あちらにとっては「半分動物」なのですから。 米兵の回顧録などを読むと、戦場では実にむき出しの憎しみが衝突していたことがよくわかります。降伏という選択肢がない日本兵は、相手が負傷兵だろうがそれを救出する衛生兵だろうが容赦なく攻撃の対象となります。なぜなら、そいつらを殺さないと自分がむざむざと殺されるからです(万が一生き残れるとしたらあまりの犠牲の多さに米軍が耐え切れなくなって退却するのを期待するしかない)。 また一方米兵からすると、誰彼構わず攻撃し、そして決して降伏しない日本兵は「殺すしかない」ということになります。降伏は許されなかった日本軍では降伏の礼儀作法というのも知らないので「両手を挙げて出てきて米軍が油断したところを攻撃する」ということもしばしば行ったようです。ですから、米兵は両手を挙げて出てくる日本兵は「速やかに撃ち殺すに限る」ということになります(太平洋戦線での日本兵の捕虜のあまりの少なさにはそういう一面もあったそうです)。 とはいえ、こんな話も聞いたことがあります。これは私は又聞きで聞いたのですが、この話を教えてくれた人は当事者から直接聞いたのだそうです。 その方がいた島には、戦局が悪くなると米軍の爆撃が連日続いたそうです。しかし、そこには双方に暗黙の了解があったそうで、それは何かというと、日本兵はみんな防空壕に退避し反撃しない。すると、米軍は人のいない適当なところに爆弾を落として帰っていくそうです。お互い戦争の結果がなんとなくわかっているので「無駄死にはよそう」ということです。で、ある日妙にやる気になった人がなぜか機銃座について反撃しちゃったそうです。当然、米軍は撃ち返してその人は戦死した。周囲の兵隊さんたちは「アイツ、バカじゃねえの」といったんだそうです。 こういったあたりの事情については「誰にも書けなかった戦争の現実」という本によく書いてあります。軍事マニア受けするようなことは何もなく、かなり読むのに気力が必要な本ですが、なかなか興味深いものがあります。
お礼
拝読しました。 知識も思考力もないので断片にしか過ぎませんが一晩、雑多なことを考えました。 1.階級社会に利点があるとすれば、支配階級や有閑階級にはそれなりの自覚が芽生えて、名誉であるとか文化であるとか被支配階級が考えずに済むことに思いを致すようになることでしようか。武士道も階級社会の良き遺風だったのかなと思いました。 2.白人の対日本人観では思い出したことがあります。「アーロン収容所(会田雄次著)」の中に、日本人捕虜が英国人女性兵士の部屋へ掃除に行く際に、ノックは禁じられていたという話がありました。犬や猫にノックは無用というのが彼らの理屈のようでした。 3.戦争が形振り構わぬものになったについては、日本軍に降伏が許されていなかった事情も絡んでいたことが分かりました。 4.兵器の進歩も影響しているかな、と思いました。手足や首の吹き飛んだ屍を蹴散らしながら12人(エノラ・ゲイの乗員数)で14万人を殺戮する神経を人間は多分、持ち合わせていないのだと思います。指揮官も命令する神経をもっていないのだと思います。しかし、B-29から原爆を投下することなら容易にできてしまいます。しかも、二度までも。 5.過酷な戦いにも拘らず、以心伝心というのか、心の通い合った事例がなくはなかったのが判りました。 6.「誰にも書けなかった戦争の現実」は、よく読まれているみたいですね。折があれば読もうと思います。 有り難うございました。
お礼
駆逐艦「雷」の話は初めて知りました。工藤俊作少佐という人物も、サムエル・フォールという人物も互いに立派なものだと思いました。 日本が臑に傷を持つのを幸いにして、悪いことばかりで良いことは何一つしなかったが如く食らいついてくる連中が多い中にあつて、是々非々で対応できるのは立派なものだと思いました。一例を過大に評価するのは禁物ですが、さすがに英国人という気がします。 有り難うございました。