• ベストアンサー

あなたの抱く《これぞ 日本人》をおしえてください

bonnnou03の回答

回答No.6

bragelone様 先だっては手前勝手な自論にお付き合い下さいましてありがとうございました。「教えて!goo」で再び bragelone様をお見かけし、お題もとっつき易かった(失敬)ので「場」を変え、性懲りも無く投稿させて頂きました。どうぞ宜しくお願い申し上げます。 個人的には尊敬、畏敬、憧れ…等々 思慕の念を抱く日本人は幾人か心の中に居りますが、今回は【あなたの抱く《これぞ 日本人》をおしえてください】とのことで少し悩みましたが、1人に絞るとすれば『渋沢栄一』を挙げさせて頂きます。 ■渋沢栄一 『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80 若い時分に城山三郎の『雄気堂々』を読みました。幕臣から明治新政府の官僚に、そして経済界への転進。歴史の中ではあまり目立たないかも知れませんが、確実に現代日本に影響を与えた大人物の一人と思います。渋沢栄一の派手さは無いものの実直で合理的、論語に根ざした大局観とその行動力を今の日本人は手本にすべきだと思います。ご参考になれば幸甚です。ありがとうございます。

noname#80116
質問者

補足

bonnnou03さん お久し振りです。よく声をかけてくださいました。ありがとうございます。 さて 字数が限られていますので 端折った文章になります。その点よろしくお願いいたしとう存じます。まづ ★《これぞ日本人》人物編の認定・その三:渋沢栄一郎(1840-1931)――《日本資本主義の父》として。 《道徳経済合一説》 田中直毅(http://www.21ppi.org/japanese/message/200510/051017.html )によれば 《『子曰く、人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患う』(論語) ――渋沢は言う。・・・「金(きん)は地中にあっても金なり。錦の袋に包んでも鉛は鉛である。あえて自家広告をせずとも、言(こと)忠信にして行(おこない)篤敬ならば、自ら世界が信用する」(『論語と算盤』) 孔子は・・・利は義の和で、義が十分であれば利におのずから至るという経路の描写に注力した。渋沢は公への強い関与を、論語などの反復学習で枠付けした。》 われわれ個人にとっては 経済活動と倫理(と言いますか 仕事と自らの信念)とのかかわりが 大きな問題だと考えます。 わたし自身は 合理思考としてのキャピタリスムを基礎とし ただし そこには実際のところ 勤勉資本主義とガリ勉資本主義とがあると捉え しかも 後者の部分的な突出があったとしても そのマイナスを許容しうるほどの勤勉経済が基盤となるように社会を作っていくことと考えていました。そこのところ 渋沢栄一郎は それだけの人ですから どこから見ても輝いていますが それでも名前のごとく しぶく実直で しっかりしているようですね。 《金と鉛》のほかに 《鍍金》があるようで これをも われわれが包みこむようにして――まわりの麦をも一緒に引き抜くことのないように 毒麦をただちに引っこ抜くのではなく 包みこむようにして―― 人と社会それぞれの度量を 経済的にも 豊かなものとしていきたいですよね。 (唯心論のbonnnou03さんが この実業家を推されることに妙味ありです)。 その点でも 田中直毅は解説しています。 《確実性とリスクに一線を引いた点が重要であろう。まだ見ぬ将来についてはリスクが当然ついて回る。 《一方、不確実性は評価システムや社会的・法的受容性の揺らぎにかかわる。政治枠組みの不安定性や行政判断の裁量性が排除できないときなどは、それをリスクが大きいと言ってはならず、不確実性のヤミが深いと言うべきなのだ。リスクは内在的で回避できないが、不確実性は除去の対象である。》 日本の偉いさんたちを われわれが どのように育てていくか。いまの腐敗した(失礼を承知で)人びとに対して どのように包み込んでいくか。・・・ そんな渋沢も 若いときには 《高崎城を乗っ取り、横浜を焼き討ちにして、幕府を倒す計画をたて〔たが〕〔従兄弟〕の説得により中止する。》というのは おもしろいですね。あやまつならば我れあり。 田中の言うには 《幕府の代官の無法に立腹し、高崎城襲撃を考えたのも公に対するやみがたい思いからだった。》うんぬんだとか。 つづいて 《実業の経営環境を秩序化する(不確実性を低減する)ために、経済主体が協力的に築きあげるメカニズムが制度である。渋沢の一生を通じた公への関与、それは経済社会の制度化のための努力だったともいえよう》と。この《メカニズム・制度》には 《お風呂》次元の人びとの生活態度が とうぜん かかわってくると言うべきでしょう。(とデカイ口をたたきました)。 そのほかにも 論じたいところがありますが またの機会を期したいと思います。面白い点など以下に二つ。 ・《渋沢が三井・岩崎・安田・住友・古河、大倉などといった他の明治の財閥創始者と大きく異なる点は、「渋沢財閥」を作らなかったことにある。》(WIKIPEDIA) ――田中直毅:《たとえば韓国でも・・・現在の最強財閥は「もうひとつの国家」と表現され、国家システムに並列しそれと区別される「私」の世界をつくったが、結果的に〔渋沢の説く〕「公」の算盤はその分脆弱になった。》 ・《〔渋沢は〕日本人形とアメリカの人形(青い目の人形)を交換するなどして、交流を深めることに尽力している》(同上) ――市民社会の《お風呂》次元での国際的な交流は 何でもよく映ります。 以上――割愛の部分がほんとうに残念ですが―― 大いに参考にさせていただくことができました。ありがとうございます。 (でも やはり派手さのある場合のほうが 目立っているというのが 現状ですね。ということは 目立っている者はそのまま好きにさせ それを包むようにして 基盤をたしかなものにしていくべきでしょうか)。(あと 《道徳経済合一》という言い回しは 堅苦しい感じがするかも知れないですね)。

関連するQ&A

  • 太平洋戦争における日本軍の捕虜について

     第二次世界大戦では、孤立した部隊が降伏し、高級将校が捕虜になった事例がいくつか見られます。(スターリングラードのパウルス独元帥、シンガポールのパーシバル英中将等)  日本軍は戦陣訓によって、捕虜になる人間は比較的少なかったわけですが、太平洋戦争中に捕虜になった日本軍人での最高位者はだれなのでしょうか。(将官はいたのでしょうか)  陸海軍それぞれの捕虜の最高位者について、捕虜になった際の階級と事情をご教示ください。

  • 明治~昭和初期の

    こんにちは。最近、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいます。これが非常に面白く、興味深いのですが、これを読んで明治~太平洋戦争あたりの日本の歴史や、日本人の気質、世界情勢などを冷静かつ、読み易く解説していて、また物語としての質が高い書籍がありましたら、教えてください。(単純な戦争反対!なものはちょっと・・) 当方、歴史には疎いもので、ある程度読み易いものがいいです。 あと、司馬遼太郎の、この年代移行について書いている作品って、「ひとびとの跫音」「殉死」くらいでしょうか?昭和初期について書いた長編小説というのは出ていないのでしょうか? よろしくお願いします。

  • 大東亜戦争当時、敵兵の救助の事例は?

    大東亜戦争当時、敵兵の救助の事例は? 先ずは日露戦争当時の話です。 手元の書物には撃沈したロシア艦リュ-リックの乗員600余名を日本軍艦船が救助したとの記述があります。これに似た話は陸軍にもあって、傷病の敵兵を治療の上、ロシア本国へ送還した例のあったことを読んだ記憶があります。 では、これに類似した事例が大東亜戦争当時にもありましたか。日本軍が救助した事例でも救助された事例でも結構です。 よろしくお願いします。 (戦闘員であっても戦闘能力を失えば救助の対象になり得た日露戦争の時代から、原爆といい、3月10日の大空襲といい、戦闘員であろうがなかろうが、国際法に合致しようがしまいが、ただただ殺戮のための殺戮が行われた太平洋戦争の時代に何時何処で変化したのか、何故変化したのか、少し関心があります。)

  • 皇道派と二・二六事件について。三島由紀夫の歴史観

    私はぜんぜん詳しくないことだから、質問の前提が間違っていたら、申し訳ありません。 三島由紀夫は(そして司馬遼太郎も?)、二・二六事件で蜂起した皇道派に対して、すごく同情的な見方をしていました。 うろ覚えの知識ですけど、三島はたしか、『わが友ヒットラー』っていう本の後書きで、「ニ・二六事件が弾圧されて、統制派が主導権を握ってしまった。そのせいで日本が全体主義におちいって、無謀な戦争へと突き進んでいった」ということを述べていたはずです。 彼はどういう理屈で、そんなふうに歴史を理解していたのでしょうか? 皇道派だって、同じく日本が大陸進出するように主張していたし、議会制民主主義を停止しようとしていたんだから、結局は悲惨な戦争になってしまったと思うんですが……。

  • 『 永遠の0 』 と 『 坂の上の雲 』

    やっと辿り着いた・・映画 『 永遠の0 』 、ラスト20分からは我が涙腺を刺激する掟破りの波状攻撃、ことにレーダー網を掻い潜り海面すれすれに接近後、急上昇して敵艦に突っ込むラスト・シーン・・、滂沱の涙また涙でありました。 原作は随分以前に読破しておりました、映画にだって興味が無かった訳じゃない、ただ私自身に、元アイドルが主役を張った映画への偏見のようなものがあったのだろうと思います。 他方一部に於いて、戦争賛美・特攻美化との批判も目立つようですが、当作を眺める限り私個人はそうは思わない、まあ捉え方は人それぞれですからどうでしょう。 翻って 司馬遼太郎 氏の名著『 坂の上の雲 』・・、御存知 秋山好古 ・ 真之 兄弟の生涯というフィルターを通して、日露戦争を描いた作品ですが、時あたかも帝国主義末期・・極東の片隅に突如躍り出た新興国家日本としては、富国を目指し列強諸国に喰われまいとするならば、避けては通れなかった歴史の必然であったろう・・少なくとも私はそう理解するところです。   当然の事ながら両作はテイストが全く異なる、全体的にカラッとした仕上がりの『 坂の上の雲 』に対し比較的ウェットな『 永遠の0 』、司馬氏 & 百田氏の個性そして歴史認識、並びに日露・太平洋両戦争の質の違いもあるのでしょう、他方 百田尚樹 さんの事はよく分からない、ただ 司馬遼太郎 さんの作品の根底には武士道という骨子が貫かれている気がしてなりません。 さて『 永遠の0 』 & 『 坂の上の雲 』のコントラスト、或いはどちらか一方に対して、お話を伺えればと思います。

  • 《夕陽の信仰》――山折哲雄による――とは何か

    《夕陽の信仰》――山折哲雄による――とは何か  ▲ 山折哲雄:夕焼け小焼け――日本人の生命観 死生観――   http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10001841/0/index.html  ☆ この中の次の箇所についてその内容を問います。   ・ 韓国の仏教学者に教えられたこと   ・ 『夕焼け小焼け』に表れた日本人の宗教観(一)   ・ 『夕焼け小焼け』に表れた日本人の宗教観(二)   ・ 『夕鶴』にみる夕陽信仰   ☆ 文章は講演内容であり 読みやすいのですが かなりの長さがあります。要約しつつ疑問を述べて行きます。その前にすでに問いをかかげておきます。  【α】 夕陽の信仰は どこまで日本人のこころにうったえているか。  【β】 仮りにうったえていたとして どこまでそれが錯覚でないと言えるか。  1. 《 ♪ 夕焼け小焼けのあかとんぼ》ともうたわれるわけだが ここでは童謡の《夕焼け小焼け》をとりあげよう。小節づつ。  2. 《 ♪ 夕焼け小焼けで 日がくれて》  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  日本人は昔から、あの落日のかなたに浄土をイメージしてきたのではないでしょうか。・・・  沖縄に行きますとニライカナイという海上のかなたに存在する理想の国土が信じられております。  その太陽がまた翌日になると、東から昇るわけであります。それは人生が必ずよみがえる、季節も繰り返しよみがえってくるという再生の考え方とも結びついている。それを象徴するのが落日ですよね。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  3. 《 ♪ 山のお寺の 鐘がなる》  ▲ “山のお寺の鐘が鳴る” その山のお寺が朝昼晩 鐘を鳴らす。鐘の響きを聞いて人々は起床し、食事を取り、労働をし、1日のリズムがそれで決められていく。  ☆ 鐘は人為的なものだが すべては人びとの日々のくらしの世界に溶け込んでいる。自然とも一体であるということをも つづく箇所と合わせて言おうとしているようです。  4. 《 ♪ お手てつないで みなかえろ》  ▲ しかしこれは大人に対するメッセージでもあると私は解釈しています。「帰るべきところに帰れよ。」 そういうメッセージですね。  5. 《 ♪ からすといっしょに かえりましょう》  ▲ 「共生」、動物たちや小鳥たちや自然といっしょに生きていこうという考え方は、もうこの『夕焼け小焼け』の歌の中にきちんと歌い込まれていたんです。  6. 木下順二の『夕鶴』  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・〔* あるたけの羽根で織物を織らせられ〕鶴は人間どもの欲望の尽きないありさまに絶望して、天上に帰っていく。鶴が飛び立ったときに初めて与ひょうは大事なものを失ったと思う、という現代劇です。   最後につうが天上に戻っていくその場面を、木下順二はどう表現していたか。これが夕焼け空なのです。つうは真っ赤に燃えた夕焼け空に向かって飛び立って行った。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  7. ☆ さてここで最初の【α】と【β】の問いになります。  特に【β】については こうです。   【β‐1】 日本人は――いくら自然と一体だと言っても――決して 夕陽の向こうのイデアの世界にふるさとを見るなどということはしないのではないか。――《世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば》(山上憶良)。その場この場にとどまるほうが 日本人の伝統ではないか。   【β‐2】 同じような内容として:《人間のあさましさ・その欲望の深さにたとえ絶望した》としても 鳥ではないのだから 夕鶴のように夕焼け小焼けの赤く染まった西の空のかなたを目指して飛び去っていくことはないであろう。   【β‐3】 この《夕鶴》および《夕陽の信仰》というしろものこそが 日本人のあいだに いぢめを無くさなくしておる共同の観念であり幻想であるのではないか。いぢめに遭ったとしても 夕陽の観念に逃れその栄光の観念の国にのぞみを見い出せと 周りの《観念の運河》からは声が聞こえて来る。――《和を以て貴しと為せ》と上から言われなかったなら わたしは和を乱すことを知らなかった。これが 日本人の信条ではなかったか。  ☆ 思想として見た場合の山折哲雄および木下順二というそれぞれ内容について全否定を試みるものです。どうでしょう?    * (おまけ) 夕鶴の《つう》は 羽根がなくなったのに どうして空を飛べたのでしょう?

  • 一度は読んでおかなくてはいけない本、著者

    同じような質問が沢山あるのはわかっているのですが、いまいち自分も求めているものと違うような気がしたため、質問させていただきます テーマは、「一度は読んでおかないといけない本、著者」です 元々、本を読むのはすきなのですが、最近電車の中での時間つぶしが必要なくなったため、本をほとんど読まなくなってしまっている状態です ついこの間、戦争ドキュメンタリーの「映像の世紀」という作品を母とみているときに、 あの「戦争と平和」の著者である、レフ・トルストイがでてきいました 初め、母が、 「トルストイの映像があるんだー」 とコメントした時に、私は 「ぇ、誰?有名人??」 と聞き返しました 母は、それに驚いて、 「え?トルストイしらないの??信じられない?!」 と言われてしまいました 後で、調べてみて「戦争と平和」の著者であったことが分かったのですが、実際名前は聞いたことあっても読んだことないや、、、と、、、 そこで、この質問をたててみました 母の時代(今の60代前後)で、そして現代人として、読んでいることが当たり前といわれるほどの本で、おすすめがあれば是非教えてほしいです!! 比較的、日本の著者のものは読んでいると思うのですが、、、 海外著者のものが圧倒的に少ない気がします 無論、日本人著者の本でもかまいませんので、よろしくお願いします! 個人な好みをあげておくと、基本的に歴史が背景にかかわってくる本が好きです 近代でも、中世でも、古代でも 司馬遼太郎の作品は、ほぼすべてコンプしてます 後は、井上靖とか、太宰治とか少しドロドロといったら編ですが、恋愛小説、ミステリーというよりは、精神的な面を記述した本とかのほうが好きかもしれません

  • 韓国は慰安婦問題で日本を責める資格があるのか?

    韓国は慰安婦問題で日本を責める前にまずベトナムに謝罪する必要がある 日本軍の従軍慰安婦制度は希望者を募って日本軍の将校以上の報酬を得ることが出来た公娼制度であって、 http://www.youtube.com/watch?v=MPU8hdeDPos&feature=player_embedded 韓国軍がベトナムでおこなったベトナム人女性に対する大量強姦は犯罪そのもの http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%A4%E... 【韓国ブログ】「ライタイハンを忘れない」韓国人が綴る慰安婦問題 Y! 【社会ニュース】 2009/08/26(水) 17:07 韓国人ブロガーのダンミは、ベトナム戦争時の慰安婦問題について取り上げ、韓国軍兵士の行いを厳しく批判し「韓国は慰安婦問題で日本を責める前にまずベトナムに謝罪する必要がある」と綴った。 このブログ主は、ある慰安婦関連の記事で『韓国軍兵士は、ベトナム戦争の時、ベトナム女性に対して日本兵が韓国女性に行ったことより酷いことをした』と言う書き込みを見たという。「日本は、韓国人の女性たちに消えることのない深い傷を残した。日本に対する謝罪要求は当然必要なことだが、どうやら韓国はその前にベトナムに対して謝罪をする必要だあるようだ」と語る。 また、ライタイハン(韓国人兵士とベトナム人女性との間に生まれた混血児)についても言及し、慰安婦制度は多くの女性たちを傷つけるだけでなく、後に生まれてくる子供たちにまで苦悩の人生を歩ませるものであるとエピソードを交えながら説明している。 「多くの韓国人が日本に悪口を言うが、過去に韓国がベトナムに何をしたのか知らない人が多いようだ」とし「ベトナムに対して本当に申し訳ないと思う。今、私ができる事と言えば、謝罪の心を持ち、他の人々にこの事実を伝えることである。多くの人々がこの事実を知り、ベトナムに対して正式に謝罪できる日が来る事を願う。そうしたら、我々は日本に堂々と謝罪を要求することができるのである」と綴っている。(編集担当:橋本あゆこ) http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0826&f=national_0826_... いったいこれはどういう事でしょうか?

  • 幕末~明治にかけ日本が独立を保てたのは、誰の功績によるものですか。

    QNo.3685473「ここまで条件が揃っていながら植民地化されなかった史実をどう考えたらよいのか。」http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3685473.html では大変お世話になりました。お蔭様で、ようやく疑問はほぼ解明されました。ただ、実はまだ解けない謎があります。幕末~明治にかけ日本が独立を保てた理由の一つとして、幕府、薩長のリーダー達の資質の高さがあると思われますが、それは具体的に誰であったか、ということです。 大政奉還した徳川慶喜か、江戸城無血開城の会談を行った勝海舟か、西郷隆盛か。それとも大久保利通か。あるいは明治の元勲と言われる伊藤博文、木戸孝允、山県有朋か。もしそうだとすれば、彼らを松下村塾で指導した吉田松陰か、それとも彼に洋学面で多大な影響を与えた佐久間象山か。 司馬遼太郎の『龍馬がゆく』に出て来る所で、勝海舟を切りに行こうとした坂本龍馬が勝海舟の博識な知識を知るに及んで、逆に弟子にして下さいと頼み込む有名な箇所がありますが、そうすると坂本龍馬でしょうか。 少なくともその人物達は、日本国内だけでなく海外の事情にも通じていたことは間違いありません。長期の内乱・消耗戦を避け、さらに列強の餌食(植民地化)となることを避けることが常に念頭にあり、しかもその信念に基づいてそのような政治的判断を下せた人物達とは一体誰でしょうか。 例えばWikipediaの「戊辰戦争」のページに「江戸開城」の項目がありますが、そこには勝・西郷会談の結果の記述が見られるのみで、長期の内乱・消耗戦を避け列強の餌食となることを避けようという内容を二人で話し合っていたという記述はありませんでした。 人物名だけでなく、その人物の思想・理念等を示す言葉をも併せてご紹介下さい。宜しくお願いします。

  • チャイナやコリアンの食人文化は世界周知ですか。

    (1)チャイニーズは人肉を食い、コリアンは人肉並びに人糞を食うという比較文化をなぜ日本では教えないのですか。欧米やベトナムフィリピンなど東南アジアでは報道や認識されていますか。 古くは日本から留学生が学びに行き鎖国後も文献などは手に入ったでしょうが昔から日本人はシナの食人文化を認識していたのですか。 (2)私は司馬遼太郎のシナを題材にした小説を読んでいませんが彼は食人文化を肯定的に認めていたのですか。中韓を尊敬親愛する人は食人民族を文化を肯定しなければおかしいと思います。 (3)ベトナムは食いませんよね。シナがベトナム侵攻された時は犠牲になったのでしょうか。嫌なテーマでも死者の怒りを無視しないためにも目をそらすべきではないと思いますが日中戦争中の日本人はどうでしょうか。日韓併合時代は食われましたか。 (4)なぜ中国人と韓国人は数千年の歴史に学びながらなおも人を食ってしまう事を自戒できないのですか。宗教や漢方の問題ではないと思います。キリスト教がなくても欧米人は食わなかったでしょう(文盲無学でも当たり前だからです) (5)関連した一般人向けの出版物はカッパブックスの一冊しかないのですか。書籍など読まれた方は引用などご紹介ください。 本が少ないのも非常に謎です。 この凄まじい東亜の比較文化の事実を検討せずに友好を進めたり外交官や安倍晋三総理大臣が韓国と日本は同じ価値観と断言したりするのも奇怪です。 お分かりの設問がございましたらご教授のほど宜しくお願いします。