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あなたの抱く《これぞ 日本人》をおしえてください

code1134の回答

  • code1134
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回答No.3

先ず(NO2さんのカキコみ中の)>自分が身を引く事・・・を読んで、故人限定で、ピッタリだと思ったのは本田宗一郎氏でした。 http://www.auto-g.jp/carlife/honda_unknown_episode/01/index.html (文中、第一線云々以降で触れられています) で、本題の(質問者さんの)《これぞ日本人》に関して、私が想起したのは長谷川如是"閑"なのです。 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C4%B9%C3%AB%C0%EE%C7%A1%C0%A7%B4%D7 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0819.html http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/H/hasegawanyozekan.html 特に3段目のURLの"病弱が早死とは限らない見本"云々が"細く長く・・・"と繋がる気がしたが故に、です。 最後に精査しつつ人選したとは言い難いので、かなりの誤差はご容赦下さい。お粗末なカキコみにて失礼致しました。

noname#80116
質問者

お礼

(補足欄からのつづきです)。 つづきと言いましても おおよそのことは述べさせていただきました。松岡の文章を取り出して さらに例証すべきかとの嫌いが残りますが。・・・ ここは 論争の場ではないのに 以上のようになってしまいました。いくらか 補足要求をお願いするかたちとなるかと存じます。ほんとうは如是閑の問題ではないかも知れませんが 松岡のサイトを掲げられていますので code1134さんにお尋ねすることになると思います。いかがでしょうか。 枯れた渋みは ついぞ 出て来得ませんでした。・・・

noname#80116
質問者

補足

code1134さん――と呼びかけさせていただきますが 〔最近しばらく哲学欄にいる〕わたくしとしましては はじめましてだと存じます―― ご回答をありがとうございます。よろしくお願い致します。 《身を引く / 細く長く / 是くの如く閑なり》などの言葉をたどりますと 枯れてしぶい雰囲気を漂わせるような姿を描きますが これは わたしの対極であります。(もちろん そこにこそ この欄で お答えを寄せてくださいというこころがあります)。  わたしたちは 自分のことも ましてや世の中のことは 自分の思うようには行きません。思うようにならない経験を積み やがて わたしたちは 錆びついて来ます。世の中に対して なにか特別悪いことを行なったわけではないので おそらく 錆びついたまま 自らの力の及ばないことを――世の中に対してではなく――なにものかに詫びることになります。 ただ この錆びと詫びのあと わたしたちは――わたしの思いですが―― ふたたび夢も・そしておそらく欲をも持って しかも非力のまま 世の中に踊り出るのだと考えます。これが 社会的動物である人の生なのだと。 人には それぞれ 社会における職務があると考えます。人生におけるみづからに固有の務めです。その生まれてきたこと・その存在だけが 職務であっても構わないわけです。 本田宗一郎は 見事にその生をまっとうした人ではないでしょうか。 長谷川如是閑につきましては わたしは 知識不足です。そして 松岡正剛の批評・紹介を読む限りでは なお分からないというのが 実情です。 如是閑は 措いておきまして 以下に 松岡の文章について論評してみます。    あぜ溝を飛び越えつむや、やっとこな(後水尾天皇) この句には 《日本および日本人の言いたいこと、してきたことの多くがあらわれていると〔如是閑が〕言ったのだ》そうですから 考えなければいけませんが 句の意味が摂れません。 日本人は 《対立や矛盾を併存させる感性》が どういうわけか しかも きちんと割り切ることなく放っておくかたちで 強い。《異質な外来文化を〔異化するより――不要?( bragelone 記)〕親和することが好きな国民気質》を持ち 《いつ役にたつかわからないような修養をきわめて大事にして用意する傾向》が これまた強いのだが つまりは 一言で――むろん 一面としての問題なのだが―― あいまいの美学が 優勢である。もっと悪く言えば ちゃらんぽらんである。 それでも――ちゃらんぽらんであっても―― ともかく《やっとこな あぜ溝を飛び越え》つつやって来ている これが 日本人であると言っているのでしょうか。・・・《飛び越えつむや》の《つむや》が分かりません。残念ながら 松岡の言わんとするところが 読みきれません。 その意味は しかしながら 松岡の文章は わたしに思われるのですが 映像を流しているようです。ドラマなのかドキュメンタリなのか コマーシャル・フィルムのところどころで 大雑把な解説も入ります。 《知の方法を語る読書術》とうたうからには たとえばここでは 《「日本という枠組」とは何か〔が〕 如是閑を語るうえでの最大の問題になる》とその意気込みを裏切らない構えを見せているのですが しかも《なるのだが それを説明するには詳しくは『日本的性格』や『失はれた日本』や『日本の国家』を読みこむことになり、いまは面倒だ》となってしまいます。 《そこでまた一言でいうことにするが、如是閑においてはそれは「スタイル」の問題だったのである》と 自分のこの批評でのスタイルを決めたあと では どう言っているか。――はじめに掲げた俳句に行き着くというわけです。 《如是閑には日本主義もマルクス主義も国家思想も、合理思想も生活美学も、それからなかなか味のあるニヒリズムも、同時に深く根付いていた。この同時性が見えないと如是閑はわからない》――ごった煮が 日本人のスタイルでもあるということになるのでしょうか。 いったん――錆びつき なにものかに詫びる無力の境地に到った場合 時にはあるように――《ニヒリスム》に陥ることはあっても そのあと《日本主義》なり《マルクス主義》なりを掲げて 社会に出て進むのであって いくら あいまいの美学だと言っても それほど 見境の無いごちゃまぜは ないでしょうに。それらの思想が 《同時に深く根付いていた。この同時性が見えないと如是閑はわからない》とは 果たして ほんとうなのでしょうか。 (字数制限にて 次のお礼欄につづきます)。

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