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あなたの抱く《これぞ 日本人》をおしえてください

littlekissの回答

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回答No.4

こんばんは、brageloneさん。 ( ^ ^)_旦~~~お茶をどうぞ "玉露"(渋くないよ甘いよ) おたずねは… ●これぞ 日本人 うーんとね、お滝さん!こと、杉滝。で、このお滝さんがなんで《これぞ 日本人》なのかといえば… "お風呂好き!"いま、読んでる本の中に出てくる登場人物の一人なんだけどね、このお滝さん。で、読んでいる本はといえば、学習研究社から出てる書きおろし歴史小説シリーズ『吉田松陰』山岡荘八さんが書いたお話。この中にお滝さんが出てくるの。お滝さんの嫁ぎ先のお家は、嫁ぐ以前からなんだかんだ災難続き、未だに病人が二人臥せってる。災難のせいもあり暮らし向きは極端に貧しい。お風呂は三日おき四日目に一度だとか。今の時代でも、三日も四日もお風呂に入れないと身体汗ばんで鬱陶しさにイィーッとなりそうなもの。そういえば、阪神淡路大震災が起こった後、なかなか水もガスも復旧しなかった。お風呂に入れたのはあの時で一週間経った頃だったかな。一週間ぶりにやっとこさ入れたお風呂、めっちゃ気持ちよかったこと覚えてる。湯船に浸かり「ふぅー いきかえる~」と、知らず知らずの内に声が出る。お風呂から上がれば身もこころもサッパリ。先程までの鬱陶しいような気は何処へやら。湯船に身体を浸すだけで元気になる。人はなんてゲンキンな者なのだろうか。お滝さんは、人はお風呂に入ると元気になるんじゃないか?と思いつき三日おき四日に一度のお風呂を家族が毎日入れるように試みた。すると日を重ねていく内にどんよりとした家の中の空気も晴れたとか。 入浴効果絶大!

noname#80116
質問者

お礼

littlekissさん ご機嫌よろしきにて 大慶に存じ・・・。 吉田松陰ですか。しかも しぶく しぶく これでもかというほど しぶく 甘い玉露をお示しなのですね。 災害では 当方は 伊勢湾台風に遭った口です。家の前まで水が海が押し寄せて来ました。街の中ですが 少し高いところなので その分助かったという情況でした。 口がわるく ひょっとすると根性もわるいかも知れないということになるかも分からないのですが 松陰の粗探しとしては 国家を絶対的な社会単位と捉えていたところでしょうか。 例のペリーの船に乗せてもらってアメリカへ行きたいというその理由は いろいろあるでしょうが 外国の兵制を学ぶという目的だったという見方があるようですね。 《自ら兵学家であった松陰は、国家の独立を維持するためには、何よりも欧米の軍事力に追いつかなければならないと考えた。決死の密航は、そのためのものだったのである。》 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog038.html 《5.決死の密航の目的》 今でも 国家の次元と市民社会の《お風呂》次元との二正面方針で行かざるを得ないとは思います。 ご回答をありがとうございました。 お滝さんに乾杯!! *この種の質問は 幅広すぎて――わたしが知らない場合は その場で一応のことを勉強すると考えていましたが―― 事例が特定しづらいかも知れないと感じました。お滝さんは たのしいですね。みなさんにそこのところの技量をためしているようなかたちになっていますね。たしかに吾輩は根性がきたない!!(いまごろ わかった)。(つまりは みなさんに 工夫していただきたいと言っていることになります)。

noname#80116
質問者

補足

珈琲をどうぞ。(20071006記)       馬のひとみを流れるしずくが・・・    夢ならば醒める    雨ならば落ちる    雲ならば流れる    無常がコマーシャル・フィルムならば    木魚の音に混じって    新たなる夢に落ちよ    落ちて流れよ    傷まざる河を    読経の雨が白み始め    つばめたちが降りてゆく    石段をはずさず    照源寺の墓地を駆け抜ける    馬のひとみを流れるしずくが    病葉を集めて    注ぎ込む大河を    *   *   * ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お滝は 馬に飼料をやるのは初めての経験だった。・・・(中略)・・・ お滝ははじめ馬が怖かった。怖かったと言えば良人(おっと)も幾分は怖かったし 自分自身も怖かったが・・・。 しかし 今ではもう 良人や馬を怖いとは思わない。わずか一ヶ月あまりのうちに 人間はこうも環境に馴れるものであろうかと つくづく馬の顔を見直していた。 怖くなくなって見る馬の顔は いかにもおとなしい人懐っこいものに見えた。そのつぶらな眸の中にお滝の姿をそのまま映して 今にも何か話しかけて来そうな明るさに見えた。 とその瞬間だった。 (そうだ。風呂がよい!) (山岡荘八:『吉田松陰』 〈母系草・六〉) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お滝さん(つまり吉田松陰の母)のご紹介にうなってしまっていて そのうれしさとお礼の気持ちを伝えつくしておりませんでした。 お滝さんを知って 冒頭の詩は もう古いと思いました。

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    QNo.3685473「ここまで条件が揃っていながら植民地化されなかった史実をどう考えたらよいのか。」http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3685473.html では大変お世話になりました。お蔭様で、ようやく疑問はほぼ解明されました。ただ、実はまだ解けない謎があります。幕末~明治にかけ日本が独立を保てた理由の一つとして、幕府、薩長のリーダー達の資質の高さがあると思われますが、それは具体的に誰であったか、ということです。 大政奉還した徳川慶喜か、江戸城無血開城の会談を行った勝海舟か、西郷隆盛か。それとも大久保利通か。あるいは明治の元勲と言われる伊藤博文、木戸孝允、山県有朋か。もしそうだとすれば、彼らを松下村塾で指導した吉田松陰か、それとも彼に洋学面で多大な影響を与えた佐久間象山か。 司馬遼太郎の『龍馬がゆく』に出て来る所で、勝海舟を切りに行こうとした坂本龍馬が勝海舟の博識な知識を知るに及んで、逆に弟子にして下さいと頼み込む有名な箇所がありますが、そうすると坂本龍馬でしょうか。 少なくともその人物達は、日本国内だけでなく海外の事情にも通じていたことは間違いありません。長期の内乱・消耗戦を避け、さらに列強の餌食(植民地化)となることを避けることが常に念頭にあり、しかもその信念に基づいてそのような政治的判断を下せた人物達とは一体誰でしょうか。 例えばWikipediaの「戊辰戦争」のページに「江戸開城」の項目がありますが、そこには勝・西郷会談の結果の記述が見られるのみで、長期の内乱・消耗戦を避け列強の餌食となることを避けようという内容を二人で話し合っていたという記述はありませんでした。 人物名だけでなく、その人物の思想・理念等を示す言葉をも併せてご紹介下さい。宜しくお願いします。

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    (1)チャイニーズは人肉を食い、コリアンは人肉並びに人糞を食うという比較文化をなぜ日本では教えないのですか。欧米やベトナムフィリピンなど東南アジアでは報道や認識されていますか。 古くは日本から留学生が学びに行き鎖国後も文献などは手に入ったでしょうが昔から日本人はシナの食人文化を認識していたのですか。 (2)私は司馬遼太郎のシナを題材にした小説を読んでいませんが彼は食人文化を肯定的に認めていたのですか。中韓を尊敬親愛する人は食人民族を文化を肯定しなければおかしいと思います。 (3)ベトナムは食いませんよね。シナがベトナム侵攻された時は犠牲になったのでしょうか。嫌なテーマでも死者の怒りを無視しないためにも目をそらすべきではないと思いますが日中戦争中の日本人はどうでしょうか。日韓併合時代は食われましたか。 (4)なぜ中国人と韓国人は数千年の歴史に学びながらなおも人を食ってしまう事を自戒できないのですか。宗教や漢方の問題ではないと思います。キリスト教がなくても欧米人は食わなかったでしょう(文盲無学でも当たり前だからです) (5)関連した一般人向けの出版物はカッパブックスの一冊しかないのですか。書籍など読まれた方は引用などご紹介ください。 本が少ないのも非常に謎です。 この凄まじい東亜の比較文化の事実を検討せずに友好を進めたり外交官や安倍晋三総理大臣が韓国と日本は同じ価値観と断言したりするのも奇怪です。 お分かりの設問がございましたらご教授のほど宜しくお願いします。