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whenever
ロイヤル英文法にこのような例文と訳があります。 whenever の用法 1「いつ~しようとも」=no matter when 譲歩 Whenever you come, I am glad to see you. いつおいでになっても喜んでお目にかかります。 2「~するときはいつでも」=at any time when 時 Come whenever it is convenient for you. あなたの都合のいいときにいつでも来なさい。 しかし、1の例文を2の訳で訳しても合います。 あなたがおいでになるときはいつでも喜んでお目にかかります。 1と2の本質的な違いは何ですか?また、本当に1は譲歩としか解釈できないのですか?
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両方に「譲歩」の意味合いがあります.1は「いつ~とも」ですし,2は「いつでも」ですから. 日本の英語教育ではこの二つを区別する必要はないと考えます. しかし,です.これらの二つを同じとしたとたんに,日本の英語教育では置き換え問題にしてしまうのです.置き換えでまったく同じ意味合いになるのはむしろ少ないのです. 以下は上級者向けのコメントです. その本(?)の記述は,伝統的なイギリスの文法でも分けて書いてるの良いとしても,それを日本向けに中途半端に「譲歩」と分けて書いているのでしょう.「no matter when」か「any time when」と分けるのはイギリス文法の伝統です.両方が「譲歩」の意味合いなのに,片方だけを「譲歩」とするのはいかがでしょうか. さて,意味合いの違いを考えてみると,例えば,1は「no matter」という表現で 24 時間,365日の何時でもという意味合いですが,2はそれと違います.2は「その時は」いつでも,という意味合いです.つまり.客観的に,どんな時かが先にあるわけです.その場合,例えばですが,真夜中という時間の訪問まで想定しているかと言えば,常識的にはそれはないといった共通認識が前提になっていたりするわけです.その意味では,1の方がかなり強調した表現にもなるわけです.「あなたのためなら何でもする」といった,時に感情が入った表現です.例えば,ビジネスの社交辞令では2の方がおとなしいと言えるでしょうね. いずれにせよ.こんな細かいところはあまり気にしなくてよく,取りあえずは同じ意味合いだと考えてよいと思います. その本(?)の記述は,本音では違いを説明できないが,イギリスの文法書で別にしていることに影響されているのでしょう. 実は,もう一つ,each time when というのもあって,単なる繰り返し(毎回)の区分もあります.これには「譲歩」の意味合いはほとんどありませんね.ex) Whenever she went to Osaka, she stayed at Hotel Osaka.
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- Ganbatteruyo
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Gです。 今日は!! がんばっていますね。 でも、どうしても私には効率の悪いがんばりをしているとしか思えません。 (ほかの人が今「その人の勝手だ!」というのが聞こえました。 多分そう私もとるべきだと今は思っています。) wheneverのことと言うよりも「いつ~しようとも」と「~するときはいつでも」を「試験文法用語」に振り回されるのではなく、この日本語のフィーリングを感じてほしいのです。 結局同じ事を言っているのだということに気がつきませんか? ご自分の母語の表現フィーリングを無視しているということは試験文法学者が寝ずに一生懸命(嘘です)「分類作業」をしたものを初心者に教えつけてその初心者の何十パーセントの英語力への大きな壁を作っている「試験文法洗脳法」に負けてしまっているのです。 人間(日本人もですよ)の持つ複雑なフィーリングを数個の「専門用語」にまとめてしまっているのが試験文法なのです。 少なくても私は私の感情を数個の用語に分類されたくはありません。 試験文法がやっていることを日本語に当てはめたらどうなるでしょう。 体系付けられているように見えるからなぜか初心者には「信用できる」と感じさせ、数個の用語に分類しているから「覚えやすい」様に思わせているのが試験文法なのです。 「いつ~しようとも」と「~するときはいつでも」は単なる「人によって」違う表現方法に過ぎないと思いませんか? 2)を1)の様にだって訳せるのです。 都合がいい時が何時であろうとも来て下さい、となりますね。 これを「時」に分類しますか? それとも「譲歩」としますか? (第一「譲歩」という単語自体がおかしいと思いませんか?) ご存知のように、私は試験文法学者を育てる気持ち(意思、と試験文法ではいいますね)も興味もありません(intereted、過去分詞もありません)。 しかし、一人でも多くの日本人が、まずブロークンでもいいから使われている英語を理解できる様になりしゃべれるようになり、そこから向上という道を歩むことができるようになってほしいと思ってはいます。 文法を身につけたいのであれば、試験文法ではなく文法を身につけてください。 文法なしに英語を身につけることはまず難しいと言っていいでしょう。 しかし、時なのか譲歩なのかに24時間しかない一日の一部を費やして迷うほど重要な事ではないのです。 事実両方に取れる、どっちをとっても大きな意味合いの違いはない(日本語がそれを証明している)ということに気がつくほうがもっと大切なのではないでしょうか。 しかし、のどの渇いていない馬・川の水がどんなにおいしいかを知らない馬を川辺に連れて行き水を飲ますことはできません。 私は知っているつもりです。 でも、そのおいしい水を手にとって与えることでおいしいと感じさせることはできる、ということも知っています。 唐手をわざわざ空手と名づけてその真髄を教えようとしているのに黒帯を締めたいだけの人には私は「締めたければ空手着を売っているところで購入すればいい」としか言えない人もいるのです。 ということで、もう一度この日本語訳の「真髄」を吟味してみてください。 時に分類するか譲歩に分類するか、英語力に反映するとは思わないし、その知識と呼ばれているものの価値を無視して一日24時間を自分の向上のために使う事に洗脳されているGからの個人主張を交えて私の回答とさせていただきました。
お礼
Gさん、いつもありがとうございます。おっしゃることはわかるのですが、やはり疑問に思ったことは解決したいと思っています。
- whoiam
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日本語に落とし込んだときにこういう風に分かれるのでは、ということで用法を分けて書いてあるだけだと思います。なのであんまり気にせず、「~なときはいつでも」くらいに覚えておいて、場合によって訳を使い分けるだけでいいのかと。 「いつ~しようとも」と「~するときはいつでも」を日本語でまず見つめて見るとお分かりかと思いますが、ほとんど言いたいことは一緒ではないでしょうか。 若干、「いつ~しようとも」のほうに、「そんなことがあるかどうかはわかんないけど」というニュアンスがあるかもしれませんが、それも日本語の字面から推測したもので、英英辞典で英語の定義自体を見ると、案外あっさりしています。 webster) http://mw1.merriam-webster.com/dictionary/whenever at any or every time that の一行だけ。 ldoce) http://pewebdic2.cw.idm.fr/ のwhenever 上記二つの用法とも、1つ目の定義、 every time that a particular thing happens に収斂されています。 ご提示の例文については、ご指摘のとおり、1でも2でもどっちでも解釈可能と思います。ケースバイケースで訳出OKで、どっちで訳しても意味に決定的な違いはないと思います。
お礼
回答、ありがとうございました。大いに参考になりました。文法書というのも結構ごまかしているところがあるのですね。