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モーセの十戒について

sugekomaの回答

  • sugekoma
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回答No.4

モーセの十戒は、旧約聖書の出エジプト記20章2節~17節と、申命記5章6節~21節に記載されています。これを平易な言葉にしますと、  わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、どれいの家から、みちびきだしたものである。 1.あなたは、わたしのほかに、なにものをも神としてはならない。 2.あなたは、自分のために、きざんだ像をつくってはならない。 3.あなたの神、主の名を、みだりにとなえてはならない。 4.安息日をおぼえて、これを聖とせよ。 5.あなたの父と母をうやまえ。 6.あなたは、殺してはならない。 7.あなたは、姦淫してはならない。 8.あなたは、ぬすんではならない。 9.あなたは、隣人について、偽証してはならない。 10.あなたは、隣人の家をむさぼってはならない。       (日本基督教団出版局発行 こどもさんびか より引用) ユダヤ教とキリスト教で「唯一の神」とされている方と「人間」の関係を、親子の関係に置き換えてみれば理解し易くなると思います。私たち子供(人間)にとって、生んでくれた親(神)は唯一の存在です。他の誰も、本当の親ではないのです。 十戒を、親が子供に語りかけているものと考えてみてください。 「あなた」とは私たち子供です。「わたし」とは親です。すると、 1.あなたは、本当の親である私の他は、どこの誰も親と思ってはいけない。 2.あなたは、元々木や石でしかない様な物を、親と思ってはいけない。 3.あなたは、自分の利益の為に、親の権威を安易に利用してはならない。 と、解釈できます。親は子供を愛しています。これ等の言葉は、子供に対する親の愛情から出てきた言葉です。 よって、親が子供に、親に対する作法を教えているのではなく、 愛してくれている親に対して、愛されている子供がなすべき、応答の仕方を説いているのだと思います。 それから、一部誤解が有るようですが、 「預言」 とは、神が人に言葉を預ける事で、預言者とは神から預かった言葉を人々に伝える人のことです。未来を予知する予言者とは違います。 「神は人に恵みを与えますが、罰は与えません」 虫歯の子供が親にチョコレートを買って欲しいと言ったら、本当に子供を愛している親なら、先ず歯医者に連れて行き、治療が終わってから喜んで望みを叶えてあげます。この、歯医者に連れて行かれたという辛い事を、子供は罰の様に感じるのではないでしょうか。 「キリスト教原理主義」 という言葉は、マスコミの無知から広まってしまった造語です。これに準ずる言葉は「根本主義」になると思います。 「神は人に対してむやみに強要をしません」 私たちはロボットとして創られたのではなく、自らの意思で行動する自由と責任を与えられています。 神を独裁者と捉えるか、愛情の深い創造主と捉えるかで、一神教に対する考え方は変わってきます。 人間が神を選ぶ事が出来るので、多神教は自由で寛容と感じているのではないでしょうか? この世のあるべき姿は創造者が決め、被創造者はそれに沿って生きる一神教を良しとするか、 この世の有るべき姿は多様にあり、人間は気に入った理に沿って生きる多神教を良しとするか、 人は神の前で自由を与えられています。 お勧めサイト↓「日本FEBC」

参考URL:
http://www.febcjp.com/

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