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戦国時代について2

eroero1919の回答

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  • eroero1919
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回答No.3

基本的に身分の低い者も含めて全ての日本人に名字がつくようになったのは明治時代になってからです。明治になって全ての日本人は農民でも名字をつけることが義務になりました。理由は徴兵制になったからです。名字をつけておかないと「太郎!」と呼んだらそこらじゅうから返事がきて収拾がつかないからです。 20世紀になるまで、ほとんどの人間は自分の生まれた村から出ることはありませんでした。だから、自分の名前が太郎でも留吉でも同じ村に同じ名前がなけりゃなんとでもなったのです。 現在でも、地方に行くとやたら同じ名字がいっぱいあるところがありますね。そういうところでは今でも佐藤さんというとどこのことか分からないのでファーストネームで呼び合っていたりします。 おそらく戦国時代においても同じようなものだったと思います。地侍には土地の名前の名字をつけていた人が大勢います。例えば、武田信玄の家臣の馬場信春という人は馬場という地方にいたので馬場という姓を名乗っていました。 またいわゆる官職名ですが、これは今でいうところの「部長」とか「課長」と同じことです。現代でもビジネスの場では「馬場信春さんいらっしゃいますか?」とはいいませんね。「第一企画部の馬場部長はいらっしゃいますか?」というのが普通です。これと同じものだと思えば分かりやすいでしょう。そうすれば、誰だって持っているものではなくまたその官職名を聞けばだいたいどのへんの立場の人かが分かることが理解できると思います。私だって勝手に「eroero課長代理」とは名乗れないようにね。 ついでにトリビアとしては、戦国武将も当時は現在知られているような名前で当時は呼ばれていなかったりします。明智光秀は、当時では惟任日向守と呼ぶのが一般的だったりします。しかし、そのへんをリアルにすると誰が誰なのか読者が分からなくなったりするのでそのへんはお約束で「明智どの」にしておいたりするわけです。 また当時の女性の呼び方についてですが、当時は女性は人数に含まれない時代だったので本当の名前がわからないのがほとんどです。戦国大名でさえ、息子の名前は記録に残っていても娘の名前は一切記録に残っていないケースがほとんどです。淀君や豪姫、細川ガラシャのような「特別なエピソード」を持った人だけがごくまれに記録に残っている程度です。名前についても北の丸に住んでいたから北の方と呼ばれていたとかそういうケースがしばしばあります。だから小説でもそのへんはテキトーにやっています。武田勝頼の母親は諏訪頼重の娘ということは分かっていても名前が分かりませんから湖衣姫とか由布姫とか小説によって勝手に名づけられています。 アドバイス・趣味でおやりになることですからご自由ですが、一冊くらい歴史小説をお読みになってから書いてみてもいいんじゃないでしょうか。

noname#209276
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 詳しく教えてくださって、とても助かりました。 >アドバイス・趣味でおやりになることですからご自由ですが、一冊くらい歴史小説をお読みになってから書いてみてもいいんじゃないでしょうか。 おっしゃるとおりです。少しは勉強したのですが、名前など細かいことは分からなかったので、お答えしていただき嬉しい限りです。

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