• ベストアンサー

ドイツ史の国家形成の特徴

【私が大まかに理解している範囲】 統一の過程において、それまでのモザイク状態の統一という困難さが ともない、決して「国民」をスムーズに作り出せたとはいえない状況であった。そこで、ドイツの「国民」形成においては、「ドイツ語を話すドイツ人」という言語・血統主義的統一という特徴があらわれた。 以上が私がネットや資料で調べて理解した、ドイツ史の国家形成の特徴です。 で、お聞きしたいのはこんな感じの認識で良いのかどうか。 どこか間違っている、もしくは理解が足りない、などといった所は無いでしょうか? ありましたら、アドバイスなどをしていただけると助かります。 歴史があまり得意ではない上、特にドイツ史は何だか複雑に思えて・・・。 宜しくお願いします。 ※身近な国(例えば日本とか)と比較しながらのほうが、分かりやすいですかね?

noname#107333
noname#107333
  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数7

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.2

ん? 『ドイツの「国民」形成においては、「ドイツ語を話すドイツ人」という言語・血統主義的統一という特徴があらわれた。』 というのは, 必ずしも間違ってはいないと思いますけど>#1. 近代ドイツの成立過程を考えると ・ナポレオン戦争後のウィーン会議で (オーストリア帝国中心の) 「ドイツ連邦」が成立 ・オーストリアを中心とする「大ドイツ主義」とプロイセン中心の「小ドイツ主義」の対立 ・普墺戦争勃発 ・プロイセン勝利による「ドイツ連邦」解体と (プロイセンを中心とする) 「北ドイツ連邦」の成立 ・プロイセン中心の「ドイツ帝国」成立 という感じだと思うので, 少なくともオーストリアについては「どうするか」という論議はあったみたいです. 第二次大戦前には, オーストリアが国民投票の結果ドイツに併合されていたりもするので, オーストリアにおいても「自分達は『ドイツ』の一部である」という意識があったんじゃないかなぁ?

noname#107333
質問者

お礼

そうかぁ~~ オーストリアの事を失念していました。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.1

>ドイツ語を話すドイツ人」という言語・血統主義的統一という特徴があらわれた。 この概念ですと、スイスの大半、オーストリアなどもドイツでなければならないはずです。 ドイツ語の方言程度の差のオランダ語を話し、近世までドイツ(神聖ローマ帝国)の一部であったオランダに関しても、扱い方が問題になります。 また、アルザスやロートりゲンなども問題になると思います。 その事から、質問者の考え方には、疑問が有ります。 むしろ、現在のドイツは、プロシア王国の勢力圏として成立したと考えるほうが良いのではないでしょうか。

noname#107333
質問者

お礼

あ、そうか! ありがとうございます。 ちょっと勉強が足りなかったみたいです。

関連するQ&A

  • ドイツの国家形成の特徴

    ドイツの国家形成の特徴って何でしょうか? バラバラだった国を1つにまとめたことでしょうか? 教えてください。

  • 「ドイツ」とは一体何なのか?

    ドイツというと、現在の中部ヨーロッパに存在する連邦国家のことを普通言いますが、それとは別に「ドイツ」という言葉が歴史上使われています。 「大ドイツ主義」と「小ドイツ主義」を調べていてそう思ったのですが、当時から「オーストリアを含めたドイツ」「プロイセンを盟主とするドイツ」と言ったような「概念上のドイツ」が存在していたんですね。 さらに、どこかで見たのですが、上記の意味のドイツは「スイス」や「ルクセンブルク」等にも当てはまるそうな… ゲルマン人の国とするならば、アングロ人だってフランク人だってデーン人だって皆ゲルマン人なのですから、イギリスやフランスもドイツということになってしまいます。 こうした実在する国家としてのドイツではなく、「概念上のドイツ」というものは何を持ってドイツとしているのでしょうか? 単に「神聖ローマ帝国」を形成していた国家をドイツと呼んでいるだけなのでしょうか??

  • 独裁国家は民主主義の国家より生まれるのか?

    独裁者が支配する国家は民主主義の国家より生まれるのでしょうか? 独裁者を生まないためのシステムが民主主義なのではないかと思うのですが、具体的な歴史の事実をあげて説明できる方がいたらこの疑問の答えをいただけないでしょうか? 民主国家に関しては純粋な民主主義を達成した国を指してください。 ある程度の期間は国民によって国を機能させていた国家を民主主義と定義したいと思います。 よって、現在の北朝鮮のようなシステムは民主主義とは認めないことを前提でお願いします。 私の個人的な感覚ではこの国はもともと金日成さんのカリスマで生まれた国と思っています。 日本の歴史では織田信長の政府に近いように思っています。

  • ドイツとイタリアの統一が遅かったのは何故ですか?

    最近、ドイツとイタリアが統一されたのが日本の明治維新と近い時期であると知り、驚いています。 私のイメージではイギリス、フランス、ドイツ、イタリアと言えばヨーロッパの主要国で、統一された時期も早く、数多くの植民地をもった帝国主義国家というイメージだったのですが、実際はスペインやポルトガル、ベルギーといった国の方がまとまっていたそうです。 どうして、ドイツとイタリアの統一は遅かった原因は何ですか?

  • 西欧、近代歴史学の3つのキーワード・・・?

    主にドイツの近代歴史学でしょうか。1・産業革命、2・ヒューマニズム、3・国民国家という3つのキーワードが近代歴史学の特徴だと知りましたが、これはどういう意味なのでしょうか。 よろしくお願いします。

  • ドイツ語について

    ドイツ語について何点かお聞きしたいのですが、 ドイツ語ができると理解できる他の言語や勉強し易い言語はありますか? オランダ語や北欧(フィンランド除く)の言語は多少勉強し易そうですが…他にもあれば教えてください。 そして、私の知り合いから聞いたのですが、ドイツ語を勉強すると英語を忘れないとやりずらいと聞きましたが、 英語からドイツ語を勉強するのはそんなに困難なのでしょうか? ドイツ語に詳しい方是非教えてください。

  • 神聖ローマ帝国とドイツ民族国家について

    神聖ローマ帝国とドイツ民族国家について質問です。 「神聖ローマ帝国」とは、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家だが、様々な領邦が形成した国家連合でもあり、皇帝の権威も弱いという国家であったのですが、ここで以下の質問です。 1.「神聖ローマ帝国」は、ある皮肉として、18世紀のフランス知識人、ボルテールが時代的制約の下で発言した名言、「神聖でもなければローマでもなく帝国でもない」と書かれているが、ここで質問です。 ボルテールが、「神聖ローマ帝国」は「神聖でもなければローマでもなく帝国でもない」と言ったなら、では「神聖ローマ帝国」はドイツ民族の国家だったのでしょうか? 2.「神聖ローマ帝国」の言語は、ドイツ語以外にも、ラテン語、イタリア語、チェコ語、オランダ語、フリジア語、フランス語、スロベニア語、ソルブ語、ポーランド語などがあるが、ここで質問です。 これ程までの様々な言語があるなら、「神聖ローマ帝国」は多民族国家になりますよね。 だとしたら、ナチスの指導者、アドルフ・ヒトラーは「神聖ローマ帝国」を「第一帝国=ドイツ人帝国」を呼ぶには無理があるのではないでしょうか(要はドイツ民族の帝国として呼ぶには相応しいのでしょうか?)?

  • 西洋の歴史

    1806年の神聖ローマ帝国滅亡から1871年のドイツ帝国成立までのドイツ統一の過程について教えてください。 ナポレオン支配とドイツ諸邦の改革/キーワードとして解放戦争/ウィーン体制/ドイツ連邦/自由と統一/3月革命/フランクフルト国民会議/大ドイツ主義と小ドイツ主義/ビスマルクと3つの戦争 のキーワードを多少入れて頂けると嬉しいです。 よろしくお願いします。

  • 学問中心教育過程の特徴である構造主義について

    教育過程論の質問です。 ブルーナが提唱した学問中心主義の3つの特徴の1つの構造主義がテキストを読んでも何がいいたいのか理解できません。。。 よろしければどんな特徴があるのか教えていただければ幸いです。

  • ウィーン体制で成立したドイツ連邦について

    ドイツ連邦について教えてください。 ドイツ連邦は、自由主義を弾圧する一方で、ドイツ統一を抑圧する機関でもあった、 という説明がいくつかの書籍に書かれていました。 しかし、統一をしないのであれば、単にオーストリアもプロイセンも、そのまま独立 国家として存在するのがいちばん手っ取り早いような気がします。 もともとは、大国の勢力均衡を現出するために作ったのが、たまたま後付けで、 ドイツ統一を抑圧する機能をもったということなのでしょうか? また、後の経緯からもわかるように、プロイセンもオーストリアも一国にまとまった ほうがドイツ民族としては有利な状況を作れたはずです。他国が反対するのは わかりますが、なぜこの両国は自ら統一に反対したのでしょうか? おわかりの方、ご教示ください。