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土器編年と理科学法による年代

日本古代史学会では世界標準の理化学的年代測定結果を採用せずに、土器編年方式で年代決定をしているようです。理化学的年代測定法では古代史を書き換えなければいけないと思われるような結果も出ているようです。 どうして理化学法が全面的に採用されないのでしょう。理化学法の示す年代ではどういう古代観になりましょうか。 詳しい方のご教授を御願いします

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

三回目の投稿、、、 そろそろ、この件に関して詳しい人が登場しても良い頃かと思うのですがねェ。。。 相変わらず、ご質問の「古代観」への解答はできませんが、考古屋?の一般論で、、、 なお、「からかって」なんていませんぜぃ。誤解なく。 「ご存知かも…」と書いたのは、質問者がどのような知識の持ち主がわかりませんので、「そんなこと知っとるがや」と思われてたら、今度は、「こちらがコバカにされた気分になっちゃうじゃん」ってね。 (ネット界は「難しい」ですね。やっぱ。) では、はじめのご質問にもどりましょう。 > どうして理化学法が全面的に採用されないのでしょう。 私が思うに、長い年月をかけて、考古的手法で構築してきた年代観がそんなに簡単にかわっていいのか、という主観にも似た気持ち、が一番初めにおこるでしょうね。 そして、私が、「σ」はなんですか?、とお聞きしたように、分析方法が理解できないため、全面的に信用することができないからでしょう。 考古学的手法は、歴史仮説を組み立てるために考案された方法ですから、それには責任を持ちますよね。 でも、理化学的方法は、考古のためではないので、歴史仮説に責任を持ちませんもの。 また、分析方法などは、説明を読んで言葉としては理解できるでしょうけど、本当のところが理解できない。 本当のところがわからない考古屋は、信用し切れない、という側面があるのでしょう。でも、きっと炭素法の分析結果は間違っていなくて、正解を提示しているんだろう、と思いつつも、どこかで疑心暗鬼な気持ちが、、、とね。だから、「全面的に」に至らないと。 炭素法が「100%間違いない」ということを理解させれば、一気に考古屋も変わるでしょうね。直接、大学の考古学研究室にその専門家を送り込んだりしたら、効果的だと思います。 でも、現状はそうではないでしょうから、疑り深い考古屋を納得させるためには、分析サンプルをどんどん蓄積して、みせるつける、と。 年代法とも同じ年代がでるんだ、とかのデータを蓄積して見せつける、と。 ところで、炭素法を積極的に推進しているのは、国立歴史民俗博物館だと思います。 たぶん、以下のサイトが、分析結果と解釈の現状に近いのではないでしょうか。炭素法の結果を反映させた歴史仮説は、先に貼り付けた日本史研究会のサイトの紹介文章にあるように「考古学から見た弥生・古墳時代の実年代論の現状と課題をまとめることにより、日本古代史の枠組みをどのように創り上げていくのかを考えてみたい」が現状を表しているのでしょう。 なお、私は、例会に参加していませんので、中身を知りません。 http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/sousei/yayoinoukou/index.html で、妙に種々のことに事情通に見える某サイト(以下)。でも、ご質問者がご覧になったら、バカいってんじゃねェよ、っていう内容かも、、、 http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/how/owariC14.htm 「信託」と「納税者」の話はねェ。どうなんでしょうね。 ドロ試合になりそう、、、

torajii
質問者

お礼

お手数をおかけして申し訳ありません。現状と方向はだいたい理解できたような気がします。 本当に感謝します。 人文系は難しいものなのですねぇ。

その他の回答 (5)

回答No.6

ANo.1の続きです。 なかなか深いお話なのでわずかな文章では説明し切れず舌足らずになりそうですが、できる限り書いてみます。 まず「学会」と「学界」、「学問」をごっちゃに考えてしまっておられるようにお見受けします。 まず「学会」は、複数の研修が集まれば出来てしまうもので、日本国内にはそれこそ無数の歴史学・考古学系の「学会」(研究会)が存在します。 また研究者が必ず加盟しなければならないような学会は、歴史学・考古学には存在しません。(全国的な組織はある) 従って「学会で年代を決める」ということはありません。研究論文が「学界」に受け入れられてそれが一般に広がる、というのが実態です。 過去の歴史を研究する学問を「歴史学」とすると「遺跡や遺物などのモノから歴史を解明する」のが「考古学」であり、「残された文字、文書から研究する」のが「文献史学」であり、どちらも歴史学の研究手法であり「分科」というものとはちょっと違います。 むろん文字や文書が残されない時代は、考古学のみになりますし、近・現代史などは文献のみの研究となります。 ◎ 九州北部の弥生が近畿に比べ何百年も古いとなれば ということはまずあり得ません。 土器編年は単に年代の古い新しいだけではなく同時期の様式も検討されています。また、各地の交流もあるためもしかりに北部九州の弥生時代の年代だけがが繰り上がるということはかえっておかしなことになります。 また、畿内でも当然炭素14や年輪年代などの測定が行われており、やはり最近は年代が従来学説よりも繰り上がるとする研究が出されています。 また、「共伴関係にある土器」というものもあります。 これは同じ地層や遺構から出土した土器のことで、弥生時代くらいになると各地との交流も盛んになるので地域を越えて土器が移動しています。 また、地域間の影響も受けるので様式と呼ばれる「同一年代のもの」という研究もされています。 これらのことを総合して考えて「北部九州の弥生時代の年代だけが繰り上がる」ということはまずありえません。 10年単位で年代を決定できるのは7世紀以降の話です。 この時期になると土器も専門職人の手によるものになるため細かな技術変遷が追えることや木簡、文書との照合が出来るので十数年単位の年代で押さえられます。 木簡が出土しない地域でも土器の墨書や都で使われている土器との共伴、火山灰などから年代を押さえています。 そのため木簡ほどの細かな年代は押さえられませんが、それでも15~30年ほどの単位で押さえられています。 研究者は、論文を発表し、普及本も出版しています。 これで「説明責任」を果たしている私は思います。

torajii
質問者

お礼

丁寧な回答をありがとうございます。実年代測定の件と方向性については概略理解できたように思います。 感謝いたします。 「説明責任」の件については言葉足らずで、不愉快を感じられたようで、深くお詫びします。

  • R-yaya
  • ベストアンサー率50% (10/20)
回答No.4

今まで興味深くこちらの質問に対するやり取りを拝見していた者ですが… 申し訳ありません、 >専門家は国民の信託を受けて研究しておられるわけだから、説明責任があると、納税者は考えてしまいます。 この指摘がよくわからないのですが、どういうことでしょうか。 研究者は国からの給与の支給を受けている方ばかりではないと思いますよ。 丁寧に説明くださっているANo.3さんがなぜからかっているなどと感じるのかも良くわかりません。 参考URLの機関に問合せ、該当の例会の資料など取寄せることができれば、 質問者様にとっても非常に有益なのではないかと思うのですが? 回答に該当しない書き込みで申し訳ないです。

torajii
質問者

お礼

第三者まで不愉快にさせてしまって申し訳ありません。 『信託と責任』の件は無かったことにして下さい。  ひがみっぽいものですから、「専門家がσを知らないはずがない、これは私の知識を試しているのだ」と受け取ってしまったのです。せっかく教えていただいているのに、ずいぶんとひがみっぽい受け取り方をしたものだと大いに反省しております。 どうぞお許し下さい。

回答No.3

ご期待に添えているとも思いませんでしたが、ごめんなさいです。。。 > いつ、古代史が書き換えられるのか楽しみにしているのです。どういう動きなのか、詳しい事が教えていただけるかなと思って質問したのでした。 是非、どなたかご解答をお願いします。私も知りたいです。 ところで、理系素人の素朴な感想ですが、 > ±で表現されるのはσであると理解していますので、出てきた実年代は±を取り除いて考えてよい性格の数値であると(略) ほ~ぉ、そうなのか。っていう感じです。 「±」という表現は、そのまま「揺れ幅」だと思っていました。 (「σ」この記号がわかりません、、、お恥ずかしいです。) なお、ご存知かもしれませんが、日本史研究会の2006年の例会で第一線の研究者がご発表されたようです。 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jhs/regular_log_2006.html (発表内容は掲載されていません。あしからず。)

torajii
質問者

お礼

ありがとうございます。私は10年ばかり前までメーカーで化学系の技術屋として世過ぎをしてきた歴史好きの老人です。  回答者は何らかの歴史の専門家とお見受けします。  からかわれているような気もしますが、お答えします。σは統計で使われる記号で標準偏差のことです。測定値±1σで100回測定を繰り返したとすると68回がその範囲内にはいることを意味します。しかしこれらのばらつきは正規分布ですので、誤差の範囲は統計処理上の数字であって誤差の範囲内にまんべんなく測定値の可能性が広がっているわけではありません。したがって、中心値で考えて良いと思います。  なお、ご存知かもしれませんが、日本史研究会の2006年の例会で第一線の研究者がご発表されたようです。などとお教えいただくと、本当にからかわれているような気がします。  九州北部の弥生が近畿に比べ何百年も古いとなれば、教科書の記載とは異なります。専門家は国民の信託を受けて研究しておられるわけだから、説明責任があると、納税者は考えてしまいます。

回答No.2

曖昧な知識ですので、ごめんなさい。 現状では、書き換える、ということが必要が否かの検討中だと思います。もっと分析数を増やして、確実性を増すことが大切です。 また、重要な年代が変更になると、その他に影響するでしょうから、全体を通した歴史論として発表され、多くに人々の認識を得なければならないでしょうし。 だって、書き換えたけど、やっぱり間違ってました、ということはできませんものね。 決して黙示しているわけではないでしょ。 理学的手法のうち、炭素年代と年輪年代について、ちっと聞きかじったことを書きますと、 炭素年代はAMS(何の略か知りませんが、、、)という以前の炭素法よりも精度の高いとされる手法が導入されたことで、特に弥生時代の始まりがかなり古くなったと話題になったやつですよね。 弥生時代の始まりに関して100年程度の幅なら「う~ん」という程度でしょうけど、あれだけ古くなると、今までの仮説を変更せざると得ないとも思います。 精度が高くなったとはいえ、炭素法は前後50年くらいの揺れ幅があるようですから、以前よりもストライクゾーンが小さくなったようではありますが、弥生末や古墳時代だと30年スパンくらいで仮説を組み立てますので、ストライクゾーンがAMSよりも狭いので、そもそもの前提条件が厳しいと思います。 また、炭素法はもともと地学など地球そのものの動きを測定していたものを考古分野も利用したものだということを聞いたことがありますので、必要な年代のスパンが全く違いますね。 前後50年幅の揺れなんて、地球の活動からみれば、まばたきの一瞬よりも短いでしょうし。 年輪法は、1年スパンで年代を測定できるので、25・30年というスパンで社会変化をとらえる考古分野にとっては有効な方法ですよね。 伐採年がわかるという前提ですけど、木材ですから、多くの場合は、数年の揺れ幅で収まるでしょうね。 また、年輪年代をされている先生は何人かおられるのだろうと思うのですが、私は某先生おひとりだけしか知りません、、、 また、サンプリングデータ(数値ではなく、木材そのもの)が他の研究者に共有されているのかどうか、、、 なんだか「密室」的ですよね。 最後に、理化学的手法を引用するなら、ここは都合がいいから引用して、ここは都合が悪いから違う年代で歴史仮説を組み立てることはあってはならない、とおっしゃった先生がおられます。そのとおりですね。

torajii
質問者

お礼

懇切な回答をありがとうございます。  C14の半減期は5730年ですから、500年、1.000年を計るのにぴったりで、だから世界中で理化学的法で考古学的実年代が計られているのだと理解しています。回答者は「精度が高くなったとはいえ、炭素法は前後50年くらいの揺れ幅があるようです」と仰っておられますが、±で表現されるのはσであると理解していますので、出てきた実年代は±を取り除いて考えてよい性格の数値であると私は考えています。これらを考えると、縄文時代草創期の土器製作時期が、通説より3500年も古い(早い)1万6500年前と分かったとか、弥生時代の開始年代について、北部九州の弥生早期が少なくとも前9世紀、弥生前期は前8世紀までさかのぼるとかの測定結果が出たと聞けば、理系の考古学シロウトは、決まりと思うじゃないですか。  いつ、古代史が書き換えられるのか楽しみにしているのです。どういう動きなのか、詳しい事が教えていただけるかなと思って質問したのでした。  蛇足ですが、AMS法(Accelerator Mass Spectrometry)は加速器でイオン化して分子を一つ一つカウントすると聞いています。

回答No.1

完全な誤解です。 まず、土器編年を扱うのは「考古学」であり、一般的に「古代史学会」と言った場合は文献史学の団体を指します。 また、考古学では理化学測定年代をすでに戦後直後から取り入れています。 土器編年というのはあくまで「AよりもBの方が古い(新しい)」という相対年代でしかありません。そうした編年化された土器に「○○年」という実年代を当てるために「理化学年代」を始め、「年輪年代」「墨書・木簡」などがすでに全面的に採用されています。 理化学年代は主にC14測定法によるものですが、従前測定法では誤差が大きく参考程度にしか利用していなかったのは事実です。 しかしAMSという新しい測定法や年輪年代測定法による補正などをされたため現在ではかなり正確になってきており年代の見直しはもう何年も前から国立歴史民俗博物館を中心に行われてきています。 この結果、古墳時代・弥生時代の年代が繰り上がる可能性が指摘されています。 例えば有名な「邪馬台国」は従前は「弥生時代後期」のこととされてきたのですが、最近の新しい年代観では「古墳時代初期」と考えられるようになっています。 このことにより従来は出土する鏡の年代と土器の年代が合致せず、「伝世された鏡が副葬されたのだ」と解釈されてきたのですが、遺物の年代が繰り上がったことにより鏡の年代と一致し、不自然な解釈をしなくてよくなったと言われています。 古墳時代以降になると理化学年代の測定幅が大きいため参考程度にしかならない、というのは確かです。 しかし、飛鳥時代遺構は、記年銘木簡や墨書などが出土することからこれらから年代を押さえられるため、飛鳥時代以降の年代については大きく変化することはないと思われます。

torajii
質問者

お礼

懇切な回答をありがとうございます。  古代を扱うので古代史。その学会だから古代史学会。大区分が古代史学会。その中のいわば分科会が考古学かと思っていました。違うものだったのですねぇ。  土器編年で十年程度単位の実年代決定をしているという理解だったのです。  「飛鳥時代以降は理化学年代の測定幅が大きいため参考程度にしかならない」というのは、木簡などが出土しない地域では、土器編年ですか?

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