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価値の哲学 プロローグ

ranxの回答

  • ranx
  • ベストアンサー率24% (357/1463)
回答No.5

本当は回答者ではなく質問者になりたかった質問なのですが、先を越されてしまいました。 食物は人間に不可欠な、好ましいものです。衣服も人間に不可欠な、好ましいものです。 両者が好ましいと感じられる理由は全く別のもので、本来は共通するものではありません。 にも関わらず、人類は、両者が同じように(かどうかはともかく)好ましいと感じられる ことから、両者に共通の何ものかがあると錯覚してしまいました。こうして、誤って存在 すると思われてしまったもの、それが「価値」です。不思議なもので、実際には存在し なくとも、みんなが存在していると思っていると、あたかも存在しているかのように 生きて活動するようになります。そのような物を一般に「お化け」と言います。つまり、 価値はお化けなのです。 価値という名の、このお化けですが、活動するうちに、姿形がないと不便だということに 気がつき、これを獲得しました。これを「お金」と言います。パワーアップしたお化けの 強力さといったら、およそ人間世界におこるトラブルのうち、恋愛感情のからまないもの は、ほとんどこいつが引き起こしているといってもいいほどです。 さて、このお化け、数字で自分を表現することが多いのですが、実のところ、あまり算数は 得意ではありません。例をあげましょう。10万円の冷蔵庫があったとします。あるお店で これを1割引で売りました。買い手は正価のものよりも割引されたものを好ましいと感じます。 つまり価値が高いわけです。当然正価のものよりも高い値がつかなくてはいけません。にも 関わらず、正価のものよりも安い9万円になってしまうのです。馬鹿なやつですね。 「お金」という姿は便利なものなのですが、時々これを窮屈に感じる時があるようです。 そんな時、お化けは他の姿に変身します。「お金」には騙されない人も、変身した姿には 騙されます。探してみると面白いと思います。

noname#15238
質問者

お礼

ranxさん、ご回答有難うございます。 このような、安易な質問は今まで無かったと思いますが、結果的に価値についての質問は結構多いようです。 >価値はお化けなのです。 なるほど、お化けと言うのも当っているかもしれません。 今度は結論を急がないようにしようと考えています。 次回もお願いします。 そうそう、私が挫折したら、その屍を踏み台にして進んでください。

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