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坂本龍馬暗殺はだれの指示なのですか
noname#118098の回答
龍馬の暗殺説って・・・みんな幕府とか・・・龍馬を『武士』的イメージで考えてる気がしますが、龍馬自身は『商人』だったのではないかと思ってます。 武器商人として、莫大な稼ぎを得ています。 天才的な商人です。 龍馬ファンからは大ブーイングを浴びそうな気がしますが、龍馬は日本を変えようなんていう立派な志を持った人間ではなかったように思います。 新政府の役職には誰を就けるか・・・という龍馬の書いた文書(案)には、今で言う首相の部分が丸印になっていて、名前が書かれておらず、龍馬は見せる相手によって、その部分に相手の都合のいい誰かの名前を入れて話していたのではと思います。 すごい駆け引き上手だったのだと思います。 龍馬というのは、いつも、みんなから慕われていたように描かれていますが、本当にそうだったのか?と、私は疑問に思います。 やはり、お調子者の龍馬に不信感を持った人間もたくさんいると思いますよね・・・。 でも・・・ 龍馬を『商人』として考えてみると・・・ もし、龍馬があのまま生きていたら・・・ 岩崎弥太郎さんは、あれだけの財閥となりえたのか?という疑問が出てきません? 同じ時代にあれだけの近い間柄に、2人の財閥が誕生したでしょうか? 龍馬が生きていたら・・・ 岩崎弥太郎さんは、あれだけの成功をおさめられなかったのではないかと思います。 龍馬は『商人』でありながら、『武士』的なものに多少の憧れがあったように思いますが、岩崎弥太郎さんは本当に『商人』に徹していた気がします。 新政府に関わろうとした龍馬より、商人として取り入った弥太郎さんの方が、一枚上手だったのでは・・・? そして、商人対商人で、どちらかが選ばれるとき・・・どちらかは、必ず不要な存在です。 ・・・な~んて、ちょっと思ったりしました。 まったくの素人なので、笑って許してやってください。
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