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坂本龍馬暗殺はだれの指示なのですか
v77の回答
- v77
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史料が不足しているため、はっきりとはわかっていませんが、幕府内の高官もしくは京都守護職の松平容保あたりでしょう(見廻組は容保の配下です)。 最近は黒幕として薩摩藩を挙げる人が増えていますが、その説は歴史学界では相手にされておりません。いわゆる薩摩藩黒幕説・陰謀説を唱えているのは在野のアマチュア研究家や作家だけで、歴史学者の中にその説を採用している人は皆無です。薩摩藩黒幕説が最近では有力視されているという意見がありますが、それは単にその説を信じている人が世間で増えているだけの話で、プロの歴史家たちは相手にもしていないということを知っておいてください。 薩摩藩黒幕説を歴史家たちが相手にしない根拠はいくつかあります。龍馬暗殺に薩摩が関与したことが書かれている史料の記述に、信憑性が見出せないこと。また、薩摩藩黒幕説は史料に基づかない憶測で成り立っていることも、歴史家が相手にしない理由です。 それから、世間一般で言われているほど、薩摩藩を中心とする討幕派と、土佐藩を中心とする公議政体派の間に対立が強かったわけではないと、最近の研究では言われているからです(参考文献として、高橋秀直『幕末維新の政治と天皇』、家近良樹『幕末政治と倒幕運動』、佐々木克『幕末政治と薩摩藩』を挙げておきます。すべて吉川弘文館から刊行中です)。 大体、薩摩藩の中でも討幕反対論者の意見は根強く、徳川慶喜の大政奉還の後は、それまで討幕派の中心人物だった人間までが、慶喜を擁護する意見を主張するようになってきます(吉川弘文館の『大久保利通関係文書』1巻に収録されている、伊地知正治の意見書を参照)。要するに、薩摩藩黒幕説の「大政奉還を推進する龍馬は討幕派の邪魔だった」という意見は成り立たないのです。 参考として、桐野作人氏の「龍馬遭難事件の新視角」という文章を読むことをお勧めします。『歴史読本』2006年7~9月号に収録されています。
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