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欧米と日本の街の景観について
ヨーロッパを旅して きづいた事は、電柱が無い事と広告の看板が すくなくスッキリしていて見た目にも 綺麗だと言うのが日本の街との一番大きな違いだと 思いました。 広告看板は、規制の問題でしょうが、 電柱や電線は、どうしてヨーロッパでは ほとんど目にしないのでしょうか? すべて地下に埋めているのでしょうか? 日本でも、ここぞと言う限られて所で そうした景観を保つ事はできないのでしょうか? (利害関係の整理が大変でしょうが) 私はいまや欧米よりも日本の方が ほとんどの面で優れていると 思っていますが、この景観の面では 残念なことですが日本はヒドスギます。
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西洋での上下水道整備に関しては、有史以来の歴史があります。 ヨーロッパでは個人で井戸を掘って地下水を利用することもありませんし、 トイレの汚水を下水道を通して処理する歴史もありました。 一方、日本では数十年前まで個人で井戸を掘って水を利用するのも当然でしたし、 トイレは水洗式でもありませんでした。 すなわち、西洋には歴史的に、電力・ガス・通信事業が始まる以前から、 地下(上下水道)設備があったことが非常に大きいわけです。 地下の上下水道設備に、電力・ガス・通信設備を併設して共同溝とするほうが 予算的にも安全面から見ても断然有利だったわけです。 外観上の問題など、全く考えることもなく... 『風が吹けば...』に近い論理展開をしてみれば、 『日本は水が非常にきれいだったことで、町中に電柱が張り巡らされた』 といえるかもしれません。
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- asiaka
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私が一番好きな都市は香港です。香港は広告看板がおそらく世界で一番「無政府状態」だと思います。看板に対する規制は、「2階建てバスに引っかからない高さ」ぐらいなもんで、あとはやり放題だと聞いたこともあります。だから、大通りの真ん中までネオンの看板が真横に張り出されています。 この景色に拒否反応を示す人も多いとは思いますが、こういうのを見ると、民族性というか趣味性が見えますよね。 でも、香港はイギリスの植民地だったから、電柱はありません。裏通りも電柱はなかったように記憶しています。 看板について言えば、ニューヨークはかなり特異で、東京に近いのではないでしょうか。けっこうドギツイです。でも、アルファベットが主体なので、日本人には絵柄として移り、またアルファベットは画数が少ないのでスッキリしています。 ロンドンは地味です。はっきり言って、日本人の平均的な感覚からすると、物足りないのではないでしょうか。「東京よりも落ち着いたロンドンのほうががイイ」という日本人(観光客)も多いと思いますが、それは非日常においてだからで、そんな人々の多くも日本に帰って新宿や渋谷の原色の街を楽しんでいるのではないでしょうか。だってこれが日本人の好む潜在的な趣味の表れだと思いますから。 一方で、京都や金沢の街をあるいて、イイなあこの落ち着き……と、感想を持ったりします。これはこれで日本人の持っている感覚だと思います。でも、私は、本来の日本人の特性における「好きな街の景観」は、昔の浅草や、あるいは現在の歌舞伎町、はたまた看板や大売出しののぼりが立った駅前商店街だと思います。 シンガポールは新しい街並みで且つスッキリしているので違和感がありますが、たとえば、東京のお台場や、千葉の浦安、茨城県のつくば、などは、整然とした街並みですが、何か温かみがありません。ヨーロッパの街が同じくすっきりしているのに人間的なものを感じるのは、やはり本来のそこの人々の趣味が表れているからだと私は思います。 別の回答者の方が電線の地下化の費用の高さを語っておられますが、私はそんなに費用がかかるとは思っていませんでした。でも、少しずつでもやっていって欲しいですね。 ちなみに私の家の前の公道が舗装しなおすというので、先日、区役所に電話して、「東京電力と相談してついでに電線を地中化してくれないか」、と無理を承知で一応聞いてみたら、「ここの道路は狭いので交通上、工事が難しい」といわれました。おそらく私の家の前の道路は拡幅工事でもしない限り100年たっても電柱が立っていると思います(笑)。
お礼
私も日本の国中で電線の地中化を望んでいるわけではありません。 そんなことしたら税金が高くなるだけですからね。 でもここぞという地域では、やって欲しいですね。 私も香港の街並みは好きです。でもそれは観光客としてみる香港であり、あの狭い土地だからこそ、ゴチャゴチャをみても違和感がないのでしょう。 私は、中欧の街並みや写真をみ「なにが日本と違う」と感じていたのを 考えていました。それが電柱電線広告ですね。 その点だけは、日本は欧米を手本としてもいいと思います。
- komimasaH
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電線の地下埋設の話でしたら、東京電力に聞けばいいのですが、問題は費用です。東電も少なくとも都心は地下埋設しようとしています。だんだんすすんできたんですが、それでも架空の電線があるのは、費用があまりにもかかりすぎることです。1mの地下を掘って、電線を埋設するのは200万円くらいかかると聞いたことがあります。 土地代+深さ(上に車両が通るなどを考えて2mくらいほらないといけません)+掘った土だっでどこかにもっていかなければいけません。その他費用は結構かかるようです。 結構東京電力はその点では努力しているようです。私は東電の回し者ではありませんが。
お礼
電力会社の方針、財務内容というよりも 国としてまた国民がそれを望んでいるかいなかい の問題意識だと思います。 電力会社は、美観まで責任を負うことはできません。
- komimasaH
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東京ほど面白い都市はないと思います。 整然としたビル群のあるところもあれば、いきなり長屋になったり、 神社もあれば、安い飲み屋もある。こんなに変化にとんだ都市は 珍しいのでは。一方では京都や奈良のような景観を保全している都市も ある。日本で働く欧米人のなかにはそう感じている人もいるようです。 (なんかの雑誌で読みました) ヨーロッパのように何百年も同じ景観を保った景観は、観光客には いいでしょうが、住んでいる人たちの中には息がつまるというひとも いるのでは。自宅が京都の人で会社の同僚がいましたが、そう言っていました。
お礼
私も世界で一番面白くてすごい都市は、ダントツで東京だと思います。 (ニューヨーク、ロンドンには行ったことがないが。 パリにしろバンコックにしろ北京にしろ東京にはまったくかないません!) 私が言いたいのは、電柱電線と広告看板をなんとかした方がいいというものです。 日本人が作り上げた素晴らしい街並みの平等性を否定するものではありません。 (いろんな階層の人の生活空間がすぐ隣同士にあります。素晴らしいことです)
- asiaka
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#10の者です。 訂正です。 中嶋 → 中島です。 補足ですが、先にあげたこの著者による2冊は非常に面白いです。 特に『醜い日本の私』を読めば、koukunnさんの疑問についてかなり深いところで回答を見つけられるかもしれませんよ。 この本を読む前に『うるさい日本の私』を読まれると、著者がどんな人かよくわかります。読むと、この人は(一般の日本人に比べたら)かなり変わった性格であることがわかりますが(著書も自分で明言している)、しかし、そこに語られていることに、私はかなり強く共感を覚えます。 彼は大学教授で哲学をやっています。オーストリアに留学したことがあり著書のなかでたびたびヨーロッパと日本の比較をしています。しかしヨーロッパ至上主義ではまったくありません。双方の違いを鋭く語っています。いずれにせよ一読をおすすめします。私は彼の一連の本をほとんど図書館で借りて読みました(笑)。 蛇足ですが、紹介させていただきました。
お礼
ありがとうございます。 一度読んでみたいと思います。 日本人の悪い癖としてなんでも欧米が良いと考えるのは もうそろそろよした方がいいと感じています。 でも、この日本の景観(街並み)だけはやっぱり ヨーロッパのほうがいいなぁ~と 思います。
- asiaka
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私も日本の街の電柱にはいつも辟易しています。 ただし、「電柱の乱立」と「広告の看板の多さ」は別のこととして考える必要もあると思います。 たとえば東京の新宿歌舞伎町は原色の看板が無数にあるすさまじいところですが、これは、日本人の持っている「趣味」や「センス」だと思います。ほかにも秋葉原の電気街や、各駅前の商店街も皆、同じように看板や広告だらけです。これが、一方では京都などの優美な都市を作り、わびさびの文化を持つ日本人の持つセンスのひとつだと思います。 しかし、電柱は、趣味ではなく、「怠惰」だと言えると思います。電柱が乱立しているのを許すのは、言い方を変えればそれも「センス」なのかもしれませんが、しかし、もし電柱をほうっておいているのは、怠惰というべきではないでしょうか。 ところで、日本とヨーロッパという比較以外に、たとえばアジアに目を向けると、上海や香港、ソウルなど各都市も日本と同じくらい原色の看板が氾濫しています。特に香港はすさまじい景色です。 私は自分の趣味として日本の街が好きです。看板で氾濫する下北沢や渋谷は、気分が疲れることはありますが、好きです。ロンドンなどのひなびた雰囲気も好きですが。日本の方が趣味に合います。 しかし、怠惰の象徴である「電柱」は許せない気持ちでおります。 中嶋義道氏が書いた『醜い日本の私』という本が面白いのでお読みになってはいかがですか。彼は、過去に『うるさい日本の私』という本も書きました。これは、日本の騒音(電車内の放送など諸々)について書いたものです。これも興味深い本だと思います。
お礼
公共意識があるかないかの問題だと思います。 公共の場つまり不特定多数が目に触れる場や物には、 公共性、社会インフラがあるかないかと言う意識だろうと思います。 だしかに香港とかの中華圏を考えると それぞれの民族が持つセンスとうのもうなずける話ですね。 私もあの香港のゴチャゴチャしたシンガポールと正反対な 街並みをみるとワクワクしますよ。
その感覚は正しいと思います。 もともとヨーロッパは歴史的にマクロな視野があり、都市計画もきちんとしていることが多かったのです。後は多くの場合、都市計画とはいっても、主導的な力を発揮する行政地区が小さいのです。 日本は景観など微塵にも考えた歴史はないと言っても良いと思います。 その最大の原因は高度成長です。日本ではいうまでもなく、高度成長から、特に田中角栄内閣あたりだと思いますが、大規模な開発が国家中心型に立案され、作り上げられていきます。もちろんその理由は経済成長という1つの基準でしかなかったわけですから、住みやすい都市という観点はこれっぽっちもなかったのです。 この都市のスプロール化(簡単にいえば、ずさんな開発)が、都市という仕事・娯楽という中心的機能と、郊外という居住の副次的機能へと分化していきます。またゾーニングといいますが、日本では経済効率だけを考えた結果、その部門ごとに集中させて町を作ってきました。ニュータウンのような団地はその典型です。 居住の空間だけでなく商業空間はある特定の箇所に集まります(これはよく分かるでしょう?日本では郊外にずいぶん広がったロードサイドビジネスなど)。また、ビジネス街に見られるような職場も集中的に職業空間 となっています。 これは実は人間の生きる心地よさを貧困にします。まだ商店街が繁栄していた過去はともなく、現代は大資本の各地進出で、地方の商店街が衰退し、人々が豊かにコミュニケーションできる場所がなくなっています。 また、日本は完全にクルマ型の都市開発をしており、今やクルマなしには買い物にもいけません。道路はヨーロッパに比べても、地方でも広すぎます。道の狭さは実は人の親密性と関連します。日本の巨大な国道、また狭い脇道のない輸送中心の道路編成では人と人が向き合って話をする気にもなりません。 ところが、クルマが通れないような狭い脇道が多くあると、人は心地よく感じます。気が楽なのです。そして人と人が非常に親密な感覚になります。(たとえ話さなくてもです) またヨーロッパはpublicな場を重んじてきました。広場のようなものが多いのはそのせいです。またカフェなどでも、多くの場合、外にイスを多くもうけているのは、ヨーロッパ人のパブリックな意識を見せています。ようするに閉じこもっていないのです。 広告などは日本の商業主義の完全な表れです。 しかし日本にヨーロッパ的な伝統がなかったのではありません。厳密には高度成長の乱開発がそれをほぼ壊したのですが、ただ1つ京都だけは違います。ここだけはゆっくり歩くと分かると思いますが、極めてヨーロッパ的です。広場はないですが、路地が多くあり、人々が比較的つながりやすい場所がたくさんあります。古い商店街は今でも人で賑わっています。大資本もありますが、厳密には普通のスーパーのサイズに制限されており、郊外にあるような巨大な店はゆるされていません。 ここだけは残していくべきだと思います。
お礼
ありがとうございます。 このメチャクチャな景観をなんとかするには、 市民住民議員行政の三位一体で取り組まないと なんの解決にもなりませんね。 というか、日本人には、無理なきもしますが・・・ ヨーロッパの景色をみて日本と決定的に違うのは、 やはり電柱電線と広告看板です! ヨーロッパに広場が多いのは、昔有事の時に 兵隊を集める必要があるから○○広場というのが 主だった都市にあると聞きましたが。。 そんな歴史が、現代のヨーロッパ人にも息づいていて 公徳心や公共性を考え意識する市民のありように なっているのかもしれません。 なにもすべからく欧米やそのコピー的なものがいいとは、思いませんが この景観は、国際時代また私たちにしても少し恥かしいことだと思いませんか?
- madarachan
- ベストアンサー率25% (8/32)
景観の面では本当に日本はセンスがないとおもいます。電柱、看板等のほかに建築材料と色彩の問題が大きい要素だとおもいます。大都会のビル街などはそれなりの美観がありますが、地方都市や農村の景観は年々わるくなっているとおもいます。個々の建物はそれぞれ綺麗になってきてはいますが、周りの風景に溶け込んでいないので景観の邪魔になっているとおもいます。木や土、石など自然の材料を使った建物は自然の風景と馴染みますが、アルミ等の新建材は風景の中に置くと浮き上がってみえます。それと虫くい状態の住宅地開発。子供の頃美しいと感じていた故郷の風景が年々後進国のスラム街と似てくるのがかなしくなります。本当に最近は絵を描きたくなるような建物が少なくなってきたと思います。
お礼
まったく同感です。 全体の調和のためにある程度の規制は、必要ですね。 でもこの規制と言う物は、経済活動を妨げ、 個人の自由度を奪うものとして嫌われているから なかなか日本人のコンセンサスを得るまでには いきませんね。 だから、政治家もそんなことに エネルギーをとられて選挙の票を失うような 政策には興味をしめさないから 街並みの調和がメチャクチャ放題に なるのでしょうね。 また、そんなメチャメチャな見慣れた 飼いならされた美観を風情があって いいなどという かけ離れた悲しい美的センスの 日本人が出てくるのだと 思います。
- anachronism
- ベストアンサー率31% (186/591)
> 日本でも、ここぞと言う限られて所で > そうした景観を保つ事はできないのでしょうか? やっていないわけではありません。 たとえば、お台場なんかいい例でしょう。行ってみるとわかりますが、電柱は一本もありません。再開発された都市などもそういうところは多いです。どこかの商店街だったか、みんなでお金を出し合って、電柱をすべてなくしたという事例もあったような気もします。 (本当は、電柱と、電信柱がありますが、面倒なのですべて電柱といいますがご容赦のほど。) 電柱は、景観の問題ばかりではなく、消防活動の障害になったり、安全上の問題、交通の障害などなど、いろいろなデメリットもあって、都市計画上、なくそうという話は必ずといっていいほど出ます。ただ、地震の関係などもあるからかコストが高く、それこそ費用負担やら利害調整が大変だし、安上がりな電柱にどうしても流されがちなようです。 そこに加えて、日本には「電柱の無い風景」は、ほとんど無いわけですから、あまり違和感を感じないんでしょう。要するに「電柱をなくす」ことに、特に一般の人はメリットを感じにくいということもあるんじゃないでしょうか。No.6さんの言うような事例もあるわけで。 住宅分譲地を売り出したとして、電柱が無いけど高いところと、電柱が林立していても安いところと、消費者がどちらを選ぶかということです。 私も、別に欧米の風景を見慣れているわけではありませんが、電柱(というより、電線)は非常に見苦しいと感じるほうです。北海道に旅行したとき、大平原を鉄道が走る姿をえらく美しく思ったんですが、後で写真を見て気づいたんですが、ディーゼル車だから線路の上に電線が無いんですね。 でも、どちらかというとそういう私のセンスのほうが、この国では珍しいようです。 まぁ、日本人のコスト感覚として、公共のものにはあまりお金を掛けたがらないという傾向もありますし、いくつかの事例を除いては、こんな調子が続くんじゃないでしょうか。
お礼
公共の物財に お金をかけるまでには なかなかいかないのが日本ですね。 景観よりも経済活動優先ですね。 それにしても、ヨーロッパやアメリカの電線電柱のない 街並みは、いいと思うのですが・・ この部分だけ日本は、欧米に負けていると感じているのは 極々少数派みたいですね。 そのくせ、欧米(洋物)の景観にあこがれるのが 日本人ですね。(笑)
このことで、あなたと正反対の意見がつい先日の新聞コラムにでていました。 なんでも京都の祇園に電信柱や電線のとりはらわれた一角があるそうで、 その景観に、コラム氏は、「芝居の書割みたい」。 そして電信柱の立ち並んでる所に出たとたんホットしたと。 アジアでいちばんヨーロッパ風な都市シンガポールの景観についても、 美しいことは美しいけれど人工的すぎると。つまるところ、 欧米を標準とすることは止めようではないか、というのがコラム氏の主張でした。 電信柱が林立して電線の走る風景は、確かにゴチャゴチャした眺めで、 ヨーロッパの都市景観を基準にすると、統一感のない乱雑な佇まいなんですが、 それはそれのよさがある、ということなのでしょう。 人間味のある風景、生活臭にみちた風景、とでもいいますか、 電信柱と電柱をとっぱらって、はじめて、「潤いのある町だった」と懐かしむのかもしれません。
お礼
おっしゃるとうり 私もシンガポールの街並みは何か 人工的な匂いがしてどうも好きになれません。 人間臭さのプンプンするタイに 行くとほっとします。 タイでは、なにか雰囲気というか流れている時間や空気が 「ゆるい~」感じがします。 そこがまた、たまらない魅力で人をひきつけるのでしょうね。
- JPUSNL
- ベストアンサー率36% (13/36)
ヨーロッパでは街並み・景観を保つ為にたくさんの規制があり、住民も皆理解してそれについて文句を言う人はあまりいないようです。 電線はもちろん地下です。(国や地域によって例外はありますが・・。) そして、規制といっても広告看板だけではなく、建物の高さから建築様式、場所によっては色まで規制がある場合があります。 又、それらの規制は歴史的建築物がある地域だけではなく、新興住宅地においても同様です。 私の住んでいたオランダのある町では観光地でも何でもない田舎の町でしたが、玄関の扉の色まで決められていて統一感のある街並みを作っていました。 あと一つ重要な事ですが、街作りの段階で計画的に低層住宅地域、高層住宅地域、工業地域等をはっきり場所を分けて開発している事も街の景観を美しく保っている理由でしょう。 ですから、日本のように和風一戸建ての隣がトタン張りの町工場でそのまた隣が鉄筋のマンションなどという秩序の無い街並みは無い訳です。 最後に芝生や樹木などの緑、庭や軒先の花などがより一層街を美しく見せている事も重要なポイントでしょう。 追記:アメリカはヨーロッパ程には規制を設けたりはしていませんが、新しく開発した高級住宅地(大抵その住宅地一帯を高い塀や柵で囲んで守衛付きのゲートがあり、住民以外が勝手に敷地内に入れないようになっている)などではジョージアン様式の家を建てる事、とかコロニアル様式に統一する事、などといった取り決めがある場合があります。
お礼
美しい景観も規制で成り立っているのですね。 あんまり規制に縛られると 経済活動が阻害される心配もあるので そこが問題ですね。
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お礼
ありがとうございます。 物凄く良い回答で 成るほどと思いました。 日本ほど水が綺麗な国は他にないですね。 成るほど成るほど 良い回答ありがとうございました。