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生きる

H240S18B73の回答

回答No.4

『精神的な生1』 『倫理判断』の主体としての『精神』がある (社会の一員として生活することを生きると表現する場合の生) 『精神的な生2』 『行為』の主体としての『精神』がある (反射や生理的反応による動作は『行為』ではない) 『生物的な生1』 種としての個体維持をするシステムとしての『生命』がある (個体維持を母胎に依存している胎児はこの意味ではたして  ヒトとして生きているといえるかということを問題にする人もある) 『生物的な生2』 細胞が呼吸や代謝などの活動をするという『生命』がある もう少し分ける事もできるが大体 このぐらい『生きる』って言葉の意味について 分けて考えておくと生命倫理について議論する時 誰かが『生きる』って言葉の意味をすり替えて相手を 欺瞞しようとしたときにすぐに気付くことができる

noname#26603
質問者

お礼

生命倫理について議論をするとき その生命倫理の判断基準は何処にあるのでしょう? などと議論を吹っかけるようなことは考えておりません. 自分の中で問い自体が漠然としてきてしまいました. 補足要求は4っつの分類の中で僕が要求してるものは?ということでしょうか? H240S18B73様が”これでいってみよう”と思ったもので回答くだされば 幸いです.

noname#26603
質問者

補足

たとえば サイコロを振って

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