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生きる
生命が”生きる”ということは どういうことなのでしょうか. 宗教的観点. 哲学的観点. その他いろいろな観点から 示唆に富んだ 回答をいただければ幸いです.
- 哲学・倫理・宗教学
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質問者が選んだベストアンサー
>着実な歩であると思っています. >それが安定するまでの道がなかなかつかめないのです. 仰っている意味はよく分かりますし、何を考えていらっしゃるかも分かるような気がします。我々はそれほど上等に出来ているとは思っていません。あっちにフラフラ、こちによたよたなのではないでしょうか?初めからまっすぐな道を歩んで行ける方は尊敬するしかありません。迷い、迷いながら、一歩ずつ進んでいるのが私みたいな、いと小さき者だと思っています。 私は自分が哲学者だと思った事は一度もありません。ただ哲学とは考える事なのだと思っているだけです。ですから形而上学的な示唆に富んだ言葉などは出てきません。日常の事で精一杯考えるだけです。 ですから、「これが正解です。」、「それは誤りです。」と言う事はありません。どれも正しいのだろうし、どれも間違っているかもしれない。その中で、自分の感性にぴったり来るものに対して「私は、これを選ぶ。」としかいえません。それを他人に押し付ける事もしません。ただ疑問を投げかける事はあります。それはもっと違う考えがあるかもしれないと思うからです。 moushi_39様が仰る「宗教的観点.哲学的観点.」からははずれているとおもいます。“日常の生活の中で,どのように感じ,どのように行動すれば良いのかという事.”に対しては、“一体何を恐れておられるのか?”と問いかけてみたいと思います。何か立派な事でなければいけないのですか?犯罪は別にして、何か間違ってしまったら“ああ、矢張り違っていた。”と思われるか、“それでも私は・・・”と考えられても良いのではありませんか?moushi_39様はmoushi_39様でしか有り得ないのですから、自信を持って行かれたら如何でしょうか。開き直るつもりはありませんが、人間は間違えるものですから。 moushi_39様のご質問に合っていなければ、ミミズの戯言とお捨て置きください。
その他の回答 (6)
- 1000827313
- ベストアンサー率30% (7/23)
質問者様moushi_39が考えておられる事とずれてしまっていたら御免なさい。 “死”が全ての細胞機能の途絶であるなら、それまでが“生きている”と言う事になります。 問題はここから始まると思います。 moushi_39様は身内、他人に拘らず、「完全に認知症になり、家族の顔も判らず、幻覚・妄想・徘徊・失禁状態にある方」をご覧になったり、「何の反応も無い植物状態の患者」を見たりしたとき、“でも生きているんだ”と思うことが出来ますか?そう思っても触りたくない、もう二度と見たくないと思われますか?それとも、“寄り添っていてあげたい”と思われますか? 他者に対する感性のあり方が、moushi_39様の“生きている”証ではないのでしょうか。 偉い哲学者や倫理学者が“生きる意味”について書いていらっしゃいます。でも私には良く判りません。と言うか分かろうとする気がないと言うほうが合っているかもしれませんが・・・私に必要なのは日常の生活の中で、どのように感じ、行動すれば良いのかと言う事になります。認知症の方が天寿を全うされるまで、ニコニコと生活して下さればそれでよいと思っています。それが、その方の「生きた」ことであるし、私が「生きている」事であると思いますが・・・ 万物に対してそのように出来るかと聞かれると“残念ながら・・・”と答えるしかありません。それが出来るのは神・仏・絶対者・超越者という存在しか出来ない事と考えています。いと小さき凡夫には計り知れない事です。
お礼
日常の生活の中で,どのように感じ,どのように行動すれば良いのかという事. 確かにどのような生活の中にあってもそうだなと思います. 決してずれてはおりません. 灯台下暗しで.足元がおぼつかないのです. 回答ありがとうございます.
補足
ただ確実にいえることは 着実な歩であると思っています. それが安定するまでの道がなかなかつかめないのです.
- H240S18B73
- ベストアンサー率65% (190/288)
#4 『生きる』と言っても意味は様々でございましてね 1『会社人として生きる人間』 2『温かいところを求めて生きる動物』 3『地下深くの水によって生きる植物』 4『硫化水素をエネルギーに生きる生命』 これら全部『生きる』の意味が ちっとづつ違っているのですよ 『人はなぜ生きるのか?』 『人はどのように生きるべきか?』 『人が生きることの意味は?』 っていうときの『生きる』は大体 1の意味の『生きる』なのですよ 一方『生命』を主語として『生きる』という場合は 大体の場合4の意味になってくるのですよ 思うに主は 『生命が生きることの意味は?』 と問うておりますな 私からみればそれでは 『生きる』の複数の意味が ごっちゃになってしまっておるのですよ
お礼
確かにカオスの中から”生きる”という問いを出したような記憶が. 生命は硫化水素をエネルギーにして生きる. その場はたとえばどんな所があるのですか? 海底火山の噴火口とか? よかったら教えてください. 回答ありがとうございました.
補足
正直言ってどうやって生きて行ったらいいのか わからなくなっているというのが現状です. すべてにおいて. とにかく生きてはいますが.
- H240S18B73
- ベストアンサー率65% (190/288)
『精神的な生1』 『倫理判断』の主体としての『精神』がある (社会の一員として生活することを生きると表現する場合の生) 『精神的な生2』 『行為』の主体としての『精神』がある (反射や生理的反応による動作は『行為』ではない) 『生物的な生1』 種としての個体維持をするシステムとしての『生命』がある (個体維持を母胎に依存している胎児はこの意味ではたして ヒトとして生きているといえるかということを問題にする人もある) 『生物的な生2』 細胞が呼吸や代謝などの活動をするという『生命』がある もう少し分ける事もできるが大体 このぐらい『生きる』って言葉の意味について 分けて考えておくと生命倫理について議論する時 誰かが『生きる』って言葉の意味をすり替えて相手を 欺瞞しようとしたときにすぐに気付くことができる
お礼
生命倫理について議論をするとき その生命倫理の判断基準は何処にあるのでしょう? などと議論を吹っかけるようなことは考えておりません. 自分の中で問い自体が漠然としてきてしまいました. 補足要求は4っつの分類の中で僕が要求してるものは?ということでしょうか? H240S18B73様が”これでいってみよう”と思ったもので回答くだされば 幸いです.
補足
たとえば サイコロを振って
追記してみます。 >>この世で苦が苦でなくなる >>・・あり方ということは無いのでしょうか. 仏教の"十二縁起の法"に「苦ありて、信あり」という言葉が、あります。 苦、なんでも良いのですが、一般的には挫折、"生きる"=生存の苦しみを感じ、"わら"をもつかむ思いで、何かにすがりたい。そして、そのために、"なにか"に信を持ちます。 この"なにか"というのは、一般的には宗教、真理と言われています。そして、修行の道に入ると。 で、"苦が、なくなる"というのは修行することで、可能となると言われてます。わかりやすく言うと、例えば、いまの苦しみ、悪業を積み、そのカルマによって苦しむと。それを修行によって、そのカルマを切ることで、苦しみからは解放されます。 なお、上記の悪業とは、宗教上のもので、現世的な習慣、モラルではありません、ご注意を。そして仏教の天へ至るための禁戒は五戒=不殺生、不ちゅうとう(漢字忘れた、つまり盗み)、不邪淫、不妄語、不飲酒が、あります。現世的な言葉で言うと、生き物(虫等)を殺さない、人の物を承諾なしに盗むな、不倫等の愛のないSEXはダメ(=風俗含む)、嘘を言うな(=冗談を含む)、酒を飲むな(=煙草を含む)・・となります。 "生きる"の逆に死を考えると死の直前の意識状態が、来世を決定すると、言われてます。例えば、死の直前に、怪我、病気等で激痛で苦しんだ状態で死を迎えるなら、来世は苦しみ多き世界、地獄の可能性もなくもないものと・・ここは、あくまでも想像ですが(__) もし、なんらかの挫折等で苦しんでいるなら、修行の道・・といっても具体的には紹介できない(=当然のこと(__))とは思いますが・・を意識されて見ては??。 (もちろん、現世的には、心療内科に通院でも、良いのですが、本質的には意味が無い、この"来世"、カルマというものを考えると) この部分、参考のために書くと、仏教ならチベット仏教が、本物と言われてます。日本の仏教のように、お坊さんが、高級車に乗り、酒を飲み、煙草を吸う、こういうものは本物とは思えませんしね。 修行に入り、天へ行けるという経験が、できると良いですね。 ちなみに、この部分、私の神秘体験を少々、紹介。 ある日、疲れて寝ていた時のことです。夜中にふっと目を覚ましました。そして強いエネルギー(クンダリーニ)が、尾てい骨から頭頂へ上昇していき、"カッン"という感覚がして体の中から、そっくり別の体が、抜け出し上昇、しばらくたったのちに、いわゆる夢の世界へと入っていきました。 今回の回答、参考になれれば、良いのですが、なお上記の後半の部分、参考の程度で、質問の趣旨とは違うが、つい書いてしまいました(__) 以上
お礼
再度の親身な回答ありがとうございます.
補足
挫折? あれから何十年経つのだろう... 挫折という言葉さえ忘れかけている.
- o-sai
- ベストアンサー率19% (199/1001)
極めて即物的な考察にはなりますが、 生命= 地球上の固体の物質エネルギーを運動エネルギーに変換して空間に放出する連鎖反応 だと考えられます。 物理学的には「熱エントロピー反応」です。 熱は必ず冷める、という法則であり、宇宙が拡大している現状では自然な現象です。 地球は太陽からの熱エネルギーを絶えず受けていますので海も空気も対流します。 植物プランクトンも運動エネルギーに変換して増殖しますし、食物連鎖は巨大な運動エネルギーとして地球に対流します。 そして進化して人類が生まれ、生命として必要以上のエネルギーを使用し、空間に放出しています。 やがて宇宙空間にまで生存の場を広げていくでしょう。 宇宙というパレット空間内で増殖するバクテリアのように。
お礼
質問の”生きる”ということと どういう関係にあるのか私にはちょっと解りかねますが. 回答ありがとうございます.
補足
多分私が聞きたいと思っていることとずれているのだと思います. 仰る意味は解りました.
こんにちは 宗教的な観点で、回答してみると。 来世の存在を肯定した場合、人間として生まれ、人間として生きるということは"カルマによって、人間に生まれ、生きている"という言い方が、できるものと、思われます。 言い方を変えると、カルマの清算ですね。 そして死は、人間のカルマが、切れた時におとづれると。 例えば、死について、もう少し言ってみると、死そのものは悪いことではないのです。よく、人々は"死"を恐れ、見ないようにするけど。 もしも、来世は天界へ生まれるなら、死は喜びであって、恐怖ではないはず。 また仏教的な観点では、ある意味、輪廻転生を肯定した場合、人間として生まれ、上の世界へ入るためのチャンスを与えられました。そして、そのための修行の道に入るチャンスを与えられたという言い方が、できると思います。 そのため、"生きる"は快楽も苦しみも、それは"修行"であるという言い方が、できるものと。 "快楽におぼれ"、苦しみ多き世界へ来世行くか、又は人間界で無常を悟り、苦しみを乗り越え、修行に入り、天界へ行く、又は仏陀釈迦無二のように出家、解脱へ向かうのか。 そう、そのチャンスを与えられた・・と私は思います。 以上
お礼
この世で苦が苦でなくなる あり方ということは無いのでしょうか. 生きとし生けるもの全て苦しみながら生きているでしょうか. 回答ありがとうございました.
補足
苦しみを乗り越え 修行に入り 天界に入れたら いいですね. 幸せそうだから 生きているうちに
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- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
お礼
自信はあるところにはあるのですが ないところにはないのです. もしかしたら今の心情にどんぴしゃの回答かもしれません. 再度の回答ありがとうございます.
補足
足元を照らす 提灯のようです.