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形而上・形而下

chihokoの回答

  • chihoko
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回答No.2

●あらゆる概念は形而上にあるものです。  つまり 形而下にあるものを形而下のままに概念として認識することは 人間にはできません。  人間は 概念での認識があって はじめて本能レベルを超えて能動できるのです。  つまり 概念がなければ 動物と同じように イメージとしての認識のもと  イメージの本能的処理によってのみ生きることとなるわけです。    形而上の概念を形而下に具現したと 思うのはそのひとの自由ですが  どれほどセンスの高いアーティストであっても その具現は ある意味では  ゴミとなんらかわりあるものでは ありません。  価値という概念が 形而下のモノとリンクする 経済というシステムは  形而上と形而下が あたかもつながりのあることのように錯覚させる  レトリックをはらんでいるのです。つまり おおくの人類の抱える難問は  正にこの 形而上と形而下のかかわりを安易に肯定するがごとくにふるまう  かずかずのレトリックによるところが 大きいと考察しております。  形而上の概念と形而下にある大いなる現実(宇宙150億年の実証を伴うもの)  とは そう簡単にはリンクできないものなのです。  ↑このことを しっかりと認識する必要があるでしょう。  まちがえない ひとつの方法として わたしは「性器」に聞いているのです。  いつも どこでも やさしく 薬指で・・・。

noname#15238
質問者

お礼

chihokoさん、ご回答有難うございます。 またまた、難解な表現で、噛み砕くには時間がかかりそうです、chihokoさんのように便利な性器があればよいのですが。おっと自分のペースが崩れてしまいます。くわばらくわばら。

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