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数学の普遍性について。
Singolloの回答
『普遍性』というのは『どんなものにでも通用する性質』という意味です 数学に限らず、理系の学問の多くの定理や仮説は場所を問わずに通用する真理です その定理や仮説が正しければ、地球人を全く知らない異星人が自分の星で研究したとしても、全く変わらぬ結論に達するのです その中での数学の特異性を挙げれば、純粋な論理に基づいて構築されるため、ひとたび検証されてしまえば、他の学問の場合と異なり、覆る可能性が原則的に無く、未来永劫通用するといった点でしょうか
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なるほど~。数学の普遍性ということについて、少し難しく考えすぎていました。特異性まで挙げていただき、とても分かりやすかったです。ありがとうございました。