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弓矢
戦国武将は弓矢を回避するためにホロをつけたりさえぎる練習をしたのですか?
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弓矢で三十三間堂と言うのがあります。 6尺を1間とし、約1.8Mとしますと、約60メートル。 拳銃の最大射程も50メートル程ですから、威力は拳銃並とも考えられます。 また、火縄銃の有効射程は80メートル程度だそうです。 当時の鎧の厚さが1.4ミリ~2ミリ程度なのだそうで、 1.4ミリは軽く打ち抜くと想像されます。 2ミリの厚さは、相当な豪弓でも直撃でないと難しいでしょう。 しかし、鉄砲同様1点に衝撃力が集中しますので、重く、先端面積が鋭い鋼の矢尻場合、突き抜けます。 また、鎧の構造上、当たり所で左右されます。 鉄砲の場合、鎧は無意味であったようです。 また、弓矢のように滑り外れる事も無かったようです。 この速度の弓矢を横から叩き落すのは簡単ですが、 正面から来る点に見える弓を落とすのは無理な話に感じます。 また、弓矢の場合、軌道さえずらせれば、何とかなりそうです。 特に、旗のようにたなびくのであればズレる可能性も高くなります。
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- komes
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武将といえる身分ならば大鎧というほとんど全身を防御する鎧や兜をつけて矢をふせぎます。 露出している顔面は大鎧の袖で矢を防ぎます。 しかし矢の有効射程は短く武将に近づくことは困難ですからそのような機会は余りありません。 従って武将は母衣のような目立つ防具しかも背後をまもるような物は身につけません。 これを用いたのは、使い番という伝令将校が多いといいます。 これは単騎で敵陣に近く疾走する事も多く的に成りやすかったからです。 武将の使い番であることを明示し味方にも矢を射かけられないようにするため派手な色分けをする事が多かったのです。 しかし弓矢の時代がすたれ鉄砲になって防ぎようもなくなり、単にファッションになってしまいました。 多少は弓矢も使用されたので防御の意味はありました。
お礼
ありがとうございました。
飛んで来る矢を刀で払い落とすのは難しいことです。とくに戦場においては事実上無理でしょうね。従って防具で防ぐということになります。 矢から身を守るものとして、鎧、冑のほかに質問者さんご指摘の母衣(ホロ、矢対策専用)というものがありました。 源平時代に生まれたといわれていますが、当初は吹流しのようなものか、あるいは後端を腰にくくり風を受けたら膨らむような形にしていました。後ろから矢が飛んできても、布に当たって矢の勢いが減殺されるので、効果があったものと考えられます。布が体に密着していたのでは効果がありませんので、騎馬武者が使用しいていました。 後に竹で編んだ籠を布でくるみ、はじめから風を孕んだ丸い形のものも出てきました。 戦国時代以降の合戦では、後方の司令部から前線へ命令を伝達する騎馬伝令将校(母衣武者)が着用していました。 そうして派手な色の布と形状から様式化装飾化し、名誉の軍装のようなものになっていったものと思われます。織田信長の黒母衣衆、赤母衣衆や、豊臣秀吉の黄母衣衆などが有名です。
お礼
秀吉は黄色の母衣ですか、ありがとうございました。
お礼
やはり正面矢は難しいですよね、どうもありがとうございました。