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キリスト教的世界観を壊した人物

「キリスト教徒として生まれながら、キリスト教的世界観を(いろんな意味で)破壊しようとした人物」として誰が挙げられるでしょうか? 例えばガリレイやダーウィンは、科学的真実を追い求めた結果、期せずして聖書の記述と異なる主張をすることになり、教会側と対立しましたよね。 ニーチェは、キリスト教の道徳を「ルサンチマン=有用なる誤解」と称して否定したとか。 理系の科学者でも構いませんし、文系の思想家でも構いません。 キリスト教による既成の世界観を、何らかの意味で破壊したり否定しようとした人物を教えてください。

  • dollar
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質問者が選んだベストアンサー

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  • qazw222
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回答No.1

スピノザは常識的な視点からキリスト教を解釈してましたよ。 その結果無神論者として破門されたらしいですが。

dollar
質問者

お礼

スピノザが破門されてたんですか! それは知りませんでした。 スピノザというと汎神論を主張した人ですよね。しかしウィキペディアで見てみたところ、「汎神論は実のところ無神論に近い」とする考えもあると載っていましたので、それなら破門されてもおかしくない気もします。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • riehana
  • ベストアンサー率28% (14/50)
回答No.4

直接答えにはなりませんが・・・・・。 ダーウィンは、進化論を世に発表した後、さらに研究を進め、結果“進化論は間違っていた”ということをはっきり認め、その後、進化論の間違い、そして天地創造やイエス様のことを世に伝えるために人生を捧げたといわれています。 その間違いを認めながらも、結局進化論もダーウィン自身の名前も進化論を唱えたがために今の時代に至るまで残っていることは、とても皮肉なことだな・・・。と思います。 クリスチャンではありませんが、最近聖書の世界観を破壊した人といえば、なんといってもレオナルド・ダヴィンチではないかと思います。 フリーメーソンの視点から描かれたダヴィンチ・コードがこうして日本で広まっているということは本当に悲しいことです。 ダヴィンチ・コードを見て、イエス・キリストという存在に疑問を持ち、“信仰”というものから離れようとした結果、知らず知らずのうちにフリーメーソンの考えを受け入れている人が、この映画を通して、少なからず生まれていることが本当に悲しいです。 少し質問の意図とずれてしまいました。 失礼しました***

  • eroero1919
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回答No.3

イエス本人はユダヤ教のラビとして活動し、ラビとして十字架にかけられたわけです。ですから、彼の思想そのものはあくまでユダヤ教の範囲内でのものでした(それでも充分革命的過ぎるほど革命的だったのですが)。それに独自の解釈を加えて「ユダヤ教イエス派」から「キリスト教」を誕生させたのは他ならぬパウロだったと思います。 そのパウロ自身はかつては激烈な反イエス派でしたし、そもそも生前のイエスに会っていないわけですから(復活後のイエスには会ったと本人はいっていますが)そこに大きな思想の隔たりがあったと見るほうが自然でしょう。 さて、他人の回答にコメントすると削除対象なので私の回答を入れますと、半分ジョークですがジョン・レノンなんてどうでしょう。 ビートルズの人気が世界で爆発したころジョンは「今や僕らはイエスより有名人だ」と発言して欧米で散々叩かれました(確かジョンは最終的に記者会見して謝罪させられたはず)。 中期以降のビートルズはインドに傾倒したりしていわゆるヒッピームーブメントに大きな影響を与えましたし、後にキリスト教世界を強烈に否定するセックスピストルズのようなパンクミュージックや黒魔術テイストが入ったメタルミュージックもビートルズなしでは生まれなかったといっても過言ではないでしょう。彼らの活動は20世紀の全世界の若者に影響を与えたという点ではイエス以上かも。 しかしそんな彼らもポール・マッカートニーは聖母マリアの賛美歌「レットイットビー」を作りジョン・レノンもキリスト教的な「イマジン」に至ったのですが。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

直接の答えではないのですが、、、、 イエスの思想を現代の人が見つけるのは困難を極めますが、完全に無理とは思えないんですね。 キリスト教の思想の礎はペトロではなくサウロだと思います。 従って現代のキリスト教の思想は、イエスではなくサウロの思想が礎。 そのサウロ教を破壊しようとしているのではなく、もともとのイエスの思想を受け継ぐものが、別に存在していて、サウロ教の教義とは相容れないことから、サウロ教の立場が危うくなっているだけではないかと。 「悪に逆らうな」というのは、悪に屈服して服従するのが賢い人だ と言っているのではなく、「悪をやる人に心を煩わされるな」というのが本来のイエスの思想だったようなんです。 サウロ教は法的権力支配者であるローマに服従をしろと信者に教えたようですが、イエスの言った意味とは違うようです。 キリスト教にとっての一番の強敵は科学者ではなくヘブライ語。 新約聖書と言われるものは、ギリシャ語が元々だったといわれていますが、研究が進むとどうやらもともとはヘブライ語だったようなんです。 現在ギリシャ語の聖書をヘブライ語に戻す研究が行われているようで、イエスがギリシャ語で伝道したのではなく、ヘブライ語(またはアラム語)で伝道していたとなると、キリスト教の教義にいくつもの間違いが出てしまうことになります。 http://www.myrtos.co.jp/pub/mp_book/iesuhebu.html かなりの強敵ですが、イエスが言ったとされる「悪の逆らうな」の本来の意味からすると、別にキリスト教会の教義を間違いだとするために書かれてものではなく、あくまでイエスの本来の思想を辿ろうとする運動から起ったようです。 キリスト教にとっての一番の脅威は科学ではなくイエスの思想。

dollar
質問者

お礼

「キリスト教にとっての脅威はイエス本人の思想」というのはなかなか逆説的な謂いですね。面白いです。 イエスが教え、パウロが広めたというのは知っていますが、「両者の思想に違いがあるかもしれない」というのは初めて聞く話でした。 イエスとパウロの違いについてもっと知りたいと思いました。ありがとうございました。

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