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江戸の銭湯と武士

chie65536の回答

  • chie65536
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回答No.1

基本的に、内風呂が許されていたのは、大名屋敷などの一部のみです。 江戸末期になると、大店など限られた商家にのみ内風呂が許されます。 とある文献には「慶長5年には、銭湯にて武士の喧嘩事件あり、武士の銭湯通いが禁じられた。」との記載もあり、禁じられる前には武士も銭湯に行っていました。 なお、武士の銭湯通いが禁じられてからは、仕官先の大名屋敷の風呂を使わせてもらうのが通例だったようです。 なお、裕福な身分の高い武士の間で、湯屋や温泉を貸し切るのが流行った、との記録もあります。

you-san
質問者

お礼

そうですか、江戸末期には大店には内風呂が許されたのですね。それと武士は大名屋敷の風呂に入れてもらっていたというのは知りませんでした(知らないから質問したのですけど・・・)。 私は、例えば越後屋のような江戸で屈指の大店の主やお内儀さんや娘さんが、一般の町人と同じ銭湯に入ったのかどうかというのが疑問だったのです。それと、武士が町人と同じ銭湯に入ったのだろうかというのも疑問でした。お陰さまでよく分かりました。 また、江戸時代のことで質問をすると思います。教えてください。 ありがとうございました。

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