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江戸の銭湯と武士

nidonenの回答

  • nidonen
  • ベストアンサー率55% (3658/6607)
回答No.2

> 武士も町人と同じ銭湯へ通ったのですか  ここについて説明します。江戸時代の銭湯には刀を掛けておく 台がありましたが、これはなんと女風呂のほうにありました。 実は、武士は女風呂に入っていたのです。  とは言っても別に混浴していたのではなく、町人が入る前の いわゆる一番風呂のときに、武士が利用していたんですね。 もっとも江戸時代は混浴にはおおらかだったので、武士のほ うは好きな時間に入っても構わなかったのでしょう。  いずれにせよ、血気盛んな男たちの脱衣所に刀を置いておく わけにはいかなかったので、女風呂を利用したというわけです。

you-san
質問者

お礼

これはまた、新しい発見です。女風呂に刀掛けですか。これは智恵ですね。nidonenさんがおっしゃるように、私が読んだ本にも江戸時代は混浴が多くて、幕府が取り締まりの条例を出してもあまり守られなかったと書いてありました。 すると武士は、なるべく混浴で無い湯屋の女湯に入りに行って、女性の方も相手が武士ならば安心して一緒に入ったということなのでしょうかね。ま、混浴を今ほど意識しなかったということが根底にあるんでしょうね。 勉強になりました。ありがとうございました。

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