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死者に人権はないけれど・・・・
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そもそも人権という考え方は、「人は神によって創造され、神によって生かされている」というヨーロッパの宗教思想から来ています。 よって、「人権とは、神によって与えられた権利であり、神の創造物たる人はその権利を奪う資格をそもそも持たない」という発想が出てきます。 だから、宗教的信念を持つ人の中には、中絶も死刑も否定する人がいるのです。 宗教的背景を持たない人の場合はよく解りません。
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ヨーロッパではベラルーシ以外死刑を廃止しているようですね。しかしそれは第二次世界大戦後に各国動き出したようです。 宗教的背景説だけでは説明がつかない部分が多いように感じます。具体的な国教を法律と融合させている国もあるかもしれませんが・・・ ご回答ありがとうございます。