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なぜ特攻隊の隊長が終戦当日出撃したんでしょうか

靖国の博物館(遊就館)で見たのですけど、何とか言う中将が特攻隊の責任者で、8月15日当日夕刻パイロットを同伴して階級章をはずして出撃しました。 その理由はどういうことだったのでしょうか。 私なりに考えたのは、配下の若い命を自分の管理下で多数殺したので、戦犯その他の責任は逃れられない以上、自分も同じ運命をたどろう、というような同朋意識を感じたのですけど違ったですか。

みんなの回答

  • yto11786
  • ベストアンサー率0% (0/18)
回答No.6

宇垣纏の有名な話ですね。ちなみに彼のあだ名は黄金仮面です。中将の階級を示す襟章を外している写真と外した後の笑顔の写真を見た事があります。最後の連合艦隊司令長官の小沢治三郎は「自決に若者を巻き込むな」と激怒したとの事です。あと彼は靖国神社には合祀されていません。理由はポツダム宣言受諾後に正式な命令もなく特攻を行ったためと言われていますが、この事は今も議論が続いています。

noname#32495
質問者

お礼

やはり部下を巻き添えにというのが響いているんでしょうね。ただ、志願だったらという気もします。あるいは操縦は一人でできなかった?んでしょうね。

  • VFR
  • ベストアンサー率25% (62/248)
回答No.5
noname#32495
質問者

お礼

よくわかりました。

回答No.4

昔の軍人から武士道を取ってはいけません。 宇垣中将は常々「お前達だけ死なせはせん」と言っていたそうです。 部下の死の責任をとったのでしょう。 同様に大西瀧次郎中将も「特攻隊員の諸君へ、・・・深謝す」と遺書を残し割腹自決しています。

noname#32495
質問者

お礼

そうだろうと思いました。 道連れについては志願者なんだろうと思います。

  • gbrokk
  • ベストアンサー率26% (146/541)
回答No.3

自分の立てた作戦の結果亡くなった軍人、民間人に死んで謝罪する事で責任を取られたのでしょう なお長官の特攻機隊がその日突入するのを見ていた沖縄の人の報告と米軍のレポートではそれぞれの特攻機は米軍の基地を避けて付近の海中を選んで突入したそうです ポツダム宣言受け入れ後に米軍に死傷者を出す事で皇室と日本国民に残虐な報復が加えられるのを避けようとの立派な配慮でしょう なお使用機は戦闘爆撃機の彗星6機です

noname#32495
質問者

お礼

そういう気持ちだったのだとは想像しています。で突撃のほうはどうなったのかと思っていたのです。自爆したんですね。それは意外なことでした。しかし、理性あることでした。

回答No.2

 有名な話ですが、戦犯のことは考えてなかったと思います。しかし、部下を引き連れて、3機編隊でしかも爆撃機で(一式陸攻だったと思いますが)部下を多数伴って出撃したそうですので、自分の本懐を遂げるために、終戦の日にその多数の部下を道ずれにしたことへの批判は大いに有るようですね。  ちなみに宇垣中将は、山本連合艦隊長官が戦死したときに、二番機に搭乗し、山本長官機であった、一番機も宇垣中将の二番機も撃墜されたのですが、彼は奇跡的に助かってます。

noname#32495
質問者

お礼

私も、部下を引き連れてということろに引っかかったんです。部下も志願したのか名とは思ったので好けども。山本撃墜に巻き込まれたんですよね確か。

  • zaczac
  • ベストアンサー率17% (62/353)
回答No.1

宇垣纏中将のことですね プライドが高いので有名だったようなので 戦犯責任は考えていなかったと思いますがやはり生き残ることをプライドが許さなかったんでしょう。

noname#32495
質問者

お礼

そういうプライドの高さとか一癖ある人物とは知りませんでした。

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